Chapter25

 いまいちフィットしないヘルメットを何度も直しながら、源士は周囲に目配せした。幸いにして、その視線が外に漏れることはない。誰も彼の挙動不審に感づいた様子もなかった。


 が、やはり感づかれたかな、とは思う。


 当たり前だ。長尾景樹というブラストライダー、いわゆる技巧派の男が、いきなり考えなしと思えるような愚直まっしぐらのチャージングを仕掛けてきたら、誰だって違和感を覚えずにはいられない。きっと源士だって気付く。


 だが、それでも攻めずにはいられないのが源士の悲しき性である。目の前をとろとろと、まるで刺してくださいとでも言わんばかりに走ってこられたのだ。


 だったらと、源士は目一杯にマシンを飛ばして、ランスの一撃をぶち込んでやった。もっとも、突いた瞬間に『獲った』と確信したそのチャージングは、すんでのところで見事にかわされてしまったのである。源士は舌を巻いた。


(分かってはいた。けど、あいつはやっぱり口だけじゃない)


 半端な攻撃は通用せず、放つ全ての槍を一撃必殺に昇華させる必要がある。それは、ただただ己が肉体と集中力を削り続ける決死行だ。


(どうやら、俺の見込みは間違ってなかったと見える)


 他人のメットである。馴れないインターフェースに戸惑いながらも、源士はカメラアイの映像を目一杯ズームさせた。


 視界いっぱいに映ったのは、一騎のマシンとライダー。自分と比較しても、肉体的に優れていると言う訳ではない。だが、源士のあずかり知らぬ次元のスキルを持った一流の選手。


 揺れる視界に、彼のプロテクタが大写しになる。そのチェストプレートには、いつか見たあのエムブレムが刻まれていた。


 象られているのは、規則正しく並ぶ六つの流れ星。幸運を呼ばんと欲するかのごとく、鮮やかな黄色いシンボルが、隆聖の装いを彩る。


 そう、源士はあの星を極間近で見たことがある。


 あの日、プロテストのサーキットで彼が果敢に追いかけていた相手。熟練のドリフトを使いこなし、源士にその真髄を垣間見せたライダーが、今そこにいるのだ。


「まさか、あんただったとはな。真田隆聖」


 源士が上唇を舐めたところで、無線通信のノイズが彼の耳を打った。


『源士、おい聞こえるか?』


 兵吾である。ここからでは姿を見つけることが出来ないが、おそらくあまり人目に付かないところにでも隠れているのだろう。


 何しろ、見つかればコトである。商売敵の実力を知りたいがために、氏名を偽って侵入したうえに、よもや関係者をふん縛って成り代わり、今マシンを借り受けて勝負の真似事までする始末。


 長尾などは不憫な事この上ない。何しろ、いきなり顔見知りが現れたと思いきや、後ろから組み敷かれて訳も分からぬうちに昏倒させられたのだから。当の長尾は、両手両足を縛り上げたうえで、手近にあった掃除用具入れに突っ込んでおいた。 


さすがに意識が戻れば自力なり、助けを呼んで脱出することもできるだろうが……ま、そうそう簡単に目は覚ますまい。しかも、今の奴はパンツ一丁。源士が纏うこのスーツとプロテクタが良い証拠だ。プライドの高いあの男が、果たして裸体を晒して脱出できるかどうか。


 しかし、だ。そういう訳で、今の源士はちょっとしたお尋ね者である。これでは産業スパイ……いや、長尾に至っては暴行の上監禁か。さらに性質が悪い。兵吾などは「そこまでやるかよ」と露骨に嫌な顔をしていたが、まったくもって正論である。


 だが、ここまで来たのだ。多少の無理は承知で彼らを探らない手はない。チーム力、マシン、それにライダー。どれをとっても、《シックスセンス》の戦闘力は《カザン》のそれを上回る。あくまで源士の見込みだが、このまま公式戦に挑んでも勝てる可能性は万に一つもあるか否か。


 それだったら、仮にここでヘマをしてご破算になっても、最終的には同じことだ。源士たちは活路を見失う、


 勝つか、負けるか。生憎と源士の心理にはそれしかない。


『アイツらの動きが慌ただしい……バレたんじゃないのか?』


「かもしれん。いつでも逃げられるようにしとくんだ。手筈通りにな」


『バッカ。バレたんなら奴らもこのまま試合を続けるかよ』


「どうかな……そら、シグナルが点いたぞ」


「マジかよ?! ……わかんねえ、俺の方がおかしいのか?」


 そうではない。ただ、ここの連中も大概に狂っているだけだ。一度槍を交えたからには、半端で終わるのは許されない。だから、相手がだれであろうが打ち合う。決着がつくまでだ。


 ズームしたモニタの向こうで、隆聖がスタンバイしたのを認める。それに、《出走準備》を意味する赤のシグナルが点灯した以上、この勝負は継続である。


願ったり叶ったりだ。《シックスセンス》のマシン、まだ全てを理解するには、時間が足りな過ぎる。


だが、と源士は考える。


先ほどは、隆聖があまりに隙だらけだったので力任せに打ちこんでみたが、今度はそう簡単にはいかない。ことに技巧派のライダーの性格とでもいうのか、彼らは守勢に回るととことんまで長期戦を望む。が、それは源士の戦法に反するし、何より面白くない。


ということで……さて、どうしたものか。




***




 一度始めてしまった以上、試合を続けるのは構わない。


 もっとも、それは相手が何者か知っていれば、の話である。


 隆聖はモニタ一杯に投影した敵の姿に眉をひそめた。奴は驚くほど落ち着いている。まるで、自分が長尾景樹であることを信じて疑わないようだ。


 しかして、長尾景樹の名を騙ったこの男の正体は、ようとして知れない。深く帽子を被っていたチビのメカマンも、聞けばいつの間にかどこかへ行ってしまったという。


 幽霊、化物……などと非科学的なことは言わないが、不気味な事この上ない。少なくとも、何者かが何らかの思惑で景樹と入れ替わっている。それだけは確かだ。


 しかも、その戦法は一端のストロングスタイル。強靭な肉体と、突撃を恐れない度胸を武器に突っ走る、生粋の決闘者。しかし、その驚異的なチャージングは往々にして単調であり、捌き方さえ弁えていれば対処は容易い。故に、今日日は使用者も少なく、古式ゆかしきスタイルと言われ途絶えつつある戦法だ。


 プロでも未だにそのようなスタイルを貫く選手は少なく、隆聖の知る限り両手で数える程しかいない。


(ふむ……しかし、悪くない突撃やった。何より、思い切りがええ)


 何しろ、手加減をしていたとはいえ、その一撃は隆聖を驚かせたうえに、彼を紙一重で掠めたのだ。高速域の戦闘には相当慣れていると思えた。それこそ、両手で数えられるはずだったストログスタイルのライダーに、もう一本の指が必要となるほどに。


(どうかな、粗は目立つが……もう一つカンを掴めばもっと鋭くなる。そんな感じやった)


 まだマシンに慣れていないであろうことは良く分かる。おそらくはあのチャージングも、もっと高い加速力を想定したものだったに違いない。だからこそ、ワンテンポ遅れた槍に隆聖は回避のチャンスを見出したのである。


 それでは、あの男は今までどんなマシンを操ってきたと言うのか?


 《センチピード》はバランス重視のマシンである。隆聖のいかなるオーダーにも対応できるような操作性に重点を置いており、加速力や高速性と言う点では特筆すべき点は少ない。それでも、ブラストマシンとしては必要十分な性能は秘めているはずだ。いっそ、これ以上の能力を与えても使うシチュエーションなど無いに等しい。


 だが奴は、その領域を想定して戦いを組み立てている……?


(これは……僕は、夢でも見てるのかも知らん)


 その考えに思い至った時、隆聖の脳裏にあるビジョンが浮かんだ。あるいは、それは走馬灯の様でもあった。


 古い記憶。未だ彼が円熟な技量を持たず、無心に強さを追い求めていたころの、もう戻れない遠き思い出。


 夢と現が交差する視界のなかに、それは現れた。


 紅いスーツ、ヘルメット。


――そして、紅いマシン。カウルに刻み込まれたエムブレムが見える。鎖が、四つの鎖が折り重なった意匠。


瞬く間に接近するその幻影が、覆いかぶさるように隆聖へと迫る。


その、圧倒的な圧力。


あり得ない幻覚だ。現実ではないと理解もしている。だが、かつて味わった衝撃のリフレインが、思わず隆聖の顔を歪ませた。


「ちっ……亡霊が追っかけてきたか……?!」


 青いシグナルが、点灯した。




***




 源士にとっては、いざ走りだすと考えることはそれほど多くない。


ただ、どれだけアクセルを開放するか。それから、敵のどこへ槍を突き立てるか。その程度のものである。


 が、今日に限っては違う。およそ集中力の半分を、マシンのフィーリングを掴むことに充てているからだ。


 敵と交錯するまでのわずか数百メートルの直線で、様々にマシンを遊ばせてみる。加速、減速、わずかに蛇行するような挙動。タイヤを介して路面から伝わる感覚を、源士は逃すことなく捉えては、自らの感覚に刻みこんでいく。


 大抵は何十周と試験走行を重ねて、マシンの特性を把握していくものだが、生憎とそんな時間が取れるはずもない。それでも、源士には明らかにそれと分かることがあった。


(素直だな……お前のご主人とは、大違いじゃないのか)


 源士はマシンに話しかけるように呟いた。


 真田隆聖は食えない男だった。顔に笑顔を貼り付けて、その実何を考えているのか見当もつかない。そんな不気味な男だ。


 だが乗り手とは対照的に、この《センチピード》の操作性は素直の一語に尽きる。


 行きたいと思った方向に傾ければ、その方向に進路を取る。アクセルを開ければ、そのようにパワーを開放してくれる。およそおかしな挙動も見られず、制御系も安定しているのだろう。


 こんなマシンの特性に、源士はひとつ心当たりがあった。


 《三式カザン》。この《センチピード》ほど完成されたものではない。その性能も満足さのいくものでは到底なかったが、ブラストマシンとしての設計思想は、間違いなく酷似している。


(あらゆるシチュエーションに対応できるマシン、か。なるほどな)


 言い換えれば、ライダーはどんな条件でも理想的な状態で槍が振るえるのである。常に安定したマシンの挙動を信頼すれば、ライダーは自分の体勢に注力できる。取りも直さず、スキルの精度は上がるはずだ。


(おまけに、こいつに乗るのは《スキルブック》……ぞっとしないな。だが、これではっきりした)


 源士は確信する。美晴が何を言おうと、《三式カザン》は失敗作なのだ。少なくとも、隆聖と対峙する源士にとっては。


(さて、じゃ、どう戦うかって話だ)


 隆聖は即座にマシンを安定させると――このあたりもロスがない。悲しい程にコントロールが楽だ――、前方に迫ってくる隆聖の姿を確認した。


 隆聖の対応はさすがに早い。源士のバトルスタイルが技を弄しないストロングスタイルであると見るや、受け身の体勢を変えてきたようだ。すでに準備はできているようで、先ほどは隙だらけだったフォームは激変している。やつのどこを貫けば効率的か。源士はしばし迷った。


 仕方ない。こういう時は突っ込む。推して知るべし、だ。


 源士は腰だめに槍を構えて、身体を深く沈みこませた。アクセル調整、例によって出力は六割に留める。


「《デッドリー》、受けてもらうぞ」




***




(そんな構えまで……亡霊そっくりかいな)


 予想『外』に予想『通り』のフォーム。その名は《デッドリー》。隆聖は思わず苦笑した。


 今では使われなくなった技だ。カビの生え、もはや化石と言っていい。


 隆聖すら、最期にその技を見たのは十数年も前。その頃、彼はまだ、ようやくブラストの舞台に手をかけ始めただけの駆け出しだった。


 そして、《あの男》のデッドリーに手も足も出ない、未熟者だった。


 ……ならば、逆に考えろ。今はどうなのか、と。


 研鑽の年月を重ねた今、隆聖の技量は熟練の域に達した。その自分をして、かつて立ちはだかったあの壁、超えることの出来なかったあの壁を、突破することが出来るのか。


「ええやろ。乗ったるで、その勝負」


 奴が何者か、何故あんな技を。気になるが……今はいい。


 あれが、隆聖の知る男の《亡霊》であるならば、それは倒すべき。いや、倒させねばならない。それが、彼が次へと進むため、わずかに残した遣り残しの一欠けらである以上は。


 隆聖が身じろぎするように槍を構えなおす、その時。


『――セーさん、リューセーさん?』


 ノイズ交じりにヘルメットから流れてくる通信音。頼りなさげな女の声。


 恭子である。


「なんや! 試合中やぞ!」


 集中を削がれた。隆聖はがなり立てるように応答した。


『ひっ、ご、ごめんなさい!』


 おっかなびっくりと言った具合の声である。何か焦っているようでもあった。


『えと、あの……見学者が二人、行方不明になってて。こっちに来てないかと……』


「見学者?!」


『は、はひ!』


 隆聖は肉薄する敵の姿を捉えると、小さく舌打ちした。


 そんなやつ知らん……とは、言えないだろう、これは。むしろ、納得せざるを得ない状況だ。


「それ、どんな奴や?」


「どんな奴?! えと……一人は背が高くて、ちょっとむすっとしてるような。もう一人はちょっと小柄な……両方、男の子です」


 背の高くて、愛想の悪い男、か。


 心当たりは、腐るほどあった。長尾景樹を自称する男もそう。同道する小柄な男は、あのメカニックか。それもぴったりとパズルのピースがはまる。


 しかし、誰が何のためにそんなマネを――


「……いや、大方見当はつく……か」


 その時、隆聖の脳裏を過ったのは、たった一人の男だった。


 古巣で出会った少年、自分の後任者だ。


 若く、未熟で、それでもその瞳に映る炎だけは、隆聖がどれだけ脅し立てても揺るぐことはなかった。そんな少年の面影が、ちらつく。


「くっく。若い、若いなあ」


 隆聖は犬歯を見せて笑った。これから公式戦が控えている。だのに、何もこんなところで雌雄を決せずとも良いのに。


 それだけが、少し悔やまれる。


 だが、居ても立ってもいられなかったというのなら、それも良い。


(来い……叩き潰したらぁ!)


 隆聖もまた、上体を低く構えてその時を待った。


 セッティングのまったく同じマシンの唸り声が共鳴する。鼓膜を麻痺させるように、高鳴っていく。


 ――今、交錯。

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