Chapter24

 アクセルに力を込める。


 真田隆聖は慣れた体捌きでマシンを安定させると、対面を一目散にカッ飛んでくる敵を見据えた。


 《シックスセンス》でテストドライバーを拝命するだけあって、さすがに隙は少ない。が、やはりマシンの調整に終始してきたライダーだ。槍の扱いがワンテンポ遅れる。


 決闘において、そのワンテンポは致命的な命取りとなる。


 接敵。その瞬間、隆聖は槍を振るった。


 ただ、槍を突きだしたのではない。彼はその最中、いくらかのフェイントを入れた。右へ左へと、穂先をわずかに揺らす。あたかも、釣り人が魚をおびき出すため、疑似餌をふらつかせるような感覚か。


 すると、相手は細かな槍の動きに囚われて集中を乱す。集中を乱せば、その分だけ反応も疎かになる。ワンテンポ遅かった槍の動きは、さらに遅く。


 それに気づいたときにはもう遅い。隆聖の槍は、既に相手の肩口を捉えていた。


 技の名は《フリック》。一見地味だが、それとなく自然に敵の注意を逸らすには相応の技量が要求される。


 カツンと軽い手応え。軽樹脂で構成された槍は砕けると共に、彼の勝利を告げる。今日だけで二十本近くの穂先を木端微塵にした。全て、隆聖の手によるものだ。


 マシンの速度を徐々に落とす。二百メートルほどの距離をかけてようやく停止すると、隆聖はヘルメットを脱いで一息ついた。


 マシンのセッティングはおおよそ出来上がったと言ってよい。


《シックスセンス》の新型機、《センチピード》。白地にチームカラーのオレンジで縁どられたマシンの外装には、紛うことなく六つ星のマークが刻まれていた。


 しかし、良いマシンだ。隆聖の思うように走る。曲がる。制御できる。


 これならば、隆聖の知り得るあらゆるスキルに対応できるだろう。あのマシン、《カザン》とは違う――


「かかかっ、調子は良さそうじゃのう」


 しわがれた声。振り向くと、そこには小柄な老人が立っていた。顔には相応の歴史を重ねたと思しき皺が刻み込まれ、腰もいささか曲がっている。夏らしいアロハシャツに、《シックスセンス》のチームロゴが刺繍されたキャップ。丸縁サングラスを身に付けた姿は、何処からどう見てもバカンスを満喫中の好々爺と言った具合だ。


 だが、この老人がそんな気の抜けた存在ではないことは、誰もが知るところである。周囲で作業するスタッフの表情が一瞬にして強張ったのを見ても分かる。


「そら、そうです。カントクの前で無様なプレイはできんわ」


 海野幸造といえば、この業界で知らない者は少ない。《海野シックスセンス》の総監督である。あるいは、日本におけるブラストを黎明期から支える重鎮の一人と言ってもいい。その大人物が、今、隆聖の目の前にいた。


「よう言うわい。滅多な事ではミスもせんクセに」


「へえ……僕、案外買われてるんかな?」


 幸造がカカカと喉を鳴らす。独特の音をさせる、それが彼の笑い声である。


「可愛い孫娘の一押しとあってはな、断ることもできん」


 孫娘、恭子のことだ。この老人は、彼女の事が目に入れても痛くないらしく、事ある毎に世話を焼き、あれやこれやと便宜を図っている。その孫娘がファンだから、と言う理由で採用されたとは、よもや思うまいが。


 隆聖は小声で、「ご冗談を」と呟いた。


「ふん、猿渡と霧島が健在なら、誰もお前など起用せんわい」


 実際の所、去年までの《シックスセンス》ならば隆聖などは箸にも棒にもかからなかったはずだ。所属していた二名のレギュラーライダーは、それだけ高度な能力を持った選手たちだった。


 彼らの負傷退場は、間違いなく《シックスセンス》には大きな痛手である。が、隆聖にとっては渡りに船、というやつだ。決して口にはしないが。


「僕かて、このチームに貢献できるように必死なんやけどな……?」


 顔に苦笑を貼り付ける。隆聖は冗談めかして言った。


 が、老いたりといえども、長年修羅場を渡り歩いてきた男。サングラスの奥に隠れていた構造の怜悧な双眸が、隆聖の本心を見透かすかのように冷たく射抜く。


「その口のうまさで、恭子にも言い寄ったか?」


 深く静かなその声色に似合わぬ攻撃的な言の葉。隆聖は思わず、こめかみに冷や汗を浮かべた。


(この狒々爺……)


 勿論、隆聖と恭子はそのような関係ではない(少なくとも、彼の認識では)。だが、彼女が《シックスセンス》への加入のアプローチをかけてきたのは事実であり、そんな誘いに乗ったから隆聖がここにいるのだ。事情を知らない外の面々から見れば、良からぬ力関係が働いていると訝しんでもおかしくないし、事実その視線をぶつけて来る者もいる。チーム内にあっても、隆聖の風当たりは未だ強い。


 与太話、とまでは言わぬが、そんな風説を監督たるこの男まで信じているとは、信じがたいが。


「かかか、冗談よ」


 と、幸造はすぐに破顔してみせた。平生のとぼけた顔である。


 顔には出ていないはずだ。が、さしもの隆聖も狼狽した。何とも心臓に悪い爺である。


「こちとら新入り。あんまり虐めんといてほしいもんです」


「そう思うか? さっきのは冗談じゃが、お前の実力を信用しとらんのは事実じゃ」


「……はは、雇っといて、あんたがそれを言いますか」


「Aクラスの出場経験もない。若手でもないから育て甲斐もない。これが言わいでか?」


 痛いことをずけずけと言う。しかし、その通りだ。


「今日も奴らを熨してますが。それでも?」


 彼方で息を荒げるライダーを親指で差した。いずれ劣らぬ実力を持った歴戦の騎士たちのはずだ。だが、それでも隆聖は容易く倒して見せる。まだ、彼らの槍が隆聖を掠めたことさえ、一度たりともないのだ。


 だが、それを聞いた幸造は鼻で笑った。


「身内を叩いて金や名誉になるものか? わしに認められたくば……初戦、勝って見せよ。それだけよ」


「……違いない話や」


 ライダーの存在意義とは何か?


 結局そんなものはたったひとつ。勝って、強さを誇示すること。チームに勝利をもたらせぬライダーなど、誰にも必要とされるわけがない。


 だから、隆聖はここでも勝たなければならぬ。幸造のためでも恭子のためでも、ましてチームのためでもない。


己の活路を開くために。たとえ、かつての戦友を、《彼女たち》を踏み台にしてでも。


 と、思い出したように、幸造が顔をしかめて周囲を見回し始めた。


「――しかし、長尾のとこの倅は何処に行ったんじゃ?」


「あのナルシーなニーサンか。ふん、まだこっちには顔見せてへんけど……」


 それと言うのも、隆聖のスパーリングパートナーの話である。


今度の対戦相手、《甲斐カザン》の山県源士という少年は、確かにプロになりたてのド新人である。だが、新人であるが故に、その情報は圧倒的に少ない。


 どのような技を得意とするのか?


 マシンの傾向は?


 戦う以上、対策は講じる必要がある。そのためにも、情報を入手する必要があった。


 そこで白羽の矢が立ったのが、山県と同じ高校のブラスト部に居たという長尾景樹だ。彼曰く、幾度か山県とも戦り合ったことがあるとのこと。もっとも、それだけならば隆聖自ずから槍を取ることもない。


が、長尾の父親はレース業界に広く顔の利く資産家だとかで、この《シックスセンス》にも多額の投資をする大スポンサーだという話だ。そのご機嫌取りという側面も、多分に見え隠れしていた。


 ともあれ、重要な初戦の前にして、無理をする気もさらさらない。試合前の準備体操程度の気持ちで、長尾景樹との練習を受け入れた次第である。その上で、多少なりとも山県源士の素性が知れたら目っけ物、といったところだ。


 ところが、当の長尾がいつまでたってもやってこない。


 不審に思い、近くにいた暇そうなスタッフにも尋ねてみた。ところが、しばらく前に構内でロードワークに勤しんでいたそうだが、その後、ぱったりと姿を消したらしい。


「ちっ、これだからボンボンは……弛んどる。なっとらん」


 幸造が腹立たしげに唸った。萎びたように皺の刻みこまれた頬が真っ赤に染まると、まるで梅干しの様でもある。隆聖は想像して、思わず噴き出した。


 とは言え、景樹については初めからあてにはしていなかった故、もはやどうでも良いという心境だ。だが、練習相手の不足だけは如何ともしがたい。


 アスファルトが伸びるコースの彼方を見やる。五人もいる《シックスセンス》のテストライダーたちは、皆既に疲労困憊といった様相で各々身体を大地に投げ出していた。


 かれこれ四時間、代わる代わる隆聖が相手をさせた結果がこれだ。最初は意気揚々、ともすれば、隆聖を喰って自分がレギュラーになり替わろうという気概さえ感じられたが、今となっては誰一人まともな闘争心は持ち合わせていない。


 一方、隆聖はといえば、まだ遊び足りない子供の様な気持ちでいる。整いつつあるマシンを弄びつつ、もっと走りたい衝動に駆られていた。


 そんなハードワークに耐えられる体力を彼が持ち合わせているということもある。が、それ以上にこのマシン、《センチピード》との親和性が高いことが、肉体への負荷を最小限に抑えていた。


 驚くほどに、マシンのリズムと自らのバイオリズムが合致する。まるで、マシンが自分の意思を感じ取って、そのように動いてくれているのかと錯覚するかの如く。


 隆聖は断言できた。これは自分のために生み出されたマシンなのだと。


 だからこそだ。疲労などは、いまだ感じるべくもない。それよりは、少しでも走り込み、槍を放つことだ。センチピードは生まれたばかり。鍛えれば、まだまだ伸びるはずだ。


 やむを得ず、我慢ならなくなった隆聖は、突っ伏すライダーたちに声を張り上げた。


「交代要員なんぞ、まだ来ぃひんで! 誰か、僕の相手できる奴はおらんのか?!」


 あの様子では、誰も立てるはずがないか。そのように諦めかけていた隆聖――だが。


「ここに、いるぞ」


 あらぬ方向から聞こえてきたその声は、ひどく静かで、そして厳かだった。


 振り返る隆聖。そこには、一人の男が佇んでいた。


 いや、厳密には男かどうかまでは分からない。そこにいたのは、プロテクタを着込み、しっかりとヘルメットまで被った人の姿であったからだ。


「君、長尾君か……?」


 ライダーは、黙したままコクリと頷いた。


 この施設内でも何度か見たことがある。全身を白い装具で固めた姿で、それが長尾景樹であると隆聖は判断した。ただ、何処をどの様にして歩いてきたのかは知らぬが、随分と薄汚れているように見える。彼の認識では、長尾はどこか潔癖じみた性格の持ち主だと感じていたのだが。肩に描かれた一角獣のシンボルさえ、泥に汚れてその輪郭を隠していた。


 と、その長尾の背後からまた一人男が駆け寄ってくるのが見えた。


「ちょっ、待てよゲン――……長尾!」


 どうしてか、随分と慌てふためいた声音でライダーの名を呼ぶ。


 はて、こんなメンバーはいただろうか。と、隆聖は首を傾げた。


 見たところまだ若く、少年と呼ぶに相違ない小柄な様相だ。チームキャップを目深に被っているために、その人相は窺い知れない。


 ともあれ、隆聖本人も《シックスセンス》に迎えられて日が浅い。偶然、今まで顔を合せなかっただけだろうと思い直した。


「なっちゃおらんな、最近の若いもんは。自分から売り込んでおいて、遅刻するとはどういう了見じゃ? ああん?」


 幸造である。例によって顔を梅干しのように赤くしながら、凄味を利かせた声で脅しをかけている。年季か、あるいは元来の性格か。我らが監督ながら、これで本当に堅気かと見紛う威圧感だ。


 これには年若いスタッフも縮み上がった様で、「ひっ!」と甲高い悲鳴を上げた。


「まあまあカントク。そう喧々言わんとってください。長尾君かて、理由があったんやろうし」


「ここで、ブラスト以上の用事があるのか? ああん?」


 ああ、この有無を言わさぬごり押し具合は、完全に頑固爺のそれである。唾をまき散らしながら前のめりに説教されるので、さしもの隆聖も口角を引き攣らせながら車上で大きく仰け反った。


 随分と面倒なことになった、と内心嘆息する隆聖である。しかし、これでは景樹も試合どころではないだろう。何と言ってもまだ高校生。しかも金持ちのボンボンとくれば、怒鳴られた試しもあるまい。


 ビビったにせよ激昂したにせよ、正常な心理状態でない限り、まともな試合などできるはずもなし。


 今日の所は帰った方が良い。そんな言葉でもかけようかと、横目にちらと長尾の姿を見た、が。


(……なんや、こいつ。話聞いてなかったんか?)


 隆聖は、そこで物静かに佇む景樹に強い違和感を覚えた。


 勿論、ヘルメットに覆われて顔は見えぬから、表情からあからさまに感情を推し量ることはできない。


 だが、立振る舞い。あるいは、彼の醸し出す雰囲気とでも言うのか。それらからは、微塵も恐れや焦りは感じられなかった。


 むしろ、至極自然体で、まるで何事も無かったかのように立っているのだ。肝が据わっているのか、それとも極度のマイペースなのか。


 隆聖はいっそ呆れた。そもそもこの男、先ほどから、一切幸造の姿を見ようともしないのだ。


 何故、そんなことが分かるのか? ……決まっている。奴の視線は、ゴーグルカメラの奥に隠れた彼の両目は、間違いなく隆聖のみを射抜いていたから。


 景樹の視線は一切揺らがない。まるで、隆聖以外は眼中にない、とでも言った具合だ。


 ――いや、きっとそうなのだ。事実として、長尾景樹は今、隆聖以外に興味がない。


 それは、ブラストライダーとして当然の心理である。これから槍を交える相手の、一挙手一投足をも見逃さぬという気概、騎士の習性。目の前にいる男は、正しくライダーの資質を持ち合わせた者である。ただそれだけの事なのだ。


 面白いやつだ。隆聖は思わず破顔した。


 この男、長尾景樹とは数日前に一度会ったきりだ。その時は、さほど人物には思えなかった。気分屋……というか、まあ、決してストイックな性格には思えなかった。


 それが今、目の前に立っているライダーと同一人物だとはにわかには信じがたい。


 そこに、わずかではあるが興味が湧いた。


「まあまあカントク、そこらへんにしときましょうや」


 半ば我を忘れているのではないかと言う程激昂する幸造を、隆聖は宥めに回る。


相手はこのチームにも強い発言権を持つ御仁の息子。ならば、少しくらい恩を売るのも悪くない。そんな意図も多分に働いた。


 が、やはり隆聖もブラストライダーだ。ライダーならば、槍を交えてこそ。


「こんなことに時間を割くんは惜しい。せっかく五体元気に動かせるライダーがおるんやし。何よりここはブラストコース。やることは一つ、やろ?」


 返す刀で、景樹に笑いかける。景樹は物言わず、ただ一度だけ首を縦に振った。


 さて、ではこの爺さんは何と言うか。


 初めこそ、しばし青筋を立てて隆聖を睨んだが、しまいには呆れたように嘆息した。


「……ふん、好きにせい」


 思った通り、と隆聖は内心ほくそ笑んだ。


 なんだかんだで、この海野幸造もブラストだけで生きてきたブラストバカだ。ケリは槍で付けるなどと言えば、むしろ燃える類の人間である。


「よっしゃ、決まったな。長尾君、まずは一試合だけや。それで、君が僕の練習相手にふさわしいか見たろ。ええな?」


 随分と穏やかな口調で言ったものだが、暗にお前は格下だと挑発する物言いをしてみた。自意識の高い小坊主がどういう反応をするか、少々謀って見たのである。


 が、それでも景樹はいささかも動じないようだった。先ほどと同じ、白いヘルメットを縦に揺らすだけだ。一言も喋らず、むしろ傍らにいる帽子の少年の方が、何か言いたげにソワソワしている風にも見える。


 ま、いい。興味が湧いてしまった以上はやるだけだ。


「ええと、君。名前は……まあええか。彼のマシン、用意したってぇな」


「あ……え、俺?」


 帽子の少年は、せわしなくあたりを見回した末、驚いたように自分を指差して見せた。


「せや、君以外に誰がおる?」


「いやでも……いいんすか?」


 少年の頬を一筋汗が伝う。何を躊躇っているのかは知らないが、妙な奴だ。景樹にチームのマシンを触らせるのが気になるのか? ここには、《シックスセンス》の車両しかあるまいに。


「だって俺は……おうふ!」


 と、景樹がおもむろに少年の尻を蹴り飛ばした。


 唖然とする隆聖に幸造。


 少年は恨めしそうな目で景樹を睨んだ。


「てめえな……ああもう分かった。やりゃいいんだろ! 俺はどうなっても知らんからな! ……ったく、マシンの規格は同じなんだろうな?」


 まるで捨て台詞のように怒鳴ると、少年はマシンを待機させているブースへと走って行った。


「変なメカマンやな。おもろい奴」


 少年を見送って、隆聖は頬を掻いた。あんな奇妙なスタッフが居て、どうして今まで気づかなかったのだろう。不思議だ。


 しかして、残されたのは隆聖と神妙な面持ちの幸造、それに未だ被ったヘルメットで顔を見せない長尾景樹。


 景樹は喋らない。代わりに、はめたグローブの具合を確かめるように、掲げた手を握っては開く動作を繰り返した。


 その仕草はまるで「さあ、戦り合おうぜ」と隆聖を威嚇するようでもあった。




 ***




 さて、お手並み拝見だ。


 隆聖は再び灯を入れた《センチピード》に跨ると、二度三度とアクセルレバーをひねり、主機の咆哮を確かめた。


 逐一読み込まれては、ヘルメット内臓モニタに示される出力波形。隆聖のコントロールに合わせて波打つ波形。モーターのレスポンスは良い。問題らしい問題は見当たらず、セッティングも終盤に近付いている証である。


 一方、長尾景樹が駆るのは、《センチピード》のスペアカー。本来はチームのセカンドライダーが使うはずだったものが、急な欠場によって行き場を失っていたものだ。スペックはおろか、制御面でも隆聖の蓄積したデータがフィードバックされている。隆聖の《センチピード》と、ほぼ同じものと言っても差し支えない。


 となれば、後はライダーの能力が勝敗を分ける。聞いたところでは長尾景樹は技巧派よりのオールラウンダー。隆聖と同タイプのライダーだ。


(せやったら、負ける訳にはいかんな?)


 隆聖はヘルメットの奥で上唇を舐めた。アクセルレバーに力を込める。


 今、シグナルが点灯した。


 クラッチを繋ぐ。わずかな衝撃と共に、《センチピード》が前進を開始。ツーリングでも始めるかのようにゆるりと進みだしたマシンは、徐々にそのスピードを上げ、直に巡航速度へと達した。


 景樹と交差するまで、後十秒ほどといったところか。隆聖は考えを巡らせる。


(初っ端、普通に突くんも芸がないやろ)


 技巧派同士のバトルである。お互いに磨き上げた技を繰り出しあう。それこそが彼らの勝負師としての本懐だ。少なくとも、隆聖はそう認識している。


 常套的に使う《フリック》もいいが、先刻使ったので隆聖的には面白みがない。何か、小手調べに良い技は――


(ん、《ホップアップ》でいくか)


 《ホップアップ》。フェイント系のスキルに属する《フリック》と異なり、この《ホップアップ》は刺突スキルの一種だ。インパクトのわずか手前で槍の穂先を巧みに跳ね上げる。その不規則な機動で、相手の回避をキャンセルするのである。


 この《ホップアップ》を彼が上手く捌けたならば……認めよう。景樹は立派なブラストライダーである。逆に、《ホップアップ》ごとき対処できないようでは、プロとの勝負など夢のまた夢である。


 互いに高速で疾走する中、瞬く間に景樹のマシンが迫った。


 そろそろか、と隆聖はアクセルワークでタイミングを計り始めた。この手のスキルが最大限の効果を発揮する瞬間は限られる。


 交差する刹那、放たれた槍の思いもよらぬ動きにこそ、敵は動揺して集中を乱す。一瞬早ければ感づかれ、遅れては意味をなさない。故に、呼吸のリズムとマシンのスピードを整え、最良と思われるポイントを常に予測し続けるのだ。


 景樹も隆聖と同じ宗旨のライダー。自然と、その交差に向けての予備動作になってくるはずだ。互いにタイミングを伺う勝負になる――はずだった。


「長尾君のスピードが落ちん……?」


 眼前に迫るマシンは、減速する素振りを見せない。のみならず、初速が明らかに速い。


(お望みは高速戦? そんなに腕に自信があるんか?)


 ハイスピードであることが悪い訳ではない。ただ、スキルを放つタイミングが明らかにシビアになるというだけだ。景樹のマシンは、目測で百五十キロオーバー。トップランカーでも、このスピードで技をかけるスピードジャンキーはそういない。


 ならせいぜい、自滅しないように注意することだ。隆聖はあくまで、自分のペースを崩さない。


 悠然と構えに入る。柄を握る手はわずかに遊びを持たせて、デリケートなコントロールを必要とする《ホップアップ》独特のハンドリング。


 交差まで、あと三秒程度。隆聖が僅かに尻を上げた、その時――


 眼前に目一杯、景樹の槍が迫っていた。


「――っ?! ちいっ!」


 何故――そんな疑問より、まず先に体が動く。腰をひねり、上体のポジションを捻じ曲げる。


 強引なモーション、筋肉が悲鳴を上げるが、痛みは無視。まっすぐ突き進んだ景樹のランスが、隆聖の腕を削るように掠めていく。


 互いのマシンが擦れ違い、そのまま遠ざかっていく。


 隆聖は槍を突きだすことも出来なかった。それほどに、景樹のモーションが早かった。いや、単に早いのではないのだ。


 脳裏に先ほどの映像を反芻する。


 違いない。景樹の槍、気が付いたときには景樹を捉えていた。どういうことだ、一瞬で距離を詰めてきたとでも言うのか。


 だが、そのように見えたのだ。まるでワープでもしたかのように。


 マシンを一時停車させる隆聖。掠っただけでポイントを奪われたわけではないが、不意を突かれたという一点において、彼は自分への憤りを隠せないでいた。


「あいつ、何がオールラウンダーや。あれじゃまるで……」


『ゴリゴリのストロングスタイル。ロマンの塊のような男よ』


 ヘルメットに内蔵されたヘッドセットから声が聞こえた。幸造である。


「カントク、聞きますけど、あれは長尾君ですか?」


 明らかにプレイスタイルが聞いていたものとは違うのだ。ストロングスタイルは肉体的優位やスピードに頼んだ高速戦により、真っ向勝負で勝ちを奪う戦い方。


 派手で大味だが、その分読みやすいとされる動き故、現代ブラストではいささか主流から遠ざかったスタイルである。


 だが、彼の動きはそのストロングスタイルに限りなく近かった。しかも、その突出力は手加減しているとはいえ、隆聖をして圧倒されるものだった。


「わしも知らなんだ。小僧があのようなチャージングをするとは。いや。と言うよりは、もはや別人の領域」


「監督もそう思いますか。あれ、替え玉と違いますか?」


 思えば、ほとんど喋らなかった景樹。ヘルメットさえ隆聖と幸造の前で脱ごうとしなかったその様は、不信感を覚えずにはいられない。


 すると、幸造は少し考えるように間を置いたのち、ぼそりぼそりと喋りだした。


「……それだが、あの帽子をかぶった小僧な」


「あのメカマンですか? マシンを用意させた……」


「うむ、今気が付いたんじゃがな。わし、あんな奴雇った覚えがない」


 ――このジジイ、耄碌しやがって。隆聖は内心毒づいた。

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