Chapter23
多少、覚悟はしているつもりだった。これだけ広大な敷地に詰め込まれた施設。並みである訳がないと。
それすら、甘い考えだったと察した時、源士は己の無知にいささか嫌悪した。
「ここが開発ラボ。常時数台のプロトタイプを製作しています」
恭子に促されるまま招き入れられた区画。バスケットのコートを二面張って、なお余る様な広いエリアである。白い壁で囲まれた空間は工業施設の割には妙に清潔で、工場というよりは研究所のようだ。
そこには、いまだ部品状態で並べられたものから、既に外装が装着されていつでもコースに出られるようなマシンまで、目に見える範囲でざっと十は下らないモーターバイクが並んでいた。中には、甲高い駆動音を唸らせてシャーシダイナモの上を全力走行する機体もあった。
「ちょっと待てよ……出場できるライダーはせいぜい二人だ。なんでこんな、ひっきりなしにマシンを開発しなきゃいけないんだ……」
兵吾が呻いた。ひどく青ざめた顔が、彼が困惑ぶりを表している。
源士も表情にこそ出さないよう努めたが、ほとんど同じ感情に晒されていた。それほどに、このラボと呼ばれる施設は、二人の想像を超えていたのだ。
と、恭子が微笑んだ。あるいは、「良く気付いてくれました」とでもいう風に。
「ここで今も組み立てられているマシン、今はまだ最新鋭です。でも来年の今頃には、きっと鉄クズです」
「鉄……クズ……?」
「そう、鉄クズ。んー……正確には、時代遅れのロートル機になります」
「ロートル……はあ!?」
瞬間、兵吾がカッと目を見開き、そこに並ぶマシンを睨みつけた。彼の肩が隠すこともなく震える。
「これがっ、まだ走らせてもいないのにかっ!」
「テストはしますよ? その後は、まあ解体するでしょうが」
「テストは、って……実戦にも使わないのかよ……」
「勿論、これらのマシンで得られた知見は、すべて次のマシンに反映されます。そうですねえ、実戦型も今シーズンの中ごろにはロールアウトするでしょう」
「なっ……!?」
兵吾の表情が凍りつく。言葉を失う程に衝撃的だったのだろう。
まだシーズンも始まっていないのに、数か月先には新型マシンを投入する話をしているのだ。源士たちなどは、まだこれから使うマシンの調整も完了していないと言うのに。
「技術は日進月歩。それだけマシンの開発競争は激化してるのです!」
ぬふー、と鼻息も荒く宣言する恭子。よほど、チームの開発力に自信があるのだろう。事実、所狭しとモーターバイクが並び、スタッフが黙々と作業を繰り広げる光景は、壮観ともいえる。
だが、同時に生まれる疑問もある。
「わからないな。それだけのチームパワーがあるのに、何故Bクラス止まりなんだ?」
源士が気になるのは、まさにそれだった。プライベーターとは言え、これだけのマシンを立ち上げる体力はワークスにも比肩する。
だが、実際にはどうか。
デビュー間もない源士と、前シーズンで結果を残せなかった《甲斐カザン》はBクラスという立場。所謂、マイナーリーグ扱いだ。
その源士とマッチングするということは、すなわち《シックスセンス》もまた、Bクラスに類するチームなのだ。
「それは……」
先ほどの自慢ぶりから打って変わって、恭子が言葉を濁した。図星、といったところか。
「私たちも、前シーズンまではAランクだったんですよ? でものメインライダーが終盤で怪我をしてしまって……既定の試合数に満たなかったの」
「これだけのチームなら予備ライダーがいない訳ないだろ」
「勿論います。でも、上位ランカーと拮抗するだけのスキルはなかった……」
言って、恭子は肩を落とした。その経験は余程悔やまれたのだろう。
「で、でもです! 今年は違いますよ! なんたってリューセーさんがいますから!」
かくして、そこに行き着くわけか。源士の中で、揺蕩っていた二本の糸が繋がった気がした。
穴の開いた選手層を補てんするために、《シックスセンス》は真田隆聖を引き抜いたのだ。
そして、隆聖はその誘いを受けた。美晴の《カザン》を後にして――
***
重要な施設であるはずのラボを詳らかにした以上、隠すものはさほどないらしい。その後も様々なエリアを、海野恭子の懇切丁寧なガイド付きで見て回った。敵ながら、機密保持のずさんさを心配するところである。
しかし、だ。これで多少なりとも得られたものがあれば、わざわざ来た甲斐があったというものだが、現実は厳しい。
突き付けられたのは、圧倒的な戦力差。チームとしての格の違い、
「プロってのは、一体何なんだろうな」
兵吾のあまりに抽象的過ぎる問いかけに、源士はただ押し黙った。そんなもの、今の源士にも分かるはがない。だが、何かしら兵吾が感じている者は理解が出来た。
少し外の空気を吸いたいと言って、源士と兵吾は逃げるように屋外のベンチへとやってきた。ここに、恭子はいない。
「甲斐は、さ」
重苦しい雰囲気を醸し出して、兵吾が口を開いた。
「すげえ奴だと思うよ。まだ高校生なのに、マシンのカスタムどころか設計までやってさ。それに、あんなでもチームの運営もやってるし。正直、あいつみたいなのをプロっていうんだと思った」
それは、そうだろう。誰も美晴を並みの女子高生だとは思っていない。あいつはあいつで、何か歳不相応の覚悟だとか使命感を背負っているのだろう。
だが、二人は見てしまった。一人の力ではどうにもならない、圧倒的な組織力と資金力。どれほど望んだところで、手に入れようもない力を。
源士も兵吾も、それをひしひしと感じてしまった。
「俺たちがあの狭い作業場でやっと一台仕上げてる間に、こいつらは何台のマシンを組み上げてるんだ? ……これじゃ勝負にならねえよ」
頭を抱えて嘆く兵吾を、源士は後ろから見守る。
ふと、思う。美晴もこんな気持ちでいたのだろうか。
美晴は、真田隆聖は《スキルブック》だと言った。すなわち、いかなる状況にも対応できるだけの技を持ったテクニシャンだと。
それだけでも、なまじ戦術の振り幅が極端に少ない源士にとっては天敵に違いない。
だが、さらに恐るべきは、そんなライダーが《シックスセンス》と組んだことではないのか。あらゆるライディングスタイルに精通した男と、多彩なマシンの開発に長けたチーム。
その二つが合わさった時、果たして彼らに死角はあるのか。
まだ戦ったこともない相手に、ここまで臆病になるのもどうかと思う。が、それでも、初めて向かい合ったときの、隆聖の不気味な笑顔が重なって、源士の中にも言い知れぬ恐怖感が積もっていった。
さあ、どうする? 源士は心の中で問答する。
これ以上ここを見て回っても、ネガティブな力の差を思い知るだけではないのか。兵吾などは既に自信を無くしている。
自分は……自分の闘争本能さえ、萎える事にはならないのか。
源士は黙って空を仰いだ。すでに、相対することを躊躇う自分がいた。正直に言えば、今あの男を、真田隆聖の走りを見るのは、怖い。
「――はっ、はっ、はっ……」
その時、何者かの息遣いが耳を打った。
定間隔で吐き出される息。後を追うように聞こえてくる足音は、随分とペースが速い。
ロードワークか、しかもかなり負荷が高い。
息遣いも靴の音も次第に大きくなっていき、間もなくその音の主が姿を現した。
構内を一回りするように舗装された太いアスファルトの道を、一人の男が駆けていた。白いライダースーツで身体を覆い、白い長髪をなびかせる……そう、軽薄なまでに白い出で立ちの、見覚えのある男。
「……長尾か?」
間違いない、長尾景樹だ。入門の時、打ちこんだ奴の名前が弾き返されたが、まさか本当にここにいたとは。
「――き、貴様等!? 何故ここに!?」
いささか驚いた源士の声に、景樹もすぐに反応した。立ち止まるなり、露骨に嫌な顔をこちらに向けてくる。
「何故って……まあ社会見学だよ」
と、面倒くさそうに兵吾。先ほどから下がり気味のテンション故か、かなり投げやりな感じで言い捨てた。
「で、お前こそなんでこんなところにいるんだ? 暫く学校にも顔見せてなかったと思うが」
「ウチは海野にも多額の投資をしているからな。僕もたびたび、ここの施設でトレーニングをしているのだ」
得意げに踏ん反り返る景樹。別に金を出しているのはお前ではないだろう、と言いたいところだが……それよりも、ひとつ気になることのある源士は、多少眉をひそめながら尋ねた。
「まさか、俺に負けてから、ずっとここで練習してたのか」
この無駄にプライドの高い男がそんな殊勝な真似をするとも思えなかったが、その反応はいささか予想外だった。
景樹は何ともバツの悪そうに眼を逸らした。
「……この僕が、貴様に負けっぱなしと言う訳にもいかんだろうが」
認めたくないのだろう。その表情は苦々しい。それでも、憎き敵ともいえる源士にそんな本音を露わにしたのだ。
性格はともかく、案外と真面目な奴め。と、源士は思わずニヤリと笑った。
「貴様は……僕を馬鹿にして!」
「いや、してない。むしろ感心した。お前もブラストライダーなんだな」
あらゆるライダーが持ち合わせる気質高いプライドも、負けず嫌いの性格も、すべては『自分こそが最強』だという自信と誇りの裏返し。景樹もそれらを持っている。一角のブラストライダーとしての矜持を。
敵であり、鼻持ちならない奴だったとしても、彼もまた真にブラストライダーであったことが、源士は素直に嬉しかったのだ。
「ちっ、今度戦う時は覚えていろよ。だが今は、貴様と痴話喧嘩などしている暇はない。試合の相手を待たせているんでな」
「試合相手……てなんだそりゃ?」
兵吾が尋ねる。景樹はいつもの調子の良さを取り戻したらしく、得意げに鼻を鳴らした。
「貴様らは知らんだろうが、《海野シックスセンス》は近々公式試合をするそうだ。僕もプロデビューするが、彼らとマッチングするのはもう少し先の話になるからな。まあ、スパーリングの相手と言ったところだ」
「へ、へえ。流石芦原のエースはちがうなあ」
「あ、ああ。あやかりたいな」
「ふふふ、そうだろう? もっと褒めるといい」
よもや、その公式戦の対戦相手が目の前にいるとは、景樹も思うまい。あからさまに抑揚のない棒台詞で返す源士と兵吾だった。もっとも、景樹の方はそんな彼らの動揺にも気付かないようで、ただでさえ長い鼻を更に伸ばしているらしかった。
「貴様らも、暇があるなら僕たちのハイレベルな戦いを見学するといい。まあ、理解できるとは思わないがな」
やはり景樹の性格は試合に負けたところで変わらないようである。いつもの高笑いと共に去っていった。
「そうか、あいつも努力してるんだな」
「性格は相変わらずだけど……って、今は関係ねえよ。あんな奴」
兵吾はため息を漏らす。いまだ、組織力のギャップを引きずっており、その気は晴れないらしい。
「せめて、シックスセンスのマシンのスペックくらい分かればな」
「分かれば……どうするんだ?」
「戦い方の傾向っつうか……対策くらいは立てられるかもしれないじゃんか」
「対策、な」
正直言って、それは難しいだろうと源士は思う。真田隆聖があらゆる戦術に長けたライダーであり、それをスカウトするようなチームであるならば、彼らはそんな真田のスタイルに追従できるだけのマシンを準備できるのだ。付け焼刃の対策では、それこそ美晴の二の舞で、当たり障りのないマシン調整で中途半端に対応力を上げることになりかねない。そんな茶を濁すような真似はしたくない。
しかし、兵吾が言うように彼らのマシンについてもっと情報が欲しいのは確かだ。と言って、戦うための対策を立てたいのではない。
ただ、知りたいのだ。真田隆聖が《甲斐カザン》を捨てて門を叩いた、《シックスセンス》というチームのマシンを。
それが真田隆聖を、倒すべき敵の心を知る、大きな手掛かりになるはずだ。
一度でいい。マシンに跨るチャンスさえあれば、それだけでも――
「ああ、乗ってみるか……?」
思いついた、奴らのマシンを知る方法。だが、我ながら危険な策を考え着くものだと、戦慄もした。あるいは、そんな無謀をあっさり実行に移そうとしている自分にも。
「兵吾、縄とか……ああ、バッテリケーブルでもいい。なにか縛れるものを探してきてくれないか」
甚だ妙な頼みごとである。聞いた兵吾は、すぐに「はあ?」と怪訝な顔をした。
「んなもん、何に使うんだよ」
源士は景樹の歩いて行った方を確認した。走れば、まだ追いつくだろうし、『不意打ち』ならば奴にも負ける気はしない。
このたくらみ、少々悪役じみてはいるが、仕方があるまい。興が乗った源士は、少々意地の悪い笑顔で兵吾に答えた。
「簡単な話だ。長尾を縛るだけさ」
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