Chapter16

「ふふん、良きかな良きかな」


 美晴は鼻歌交じりでラップトップのキーボードを叩いた。モニタ上では、美晴の指の動きに合わせて長く複雑な数式とアルファベットの羅列が踊る。モーターバイクの出力特性を決定するプログラム、その一端だ。


 長尾との決闘から一週間。そして、源士のプロテストから三日が過ぎた。まだ、興奮が冷めやらない。思い出すたび、心臓がとくとくと音を立てだす。


 あの私闘の後、懲罰として二週間の謹慎を言い渡された。もっとも、美晴にとってはどうでも良い事である。ただブラストライダーのスカウトを目的に学園へと乗り込んだ美晴である。勉学に勤しもうなどという気持ちは、最初から持ち合わせていない。


 そんなわけで自宅謹慎の身ではあるが、お察しの通り活動的な彼らはすでに西へ東へ縦横無尽に活動している。プロテストもその一環だ。


 では今はどうしているか。


 美晴は、とある場所の一角にいた。木目調の壁紙に天井扇など据え付けられており、後は調度品さえ整えれば、喫茶店などと称してもやっていけそうだ。


 だが、ここの壁にかかるのは高級な絵画ではなく、重々しいクロムメッキの工具一式。そして床に並べられるのは、テーブルではなくモーターバイクの数々。スクーターからレーサー、アメリカン、多種多様な『商品』が軒を連ねている。


 そして、壁には『各種整備受付〼』の掲示。


『甲斐モータース』


 どこにでも見かける、街のオートバイ屋さんと言ったところか。


 現役女子高生、そしてプロブラストチームの経営者を美晴の顔とするならば、ここの店主と言う顔も、また彼女の側面である。


 足りないブラストの活動資金を稼ぐため、雅丈の提案で開いた店だが、売り上げとしては少々物足りない所ではある。開店して約一年、ようやく固定客がつき始めたところだ。


 最初は大して乗り気でもなかった美晴も生来の凝り性を発揮して、今ではちょっとしたゲーム感覚で店の経営に取り組んでいたりする。


 一時はこれを本業に食っていこうかと悩んだ美晴であったが……最近は、ここ一週間はそうでもない。


(次までに、あともう十キロ欲しい。できるか?)


「なーんて、いっちょまえに格好いい事言っちゃってさ……くふふ」


 あの決闘の後、山県源士が美晴に言った一言は、彼女のモチベーションを上げるに十分すぎる物だった。


 カリカリにチューンしたマシンを乗りこなして、まだ足りないと言える豪胆さ。良い根性をしていると思う。それに、デッドリースタイルなんて極端な戦法を使うあたりも肝が据わっているというかなんというか。


 少なくとも長尾景樹などよりは、よっぽど面白かった。


 そして、極めつけはプロテスト。戦闘力は申し分なかった。しかし、まさかオーバルコースを走ったことがないと聞いたときは、さすがに「あ、詰んだわ」と思ったが。


 短時間で、しっかりとタイムを叩きだして見せた。


そのポテンシャルは、紛れもなく本物だ。


 美晴はマシンビルダーである。マシンを設計し、組み上げ、調整することが仕事だ。だが、どんなに革新的な設計でも、どれほど金をかけた部品を詰め込んでも、乗り手が居なければガラクタも同然。故にマシンビルダーの望みは二つ。


 最高のマシンを組み上げること。


 そして、最高のマシンの性能を引き出せる、最高のライダーに出会うこと。


 源士は未熟者だ。荒削りなフォームには隙も多い……だが、だからとて下手だとは限らない。


 きっと彼の性分は、美晴の組み上げるマシンに合っている。


 今は、それで十分だ。


 駆け出しのマシンビルダーとライダーで、これからどこまで行けるのか。それを思うと、美晴はわくわくしてたまらない気分になった。どこまでも行ける。きっと、頂点だって目指すことが出来る。そんな全能感にさえ満たされる。


 美晴はキーボードを叩く指を止め、ふとモニタの向こう側を覗いた。


 一騎のモーターバイクが鎮座している。未だ外装も、ホイールすらも装備されていない。フレームとモーター、制御ユニットが接続されているだけだ。その姿はスマートで、四速獣の骨格をも彷彿とさせる。


 こいつは、これまで源士が操ってきた練習車とはわけが違う。美晴が一から設計した車体に、選りすぐりの部品で構成した規格外のワンオフ機。


 これが完成した暁には、美晴たちはついにプロリーグへと殴り込みをかけるのだ。そして、その時は決して先の話ではない。


「また、こんな時が来るなんてね」


 美晴はぼそりと呟いた。


 プログラムソフトを一旦閉じる。代わりに美晴が開いたのは、一枚のピクチャファイルだった。


 サーキットにて、一台のモーターバイクを数人の男が囲んだ集合写真。皆揃いの赤いツナギを着込み、肩口には『KAI』の刺繍。彼らがブラストのチームであることは一目瞭然だった。


 マシンは、今の時代のフォルムとは少々離れた、有体に言って古臭いデザインであるが、傷一つなく新品同様 ――そう、この時はまだ、最先端だった。


 そのマシンには、まだ義務教育に達するか否かの小さな女の子が、満面の笑みでマシンに跨り、段ボールで拵えたらしい手作りの小さなランスを掲げている。少々短めな髪の毛、にっと笑う大きく開いた口元は乳歯が抜けて一本ないし、短パンで活動的な格好は女の子と呼ぶには淑やかさに欠けるが、本人が言うのだから間違いない。


 これは、在りし日の甲斐美晴そのものなのだから。茶色い瞳の色も自信に満ちた表情も、たしかに美晴の面影を残していた。


 相変わらず、女らしさには欠けているか、と苦笑をこぼす美晴。とはいえ、それはまあいいのだ。


 彼女の視線は、マシンの最も近いところで佇む男たちに注がれた。


 白髪の混じった髪の毛に黒縁メガネの、初老の男性がいる。優し気な瞳に幸福の色を宿している。きっとこの時、彼は本当に、人生の絶頂にあったのだろうと思う。そして、今の美晴が感じているような高揚感も。


 彼もまた、一角のマシンビルダーであった。数々の優れたマシンを世に生み出し、数多いるライダーが彼のマシンに選ばれることを望んだ。そんなエンジニアであった。


 だが才あるがゆえに、彼も、彼のマシンも、またライダーを選んだということである。その才を見る眼は確かだが、同時に厳しくもあった……その厳しい眼に認められた人間がいた。


 老人の傍らで寄り添うように立つ男。老人の伸長を優に上回る長躯は、身体能力に恵まれたライダーたちの中でも一際恵まれていると言える。その顔こそ、目深に被ったキャップで見えないが、纏う雰囲気が戦士としての風格を現している。写真越しですら、分かるほどに。


 そういえば、と思う。この写真をまじまじと眺めていると、この長躯のライダーは彼に似ている。


 山県源士に。


「あの人も、結構な仏頂面だったっけ……」


 まだ幼いころの記憶だ。それはひどく曖昧で風化しつつあるものだが、まだ鮮明に焼き付いているものもある。マシンを駆り、槍を手に疾走する姿は、たしかに、今の山県源士のライディングとダブって見える。


(ひょっとして)


 ひとつ、何かに思い当たった美晴がそれを口に出そうとしたとき、カランと音が鳴った。来客を知らせるベルだ。


 そう、平生はブラストチームの責任者でも今はバイク屋の店主の甲斐美晴だ。これもブラスト活動資金のため、まずは目の前の仕事からこなさねば。


「いらっしゃーい! ご用件は――」


 ベルの音と共に閉じたドアの前に、男が一人。スーツに身を包む、見た目は気取った印象の若者。切り揃えられた灰色の頭髪が、表窓から差す光で美晴からは後光のように眩しく見えた。


「よ、お嬢さん。ほな、バッテリ交換お願いしよかな」


 関西弁ながらも独特なイントネーションで男が言った。


 知っている。美晴は知っている。


 この変わった方言も、開けているのか閉じているのか、遠目には分からないほど細い相貌も、そして少しとがった唇も。


 気付かなかったわけではない。そういうこともあるだろう、とは。


 だが、その時がこんなにも早く。


「まさか、あなたとはね。真田くん」


 真田と呼ばれた男は、唇の端を引きつらせる様に笑った。


 スーツの胸を飾る六つ星を象ったピンバッジが、光る。

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