Chapter17

 夏の日差しが一段と強まってきた。この炎天下でロードワークをこなすのは阿呆のやることではないか、などと源士は思ってしまうが、美晴に言わせればこれは高温下での試合に耐えるための訓練らしい。


 鍛錬は嫌いではない源士である。これまでも散々体を苛め抜いてきた、が。


 町をぐるりと一周、灼熱の太陽に焼けたアスファルトは輻射熱でさながらフライパンの上である。


「さすがに、これは、きつい……」


「スピードが落ちているぞ、山県源士。ペースを維持しろ」


 次第に息切れしながらも走り続ける源士の背後を、スクーターで追走するのは雅丈だった。こちらの疲労を知ってか知らずか、冷淡に指示を出す雅丈。ペースを落とさせない様にどんどん煽ってくる。


「もう……フルマラソン張りに……走ってるんだけど……な」


「まだ足りん。お嬢様のマシンに乗りたくば、この四倍は走ることだ」


 理論派を気取る割に随分と難題を突き付けてくる。終いには逃げ出すぞ、と内心毒づく源士だが、それでもなんとか両足を動かすことに努めている。


 ここ数日、ひたすら肉体強化のためにトレーニングに打ちこんできた成果が、わずかながらも出てきたのだろうか。少なくとも、お望み通り忍耐は多少身に付いたかもしれない。


 何にせよ停学期間中、やることが殆どないのだ。せいぜい反省文くらいのものである。


 で、みっちりと体を鍛えよ、というのがチーム監督甲斐美晴のオーダーである。何しろ退部処分を食らってしまった身。バイクどころか装備一式も没収された。今の源士はライダーとは名ばかりのただの人である。


 一週間前の、美晴と出会う前の源士ならば、地面に這いつくばってでも部に残留すること望んだだろう。ところが、眉間に青筋を立てた教官を前にして源士は、自分でも驚くほどあっさりと退部を受け入れた。


 知ってしまったのだから、仕方ない。世界は思いのほか広かったのだ。ブラストができる場所はあの古びた練習場だけではない。それを美晴が教えてくれた。


 まだ、マシンはないが、それは美晴が考えているに違いない。


 だから今は、走る。いずれ来るその時に、万全を期するために。


「と、言いつつ……もうゴールは目と鼻の先……なんだな、これが」


 赤錆の浮いた看板『甲斐モータース』の文字が見えてきた。学園のブラスト部を追い出された今、源士のただ一つの本拠地、とでも言うべきか。


「ちっ、もう着いたか。運のいい奴め」


「さらっと舌打しやがったな……」


 たっぷりと減速距離を設けて、ジャスト店先でようやく立ち止まった。ぜえぜえと息を荒げる源士。喉の奥から鉄っぽい匂いが込み上げてきて気持ち悪い。身体中の筋肉にも乳酸が溜まりっぱなしで、ああ、実に不快だ。


 しかし、この男。駒井雅丈は、どうも言動に一々棘がある。会話の節々からネガティブ且つ攻撃的な意思をひしひしと感じる。


「なあ駒井さん。あんた、俺のこと嫌いか?」


「なんだ、今頃気付いたのか」


 悪びれもせず、雅丈はあっさりと言い切った。


 スクーターの排気音が途切れた。と、膝に手をつき息を整える源士の頭に、タオルが覆いかぶさる。雅丈の気使いか。しかし、彼が次に放った言葉の雰囲気は、裏腹に冷淡なものだった。


「いいか良く聞け。お嬢様がお前をどう思ってるか知らんが、僕はお前も一ミリたりとも信用していない。僕はライダーを信用しない」


 あまりにハッキリと言ったものだから、源士までも困惑する。この男は、これからチームメイトとなる人間に何を言っているのか、と。


 呼吸は何とか整ってきた。頭にかけられたタオルをはぎ取って、雅丈の方を向き直った。冗談ではない、と思う。どうして自分が、ああも冷たい眼差しを向けられているのか。


「ライダーを、ってところが引っかかるな」


「お前たちライダーに、忠誠心はあるか?」


 呆れているのか、嘆息交じり、半ば嫌々という風に雅丈が問いかけた。


 が、源士にはその問いかけの求めるところがわからない。


 忠誠心?


 それは誰に向けるべき忠誠心だ。いやそもそも、どうして俺が、そんな気持ちを持たなくてはいけない。


 自分の考え方が間違っているとは決して思わない。ただ、この駒井雅丈が何に対してその思いを抱いているのかは、おぼろげに想像が付いてしまう。だが、もしそうであるならば、この男とは決定的に相いれない何かがある。そう思わずにはいられない。


「俺は美晴の手下になったわけじゃない。契約の上で、このチームであいつのマシンに乗る。ただそれだけのはずだ。もしそれで忠誠心なんて言葉を引っ張り出すなら、駒井さん、あんたちょっとおかしいと思うぞ」


「その契約、お前たちは平気で踏みにじるだろう」


 自分が喧嘩っ早いとは思っていないが、震える握り拳が行き場を探して今にも飛び出しそうになっている。源士は堪えるように「あんたは……」と呟いた。


 だが、雅丈は矛先を収める気もないと見えた。頭の回転が速いというこの男は、矢継ぎ早になお言葉を続ける。


「お前たちが求めるのは、あくまで強い『マシン』だ。意にそぐわぬマシン、扱いきれないマシンにはすぐそっぽを向く。あまつさえ、放棄する。チーム全体のことなど考えようとも思わない」


 物体が上から下へと落ちるものであるように、人がいずれ死ぬものであるように、それは世の理であると言わんがごとく、雅丈は整然と言った。


「お前たちライダーはそういう人種だと僕は認識している」


「よくもまあ……何があったら、そういう思考回路にたどり着くんだか」


「お前に説明する義理はない」


「どうして俺もそうだと言い切れる?」


「お前も裏切ったからだ。お嬢様のマシンを手に入れんがために、お前は芦原のブラスト部を辞めた。同じことが二度起きないとどうして言い切れる?」


「それは――」


 ダメだ。何を言おうと、多分この男は納得しない。それほど頑なに思い込み、拒んでいる。山県源士を、そしてブラストライダーを。


 しかし、何故……恐らくそこに、自分が今ここにいる理由が隠されているのだろう、と源士は悟った。


 美晴が源士のような素人を雇わざるを得なかった理由。美晴が、このような片田舎の町の一角を拠点とする理由。源士が考える以上に業の深い何かが……


「お嬢様がお前を認めた以上、私はお前の管理については全力のサポートをするつもりだ。だが絶対に信用はしない。お前がほかのライダーどもと違うと訴えるなら、そうだ。忠誠心を見せてみろ」


 憮然とした表情で睨む源士を尻目に、雅丈は店内へと入っていった。


 じっとりと暑い空気、けたたましいセミの鳴き声が後に残り、源士を覆い尽くす。右手に持つタオルさえ、汗を吸って重い。


 確かに、一般的に利己的なライダーが多いというのはよく聞く話だ。ブラストはチームで行うスポーツだが、その矢面に立つのは言わずもがなライダーであり、命を賭すのもまたライダー。そこにある種の歪んだプライドを持つ者も少なくはないのだろう。いや、ともすれば、源士であってもそれがないと断言できるわけではない。


 事実、源士はブラスト部を辞めたのだ。理由はどうあれ、自分の意志で。自分の欲求を満たすために。それは、ある側面、例えば現役のブラスト部員から見れば裏切りに見えるのかもしれぬ――


(いや、ないな……)


 残念ながら部内の評価は路傍の石ころ以下の源士である。今更、長尾に勝ちを収めたところで、厄介者には変わりなかろう……と、考えると多少傷つくものだが。


 だが、それはそれとしても、駒井雅丈の拒絶が常軌を逸しているのは確かだ。今後のチーム活動に影響を及ぼしかねないほどに。


「待てよ駒井さん。あんたやっぱり――」


 カランコロンと鳴るドアベル。ドアが閉まりかけた瞬間、源士は駆けだして店の入り口を潜り抜けた。が、すぐ目の前に佇む障害物、もとい駒井雅丈に阻まれて、思わずバランスを崩しそうになった。


 危ない、と言いかけて、止めた。雅丈の背中が戦慄いていた。


 店内に別段変わりはないはずだ。いつものように清潔だが寂れた感の否めない空間にバイクが陳列されている。ただそれだけのはずだ。


 だのに、どうしてか空気が重い。茹だる様に暑い外に輪をかけて、息苦しい。


 なにか異なるとすれば、そこには、一人見知らぬ青年がいた。


「よお、駒井君やないか。おひさしゅう」

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