Chapter13
また一台、マシンがホームストレートを駆け抜けていった。
速い。が、それは彼が求めるほどではない。
コースサイドでマシンに跨って、源士はその『獲物』ではないライダーを見送った。
数にして十台かそこら。
本物のプロライダー達が、源士など及びもつかないハイペースでサーキットを周回しているのを、源士はやや忍ぶようにして観察していた。
マシンにも当然のように灯が入っている。アクセルさえ捻ればいつでも走り出せる状況だ。黒を基調とした簡素なデザインのカウルは、源士が芦原で乗り回していたものと同じ、廉価な練習車両だ。そのうえ、美晴の手も加わっていない、正真正銘の練習車である。
今日の講習に使ったマシンをそのまま拝借してきた。ただ、有り合わせのダクトテープで幾何的な模様を施している。どれほど効果があるとも思えないが、ないよりはマシという程度のカモフラージュだ。
何せ、今から無許可でこのコースに躍り出ようというのだ。バレれば追放の上、出禁……で、済めばよいが。下手すれば賠償金ということもあり得る。
タイヤバリケードを挟んだ傍らでは、兵吾がストップウォッチを構えてコース上をひた走る各マシンのタイムを計測している。
その記録は雅丈がものの数分で構築したネットワークを経由して、源士のヘルメットの裏側に投影されるモニタにも逐一表示される。
今も、先ほどのライダーのラップタイムが基底現実の映像に重なって、視界の片隅にポップアップした。
『00:03:58:32』
このコースの基準タイムは四分ジャスト。ギリギリだ。もう少し速い奴を真似ないと意味がない。
「あれくらいのタイムから追いかけた方が良くないか? あんまり相手が速すぎると参考にならないって可能性もあるぜ」
「いや、四分ジャストを狙ってたんじゃ遅すぎる」
兵吾などはいくらか弱気なことを言っているが、源士は決して首を縦には振らなかった。
確かに、彼の言い分も一理ある。ド素人が達人の挙動を一目みただけで「ああ、なるほど」とその通りにやってのけるほうが土台無理なのだ。それではこの世の中、達人だらけのバーゲンセールになってしまう。
だが、だからと言って四分のタイムで走れたとしても、本番でそのように走れるとも限らない。現実は厳しい。実際には、その八割も出せれば良い方だと源士は思う。
だから、盗み取るのは何としても最も速いライダーのモーションなのだ。その一部でもよい。エッセンスを吸収することが出来れば、勝機はあると考える。
それに、源士にはただ一人、これはと思うライダーがいた。
ホームストレートで源士の前をかっ飛んでいったライダー。背中に六つ星を戴いたあのライダーだ。
あれは文句なしに上手い。重量級のマシンをものともしない軽やかなフォーム。
その技量は、源士にはない。だが手に入れなければならないものだ。
『00:03:55:28』
また一台、モーターバイクが追い抜いていく。先ほどのライダーよりも速い。しかし、まだ驚くほどではない。スーツの色も違う。たしかあのライダーのスーツカラーはオレンジだ。それに例の六つ星エムブレムも見当たらない。
『00:03:54:19』
これも、違う。
「参ったな」と、源士は目を伏せた。
暫く待ってはいるが、まだ例のライダーが姿を現さない。もう二、三周していても良い頃合いだが、ひょっとすると既にピットインしてしまったか?
考えられる話である。何しろ彼らはシーズン開幕を控えた練習走行。数週おきにピットインしてセッティングに微調整をかける、というのは最終調整のセオリーだ。
そうであるなら、しばらく奴は現れまい。
思わず舌打ちなどしてしまう程に苛立ちが募る。
時間は待ってくれない。二時間というタイムリミットは、今も刻一刻と過ぎ去っていく。
なのに、なぜ来ない。
やむを得ない。別のライダーを追いかけるか?
六つ星の男以外にも同等のタイムを叩きだすライダーはいた。そんな先駆者たちのいずれかは、今も黙々と走り続けているだろう。その内の、誰か一人でも捕まえることが出来れば、最初の目的は達成できる。
『00:03:48:37』
そら、今もかなり良いペースのマシンが駆け抜けていった。速い、技術もあるれっきとしたプロライダーだ。学ぶべきところは十分にある。
時間がないのだ。試しにあれを追いかけてみればよいではないか。
……だが、と。珍しく理論的に結論付けた答えを、源士の直感が完全否定する。
そう、誰でも良い訳ではないのだ。未熟者の源士ごときが相手を選ぶなどおこがましいのかもしれぬ。
が、それでも。ひっかかるのは、狙うのはあの六つ星のライダー以外にあり得ない。
どうして、そこまで拘ってしまうのだろう。
自分でもよく分からない。だが魅せられてしまったのだ。
であるからには、それは自分のものにしたくなるのが人間としての欲求であろう。
もっとも、その相手が来ないのではどうしようもない、というのもまた事実。
さて、どうする。やはり諦めるしかないのか。
「仕方ない。出る」
やむを得ず、源士はアクセルを握りこんだ
産声を上げた赤子のように、モーターが回転数を上げる。ゆっくりとした速度でマシンが動き出した――その時。
『00:03:49:24』
心臓が締め上げられる。背筋が凍る。追い抜いていった一台のモーターバイク。鮮やかなオレンジ色のスーツ。
そして、煌めく六つの流れ星。
そう、奴だ。
「……ありがたい」
源士は心底感謝した。神にか、仏にか。なんでもいい。ただ、あの男が目の前にいるということに、だ。
「兵吾、タイム頼むぞ!」
「ああ! 絶対、コケんなよ!」
兵吾がストップウォッチを掲げて叫んだ。「無理するな」とは言わなかった。それは源士の意に反するものであると分かるから。
だからせめて「帰ってこい」、ということか。
源士は兵吾を横目に頷いた。
改めてアクセルに手をかける。七分、いや八分までパワーを解放。
赤子の鳴き声は獣の咆哮に一変した。ウィリーしかけるマシンを抑え込む。すると、マシンはカタパルトから発進する戦闘機のごとく速度を増して前進させた。
***
源士はマシンを六つ星の真後ろにつけた。車間にして、二メートルかそこら。ここならば、六つ星の手の動きから重心の変化まで、すべてが手に取るようにわかる。かつ、そのモーションをトレースするにも、わずかながら余裕ができるわけだ。
六つ星のライダーは、源士の存在に気付いているだろうか。いや、この距離で気付かないわけがない。
ならば、問題は奴がどう出てくれるかだ。
ぴたりとマシンをつけられて、挑発されていると知ったライダーが取る行動は何通りかある。面倒くさがって道を譲るものもいれば、面白がって勝負に乗ってくれるものもいる。
では、この男はどちらだ? 理性的な前者か、闘争本能溢れる後者か。
コーナーが迫る。マシンは、先行するオレンジ色のシルエットは――
「っ……速すぎる」
速度を、緩めなかった。
想像以上のハイスピードで駆け上がっていくマシン。それは源士が制御しきれなかった速度を軽く超える。十中八九、タイヤはそのパワーを許容しきれずにその制御を放り投げるだろう。高度な電子制御もそこまでは面倒を見てくれない。
本当に行けるのか。源士は自分に問いかける。
ブレーキをかけるなら、今しかない……だが。
「奴は行けるんだろう? なら、俺が行けない道理はない、はず」
源士は目の前のマシンに追従する。当然、スピードは緩めない。
カウルに身体を伏せて、その視野には六つ星と、そしてコーナーを確実に捉える。
(さぁ、見せろ。あんたの速さの秘密を)
六つ星のマシンがコーナーに差し掛かった。
どう出る。源士が目を凝らした、その時。
――ゆらり
六つ星のマシンが不可思議に揺れた。まるで陽炎か蜃気楼のように、その車体は揺らめき立って、制御を失ったかのようにスピンして見えた。
源士は困惑した。言わんこっちゃない、あれは確実にあのライダーのミスだ。そのようにさえ思えた。
クラッシュに巻き込まれるわけには行かない。源士はブレーキに手をかける……が。
制御不能と思えた六つ星の車体は、次の瞬間には大きくバンク。弧を描くように旋回していく。
曲がる。確実に曲がっていく。そのラインは安定して、クリッピングポイントを突いていく。
しかし、何だ? この違和感は。
六つ星の後ろ姿は確実に、しかもハイスピードで旋回していく。だがその軌跡は、およそ源士が予想したのとは違うものだった。
マシンは進行方向よりも、さらに深いアングルを取っているように見える。と、いうことは、本来ならばあのマシンの旋回半径はもっと小さいはず。そのようなコーナリングでは、インコースに切り込みすぎるはずなのだ。
だがそうはならず、六つ星は極めて理想的なラインにマシンを乗せている。
源士にはそれが不思議で仕方ない。まるで物理法則に逆らうような挙動だ。
そんなことができるはずが――
「いや……まさか、できるのか?」
思いついたことが、たった一つだけあった。だが源士にとっては、にわかには信じがたい方法だ。むしろ、それだけはあり得ないと思っていた。
だが現に、目の前のライダーはそれをこなし、功を奏していると来たものだ。
やってみるしかない。源士は追従してマシンをバンクさせた。
捻りこむようにしてコーナーへと侵入する源士。
間を置かず、サスペンションが不穏な振動を拾い上げる。マシンは無情にも悲鳴を上げた。
膨大な推力に耐えかねたタイヤが、限界を超え滑り出す。
「っ……止まれよ……!」
源士は意思の伝わらないマシンに苛立ち、わずかに身じろぎした。
その挙動がマシンのバランスを乱す。
コントロールを拒絶したマシンは、意に添わない御者を振り落とすように、その車体を激しくバウンドさせた。
ハイサイド。源士は投げだされそうになる身体で、必死にマシンへと食らい付く。アスファルトに自らの足を擦りつけて、車体の動きを抑制する。
全身の血の気が一気に引いた。あと一歩コントロールを誤れば、源士はサーキットをボロ雑巾のように転がる羽目になっただろう。
ノロノロとした速度でどうにかコーナーを脱出した源士。ストレートの彼方に六つ星の後姿を探す。
が、その必要は何一つなかった。そしてその状況が、冷え切った源士の肉体を烈火のごとく熱くさせた。
目の前を低速で走る六つ星のマシン。振り返ったライダーの視線はこちらを、ライン状に煌めくヘルメットのカメラアイが、射るように源士を見つめていた。
(待っているのか、この俺を)
「くっ……くはは」
誰にも見えない。誰にも聞こえないヘルメットの奥で、源士は笑いを堪えることを止めた。
面白い。そっちがその気なら死に物狂いで追いかけてやる。
幸い、マシンに損害はない。源士はカウルに身体を預け、そして呟いた。
「あんたの《ドリフト》、盗ませてもらうぞ」
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