Chapter8

「勝てば官軍負ければ逆賊、ここが天下の関ヶ原! 全国四○万のブラストファンの皆様お待たせしました! 芦原学園、ブラストエキシビションマッチの開幕です! 実況は私、芦原学園報道部スポーツ班の新舘伊知子と、解説には芦原学園ブラスト部、高山右京さんをお招きしております!」


「どうぞよろしくー」


「さて高山さん! 今回の特別戦、長尾選手突然のプロ転向宣言から始まりましたが、一体どういう風の吹き回しなのでしょうか?!」


「まったくです、先生方をだまくらかすのも一苦労げふんげふん……来月からプロリーグも開幕ですから、長尾君は最初から何かしらやるつもりだったんでしょう。そこに、どうやら絶好の相手が現れたという……」


「早い話がカモ発見! と! しかし対戦相手の山県選手は我が校の二年生ですから、これまでも対戦経験があるはず。しかも報道部が仕入れた情報によれば、特筆すべきものもない平凡な成績とか?!」


「確かに山県君は実績の長尾選手ではありますが、今回はどうやら裏がある様子です。あの転校生の女の子がカギを握っているとか」


「やはりそうなのですね! 謎の美少女転校生、甲斐美晴! 我が報道部の取材によれば、転校早々山県選手に熱烈なラブコールを送ったとのことですが、何やらゴシップの香りが漂ってきますね~、うふ、うふふふ」


「げふんげふん!」


「……大変失礼いたしました。さて、その甲斐美晴氏ですが、スタンバイ中の山県選手に何か耳打ちしていますね」


「そうですね。甲斐さんもブラストに関しては一家言あるようですから、何か作戦を伝えているのかもしれません」


「こちらで仕入れた情報では、山県選手、甲斐氏、それにメカニック担当の小山田氏は今日一日講義に出席せず、整備ガレージに籠りきりだったとのこと、これは不埒や予感……もとい、この試合における秘策のようなものを検討していたのでしょうか!」


「え、ちょっと待って。その話は僕初耳なんだけど。なんでブラスト部の管理してる部室の事を君が知って――」


「さあ、甲斐氏は作戦の伝授も終わり自陣に戻る模様! シグナル点灯十秒前です!


「無視? 無視ですか? あ、もしかしてウチの監視カメラハッキングしてんな?!」


「シグナルが赤から……青へ! 今、スタートですっ!」


「オイコラてめえカメラ止めろぉっ!」




***




 シグナル青。


 アクセルレバーを開放すると、マシンはうめき声にも似た駆動音でもって、車体をゆっくりと前進させた。


 今までせき止められていた電力が供給される。それを得て回りだすモータは、さながら腹を空かせた獣のごとく、与えられたエサを食らい尽くして猛るのだ。


 だが、その獣に跨り、上体をカウルに伏せた源士自身は、未だマシンのポテンシャルを計りかねている。


 開放度はおおよそ三分の一。極々僅かに手首をひねった状態で、それでもマシンは従来と同等のスピードを維持している……ならば全開までアクセルを開いたときは、どこまで加速するのだろう?


 速度を求めたのは確かに源士であるが、それは源士にとっても未体験の領域なのだ。果たして自分に扱い切れる代物なのか。


『扱い切れなかったら、そん時は負けるだけよ』


「あいつならそんな事言うんだろうな、くそっ」


 無線を切って、ヘルメットの中で思わずそんなことを口走る。しかし事実だ。だから源士にはこのマシンを否が応でも御するほかない。


 だが今は、出走前に定めたオーダーに従って走らせている。おおよそ一〇〇キロ程度の巡航だ。


 そう、シグナル点灯ギリギリまで、美晴が耳打ちしていたのがそれである。


 勝負は三回、先に二回先取したものが勝つ。


 彼女はその最初から最後までを綿密に組み立てたうえで源士に説明してみせた。


『まずは、あたしが言った通りに走ってみなさい』


 自信満々にのたまう美晴。ならば従ってやろうではないか。それで、彼女の監督としてのがわかるというものである。


 マシンが巡航速度に達し、車体が安定したところで、源士はさほどの支えを必要としなくなった右手をハンドルから放した。これからもっと大きな仕事をしてもらわなくてはならないのだ。そのために、車体の右側面に取り付けられた得物の柄を握る。


 カコン、と子気味の良い音がして、ランスがラッチから解放された。


 軽量の樹脂素材で作られているとはいえ、身の丈ほどもあるこのランスを自在に操るのは骨が折れる。これを片腕だけで保持するのだから、一般にライダーの右腕は左に比べ太いと言われる程だ。


 ちなみに、源士の右腕も、メジャーで測れば左に比べて二〇ミリは太い。毎日五〇〇回の片手腕立て伏せは、初めてバイクに跨った時から欠かしたことがない。


 と、視線の端で、二回チカチカとフラッシュが通り過ぎた。コースに備え付けられたフラッシュライト。その点灯2回は、マッチングラインまで残り一〇〇メートルの合図だ。


 それを現すかのように、一直線に続くアスファルトの向こうに、奴の姿が見えた。


 違いない。白いスーツに白い車体。長尾だ。


 いよいよか。などと思う暇もない。


 時速一〇〇キロで疾走するマシンは、瞬く間に源士を所定の場所へと突き動かしていく。見る見る間に、長尾のマシンが大きくなっていく。


 あと、五〇メートルかそこら。もう逃げられない。いや逃げるつもりないが、しかし。


 眼前に迫った長尾がランスを構えた。優雅に、あくまで余裕を持って。こんなことは朝飯前だとでも言うように。


 源士も得物を構えなおす。その所作が美しいかは……さあ、自分でもわからない。しかし気迫は込めてみる。


 美晴は勝ちなさいと言った。兵吾は頼んだと言った。あいつらは、やれることを間違いなくした。ならば自分のやるべきことは。


「ちっ、ままよ」


 今、接触。




***




 観客席の歓声が一際大きくなった。と思いきや、それはすぐ騒めきに変わった。


 それで、美晴には一回戦の趨勢がなんとなく想像できた。ピットからは、遠く向こうのライダー同士のやり取りをしっかりと確認できない。しかし観客の反応は正直であからさまだ。


「あいつ、どうにか上手いことやったみたいね」


「ええ、そうなのか?!」


「下馬評通りの結果ならだれも騒めかない。つまりはそういうことだ……OK、見えます」


 ごく慌てるでもなく、事もなげに説明する雅丈。ノートパソコンの前で作業していた手を止めると、美晴の方をむいて肯いた。


 学園の放送部が映像をストリーミング配信していると聞いたので、寛一に手持ちのパソコンを繋がせたのだ。見ると、丁度接触シーンをリプレイ再生している。


 コマ送りのスタンディングフォームが、お互い徐々に重なっていく。なるほど、長尾は読み通り低い位置からの突き上げ。源士の十八番デッドリーを真正面から受けるを避けるため、体を伏せ目にして進行方向への投射面積を抑えている。この状態から、デッドリーで状態の伸びきった源士の上半身を下から突き上げるつもりだったのだろう。それならば十分に堅いと言える手だ。


 だが、あくまで源士がデッドリーを使うならば、である。


「源士の奴、ちょっとおかしいぞ……」


 傍らでPCのモニタを覗き見た兵吾がつぶやいた。


 兵吾、目聡い。いや、長年近くで源士のフォームを見てきたならば、気付いて当たり前か。


「デッドリーのフォームじゃない!」


「体が立ってますね。あれじゃあ足のバネをチャージに使えない。というか」


「ガッツリと反らしてるわね」


 つまり、立ち上がった上体はその重心を背後に。そしてランスはセオリーと異なる逆手持ち。高めに掲げた右腕からその長い穂先を、敵へと振り落とす独特の構えは――




***




「モビーディックだとぉ?!」


 通信回線がピットに繋がっているのも忘れ、長尾景樹は自ら取り乱しましたと言わんばかりの叫び声を上げた。


「どうなっている! あいつは馬鹿丸出しの突進しかしないんじゃなかったのか?!」


『お、落ち着いてください長尾さん……』


「くっ、うるさい! これが落ち着いてなどいられるか! ……僕が……この僕がポイントを取られたのだぞ?!」


 それは彼にとって由々しき事態である。


 ランスは簡易型のイミテーションコーンだから痛みは感じない。しかしぶつかり合った時の衝撃と今なお残る衝撃の残響――接触を示すために、スーツから発せられる微弱電流の刺激――は紛れもなく本物だ。


そして、カメラ越しからもはっきりと分かる。一筋の黒い擦過痕が景樹をまもる純白のスーツの右腕に、しっかりとこびり付いているのも、また事実の証明。


 何があったのか、忌まわしい記憶を反芻するまでもない。景樹はあの山県源士が突進しかしないと考えていたから、必然とばかりに狙いを手を絞った。


 しっかりとカウルに身を伏せる。衝撃に備えると同時に、インパクト前に急制動をかけることで、相手のチャージのタイミングをずらす。そして、相手の上半身が十分に伸びきったところを悠々と突き上げる『カウンター』。初歩ながら高等な技術を要する技を、景樹は完ぺきにこなして見せた。


 だが、源士の突きは景樹の想定した瞬間、まだ彼の腕の中にあった。


 景樹の『カウンター』より更に遅らせ、そのためにすべての突進力を殺し、のみならず左右の回避さえも捨て去って身体を反り立たせるそのフォーム。


 あたかも、銛撃ちの漁師が魚を狙うが如き動作。太古、大鯨を狙ったという雄々しき人々の所作になぞらえた動き。


 それ故、ついた名前が『モビー・ディック』。


 奴はそれをやったのだ。いわば、カウンターに対するカウンター。


 もし景樹がスタンダードなチャージを繰り出していたならば、あまりに極端な攻撃の出の遅さから自滅していたはず。つまり、景樹が攻撃を遅らせること前提の、完全な決め撃ちである。


 しかし、あの男がどうしてこんな技を……?


 その時、混沌とする景樹の脳裏に、ほくそ笑む一人の少女の顔がチラついた。


 少女の幻影が、景樹を見下す。


「ぷーくすくす。やーい、引っかかってやんの」


 景樹は思わず毒づいた。


「あの女かあぁぁ!」

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