Chapter2

 コンクリートの壁が、朝の湿った空気をさらに冷やす。


 滲み出した眠気を身震いでかき消して、彼、山県源士はモーターバイクのバッテリプラグ交換に取り掛かった。


 長身痩躯といえ、引き締まった身体つきからは十二分な鍛錬の結果がうかがえる。


 高校二年生、十七歳。まだ少年らしい面影を残しつつも、精悍な面持ちは彼にいくらか歳不相応の落ち着いた印象を与えている。ただし、多少細く吊り上がった双眸は、見る相手には硬質的な威圧感と取られることがままあった。本人にその気はないのだが。


 彼はブラストライダー。モーターバイクに跨り、長大な槍をもって互いの懐を狙いあう決闘者である。


 だが、今はボロボロになった黒いプロテクタも、彼のトレードマークとなる赤いヘルメットも身に着けておらず、それらは全て備え付けの簡素な備品棚へ無造作に収まっている。灰色のツナギに作業用手袋をはめてスパナを握る姿はライダーというより一整備士だった。


 源士は眼前に鎮座するマシンに思わずため息を漏らした。


 むき出しになった高張力チタンのフレーム。内包される巨大な電動モーター。源士の肩幅ほどもある二輪のタイヤが一際存在感を放つ。外装一式はほぼ取り外され、あらゆるケーブルが露わになっていた。その姿は武骨でありながら、高度な精密さを秘めたメカの一面をのぞかせる。


 しかして、分解されている理由は簡単で、昨日の練習走行で不調を来した箇所が、まだ整備しきれていないのだ。おかげでクラブの終了時間に作業が終わらず、早朝こっそりと整備スペースに潜り込んで続きをやる羽目になった。源士にしてみれば、自分の荒い運転、つまり未熟さが招いた結果なので仕方ないと思える。が、別に申し訳ないと言うべき相手がいた。


「ダメだぁ、こっちも液漏れしてやがる?」


 前輪と後輪の間に挟まって、仰向けで作業する少年が一人。室内をまばらに照らす蛍光灯がオレンジ色のツナギを照らす。


「どこがまずい?」


「導電パイプの二、五、あと……七番も。修正できりゃいいけど、全とっかえになったら幾らかかるんだ……?」


「2か月は水だけで過ごす羽目になるかもしれん」


「だな。お前はアホ程スピード出すから、推進系はすぐダメになるなあ」


 ツナギの少年は呆れたように呟いた。


 ほとんどの外装を外して露わになったフレームとメカの隙間から、せわしなく手を動かす様子が見えた。


「すまん」


 自分のライディングがマシンに負担をかけやすいのは百も承知である。それは取りも直さず整備泣かせの証明であるが、さすがにその様をまざまざと見せつけられては、源士としては居心地の悪さを感じずにはいられなかった。


「ばか、謝らなくていい。こういう時のために、メカニックがいるんだからよ」


 マシンの隙間からオレンジのツナギが這い出してきた。刈り上げた短髪、クリクリとした愛嬌のある吊り目からは、利発さよりも気の強さや血気さが勝って見える。源士とは対照的に小柄でちょこまかと動くのも相まって、二人が並ぶと凸凹コンビといった様相である。


 小山田兵吾。源士の数少ない友人であり相棒といっても良い。今はモーターバイク専門のメカニックマンとして、源士のマシンを手掛けている。


 源士とは同級生。彼が中学時代、ブラストを齧り出した頃からの縁だ。以来、今に至るまで、マシンを操る源士の傍らには常に兵吾がいる。


「ま、とはいえ……確かにきついな。これ以上は」


 マシンの隙間から這い出した兵吾が、作業を一時中断して汗を拭う。笑ってはいるが、どこか苦々しい。


「修理には時間がかかりそうだな」


「それもあるけどさ。お前、今のまんまじゃ不満なんだろ?」


「何が、不満なんて」


「加速力」


 断言である。長年、源士のマシンを見続けた兵吾の目に迷いはなかった。


 相棒とも言える兵吾が手塩にかけて調整してくれたマシン。本当ならば不満や無理は訴えたくないが、兵吾の指摘は事実だった。


「そう、だな。エンゲージまでにあと、十キロは欲しい」


「ん、だろうな。俺だってそう思う」


 源士が率直に答えると、その答えを待っていたと言わんばかり、兵吾も頷いた。


 が、要求がわかったところで、それをかなえる手段がないことは二人して違え様もない事実と認識していた。二人してため息をつくしかないのが現状だった。


「モーターの出力は上げられるところまで上げたし、電導系もできるだけ無駄は削った。デッドウェイトになるアーマーもほとんど外したっけか。あとはECUの改造も」


「おかげでリミッタが効かなくなったからな。今じゃ感覚で限界を見極めるしかない」


「そりゃ、そういうもんだ。けど、正直なとこ、これ以上の改造となるとな……」


 兵吾は黙り込んで、それからしばらくは俯いたままだった。


彼の気持ちは痛いほどよく分かる。実際、源士を誰よりも速く走らせようと苦心しているのは、ほかでもない兵吾なのだ。そのためには、馴れない制御系の改造を行うのに、徹夜で勉強もしていた。今でさえ、寝食を忘れてマシンの整備に没頭してくれている。


 兵吾が自分の技術をかけて源士に夢を託してくれていると知っている。が、その思いに答えきれず、今もくすぶったライディングを続けている今の自分の在り様が、源士にはたまらなかった。


 それでも、と。一方では、ライダーとしての、滾る闘争心を纏った源士が吼えるのだ。


 あと十キロの加速は譲れない。それがなくては、己のライディングは決して完成しない、と。


 いつからそれを自分で認識しはじめただろう。源士のライディングは特殊である。ブラストを始めてこの方、彼はそれを極めるためだけにブラストを続けてきたといっても良い。


 思い描く究極のフォーム。


 誰にも突かせず、誰であっても必ず貫く。その究極のフォームを彼はずっと焦がれてきた。


 ブラストとは、つまるところ槍と槍による突きあい。現代に至り、モータースポーツという立場を取ったとしても、あくまで本質は武道のそれだ。マシンの最高速度は勝利のファクターであっても、決して最優先事項の性能たり得ない。


 例えば、インパクトに耐えるフレーム剛性。


 例えば、姿勢を安定させるための最良な前後重量比。


 例えば、槍を振りぬく際あと一息の力を与える強靭なトルク。


 誤解を恐れずに言うならば、群れを成してサーキットを周回し、その中で一等を目指す一般的なイメージのレースとは根本的に考え方が異なる。スピードはエンゲージに直接影響する要因の、はるか後に考慮されるべき項目なのである。


 その既成概念こそが、今、二人を悩ませる大きな壁であった。


 ブラスト用のモーターバイクでは堅牢さにおいて優れても、スピードに趣を置いた設計ではないのだ。


 元来の素性がそれであるから、兵吾がいくら心血を注いで既存のモーターに手を加えたとしても、いずれ宿命的な設計限界に行きつくのは明白だった。


 そういう行き詰まりが重い障壁となって、二人の目指す道に暗い影を落としていた。


「となれば、後は……」


 兵吾が何をか言い掛けた。が、源士はその言葉の続きを、頭を振って制止した。兵吾の心中ある提案を知っているから、それが実際には危険すぎることも、源士は知っていた。


 あるいは、このモーターバイクが完全に自分たちの所有物であれば、源士も兵吾も、あと一歩の分水嶺を踏み越えたことだろう。


 モーターは定格用量をこえて回すことも出来る。なに、ほんの少し制御のリミッタを弄るだけでいい。その方法も兵吾は心得ている。


 が、二人が学生の身分でありながら、こうして高価な機材を必要とするブラストに打ち込めるのは、学校のクラブ活動という枠組みがあったればこそである。マシンも、中古のプロテクタでさえも、ほとんどは部の管理物。借り物だ。


 人体が、筋肉が、酷使されれば破壊されるのは当然のこと。そして機械にも同じことは言える。無理をさせるということは、損耗を早めるのと同義。


 当然、それほど高価な貸借物を不当な改造で壊したとなれば、二人の処遇は言うに及ばず、である。


 おそらくは、向こう数年槍を握ることさえ適わなくなる。


 それは、それだけは願い下げだ。


 互いの意思を確かめるように視線を合わせて、数秒。無言の時間が続いた。


「そりゃ、そうだよな。無茶にこだわって、こいつまで没収になっちゃあ世話ないわな」


 兵吾がクスリと笑って言った。気のせいか、その表情はどこか安堵した風にも、残念そうにも見えた。


 結局のところ、このオンボロバイクだけがたった一つの武器なのだ。源士にとっても、兵吾にとっても。


 どうにもやるせない空気が二人の間に流れる中、仕方あるまいと再びマシンに手をついたとき、不意に予鈴が鳴った。


 時間がいくらあっても足りない。結局、マシンの修理は半ばといったところか。


「タイムアップだ。残りは昼休みとして、放課後までに終わるといいがな」


「俺も付き合うさ。朝飯、まだだろ」


 まだ陽が昇りきらないうちから作業を開始したのだ。源士もさすがに腹が減った。


 油で黒く汚れた手袋を脱ぎ捨てて、スペースの隅に無造作に置いたスポーツバッグのファスナーを開いた。中身は着替えのシャツにタオル、講義のテキストとノート。それから、茶色い紙袋が二つ。


 常温とはいえ、吐息が白く立ち昇るような早朝の空気である。さすがに傷んではいないだろうと、一つは小脇に挟んで、もう一つは兵吾に放り投げた。


「お、気が利くな、っと」


 慎重に紙袋をキャッチした兵吾。封を開けて中を覗いた途端、目を輝かせた。中身は手製のハムサンドである。ブラストをやれる学校は多くないから、数少ない志望校に通うために地元を出て一人暮らしする源士。家事、こと料理に関しては如才なかった。


「出がけにありもので作ったやつだから、味のほうは気にするなよ」


「この際、中身がなんでもご馳走だよ。ドッグフードでもない限りは……」


 アルミホイルの包装を破って、サンドイッチにかぶり付く兵吾。食パンにハムとレタス、それにチーズを挟んだだけの簡素なものだが、それでも兵吾は美味そうに食っている。その様子を見るのは、まんざら悪い気もしない源士であった。


 ホームルームまでには、教室に滑り込みたい。源士もサンドイッチを口に押し込み、早々に汚れたツナギから学生服に着替え始めた。早朝にマシンを弄ることは日常茶飯事なので、早着替えは手慣れたものだ。


「家事も料理も完璧って、まあブラストの腕はアレだけど……これでお前が可愛い女の子だったらと思うと……って、ああっ!」


 同様の早着替えで、すでにワイシャツのボタンまでかけ始めている兵吾。ネクタイを引っ掴んだところで、思い出したように頓狂な声を上げた。


「気持ち悪いこと言うと思ったらなんだ藪から棒に……」


「すっかり忘れてた! お前、昨日観戦に来てた女子は誰だ!」


「……は?」


 待て。ウェイト。話が読めない。


 あの子とは誰だ。


 昨日は、月に一度の部内総当たり練習試合の日。源士は直前までマシンの調整に余念がなかったし、試合中は試合中で、当然脇目を振るバカなどいるはずもない。


 しかも、ぼろ負けを喫した後はご機嫌斜めになったマシンを宥めすかして、頭脳のほうは何故負けたのかと終始悶々としていた。兵吾と共にひと段落付けて整備スペースを抜け出したころには完全に日が暮れていたから、その頃には人っ子一人おらず。


「初耳だ。あと俺に友達がいないのはお前が一番良く知ってるはず」


「授業以外は大方、コースかここにいるからなあ。くそっ、腹立たしいな」


「俺は興味ないから知らんけど。なんで俺を見てたと?」


「ああ、それな」


 ハムサンドを平らげたところで、兵吾は記憶を手繰り寄せるように呟き始めた。未だに合点がいかないという風な表情であるが、それは源士も同じことである。


「俺も又聞きだから詳しくは知らねえけど、練習試合の時からスタンドに女子が一人いたんだよ。あれ、男連れだったかな……まいいや。で、そいつが部活のあとで散々お前の事を聞いて回ってたらしい」


「何のために」


「そこまでは知らねぇよ。ただ、『いつもあんな乗り方なのかー』とか『勝率はー』とか、何のかんのと妙に詳しく尋ねてたってよ」


「なんだそれ。怪しさしか残らないぞ」


「いやでも女子だぜ? ひょっとしたら『キャーあの人とっても素敵!抱いて!』ってなるかもしらんじゃねーか!」


「お前、今死ぬほどキモイって自覚あるか?」


「うるせえ! どうせこちとら、女子と話したこともない童貞野郎だよ」


 それは俺も同じだ、とは言うまい。


しかし、奇特な女もいるものだと思う。


 スター性抜群のプロライダーならいざ知らず、いち高校生の単なる練習試合を観戦するなど。しかも、興味の対象が源士だというのだ。


 自分のことながら、はっきり言おう。山県源士というライダーに、ファンだとか支持者だとかいう類の人々が集うことは、万に一つもあり得ない。


 公式戦の一つにでも出ていれば、どこかで観衆の目を引くこともあるだろう。であれば、彼の走りを評価するような、ちょっと目の付け所が悪い者もいるかもしれない。


 源士に公式戦の参加記録はない。ただの一度も、ないのだ。


 誰が悪いのかと問われれば、それは源士本人に他ならない。ブラストをやるために選んだモータースポーツの名門校。優秀な指導者の薫陶を受けるために門を叩く者が多い中、源士はその魅力的な環境をほとんど当てにしなかった。のみならず、コーチ陣から敬遠される筆頭の問題児でさえあるのだから。


 それは、そうだろう。無断でマシンに過激なチューンを施すは、セオリーを無視した意味の解らないライディングをやらかすはで、いくら指摘しても直すそぶりすら見せない。誰がどう見ても扱いに困る問題児だ。おかげで、今では源士に声をかけようとするコーチは一人もいない。時折、声をかけられるとすれば、注文はただ一言『問題を起こす前に部を辞めろ』程度のものである。客観的に見れば、至極真っ当な意見ではあるが。


 そうやって、周囲から煙たがられる源士だから、二年生に進級した今でもレギュラーは絶望的で、貴重な出場枠からは真っ先に除外される筆頭候補だった。


 そういう最底辺のクズライダーを気に掛けようというファンがいるとは到底思えない。


 だから断言できるが、この噂話は単なるデマか、さもなければ集団で催眠術にでもかかったかのどちらかだ。


「ったく、曲がりなりにも共学だってのに、浮いた話は一つもあがらねえ。俺ら夢も希望もねーな」


「そうでもないさ。浮いた話は知らないが、夢と希望だけは、な」


 怪訝そうな顔をする兵吾に、源士は視線を促した。整備ガレージの片隅、まだ一部が分解され、所在なさげに鎮座するモーターバイク。


 性能不足に悩まされても、オンボロだとしても、今はこのマシンだけが兵吾と源士の夢を繋ぐただ一つの希望だった。


 頼みの綱のマシン。今は取り外されたカウルが車体の傍らに整然と並べられている。外装を飾りたてる金もないから、支給された直後の地味な黒いカラーリングだが、二人が『どうしても』と貼り付けたマーキングが、ただ一つ彼らのマシンたる主張だった。


 黒地に鮮やかな紅で、四つの菱型が描かれている。それらは鎖のように互いが重なり合って、多少いびつながら一つの大きな菱型をかたどっていた。


 結果もない素人ライダーの分際でパーソナルマークなど、頭の悪いことをしていると思う。こういうのは普通、名を挙げた有力な者が実力の誇示のためにつけるようなものだ。


 だが、これだけ譲れない。


 なぜなら、これも源士がライディングと共に『受け継いだ』ライダーの証なのだから。


 明らかに異質な走りを源士が求める、これはその旗印だ。


 兵吾にしても、思いは同じのはずだ。源士と共にずっと同じものを見、目指してきたのだから。源士が引き継いだライディングは彼にも他人事ではなく、そのマーキングを施す意味も、源士同様に覚悟して受け入れているのだと思う。それは、マーキングをまっすぐ見つめる彼の眼差しからしっかりと察することが出来た。


 二人の意思は同じく、未だ見ぬ異形の走りを大成させる。


 多少、艶には欠けるが、これが今の二人に与えられた夢と希望だった。


「コイツが俺たちの夢や希望じゃ不安か?」


「ははは、違いねえ。今の俺らにはこいつでも十分すぎるくらいだ。ま、もっとも」


 言って、兵吾はがくりと肩を落とした。


「あと十キロか……どう絞り出すかな、マジで」


「いっそカウル全部外すか? 少しは軽くなるだろ」


「おーおー、空力とかいう面倒な力学を考えなけりゃ良いアイディアだ。次からは、もうちょっと頭使え?」


「くそっ、お前に言われると妙に腹が立つな……ああ、もう出るぞ。遅刻だ遅刻」


 制服の襟を整え、鞄を肩にかけた源士は速足でガレージの出口へ歩いた。ちゃらんぽらんな性格の割に学業に抜かりのない兵吾と違って、源士は余裕がない。兵吾の軽口に付き合っている暇はないのだ。


「あ、ちょっと待てって! お前、忘れ物!」


 慌てた声で兵吾が呼ぶ。半ば疲れた顔で振り返ると、何か投げてよこされた。落としそうになりながら、何とか両手で受け取る。


 バスケットボール大の球体。艶のある真っ赤なカラー。黒いバイザー。


それは源士のヘルメットだった。


ほとんどが借り物の道具で身を固める中で、これだけは源士の私物だ。それ故に、このヘルメットもまた、夢と希望のひとかけらだった。


その証拠、と言えるかもしれない。ヘルメットの側面には、真っ白に染め抜かれた鎖菱が描かれていた。


「そいつを忘れるのはいただけないな? 源士」


「ぬかせよ。早く行くぞ」


 軽口を叩きあっているうちに、兵吾も身支度を終え(と言っても、ネクタイの結び目はめちゃくちゃでブレザーは皺だらけだが)、にへらと笑いながら源士の隣に立った。


 ここを出るには、目の前のシャッターを開ける必要がある。が、恐ろしく重い。一人でも持ち上げられないことはないが、下手をすると筋肉を傷めかねない。


 結局は二人で持ち上げるしかないのである。


 しゃがみこんでシャッターに手をかける。せーの、と息を合わせて引きあげると、蛇腹鉄板の塊は思いのほか軽くスライドしていった。


 途端、早朝の日差しが、ガレージを淡く照らし出した。と同時に、白熱灯の光だけで少々薄暗かった空間に慣れきった二人の網膜を激しく刺激する。


「……さすがに眩しいな」


「やべ、灰になりそ。目が焼け死ぬ」


 二人して凶暴な太陽を前に立ち尽くしたが、残念ながらさほど時間は残っていないのである。


 源士は、まだ自然光に慣れ切っていない目をかばうように腕で日よけを作りながら走り出した。ガレージから校舎まで走って十分弱。間に合うかどうかギリギリの時間だ。


「やれやれ、こんなところでもスピードが欲しいなんて思うとはな」


 目を糸のように細めながら隣を走る兵吾。冗談のつもりで呟いた言葉だったのだろう。が、源士はどうにも複雑である。


 スピードが足りない。それが厳然たる事実で、今のところどうしようもなく高い壁だ。その壁を飛び越えられないうちは、どうにも笑えない冗談だと、せめて苦笑くらいしかできない源士。


「その女子に貢がせるか。バカみたいに速いマシンを」


 仕方なく冗談でも返しておこうと、ぼやき気味につぶやくのだった。

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