Chapter3
私立芦原学園の生徒数はゆうに千を超える。この少子化のご時世、近年まれにみるマンモス校だ。これだけの規模ともなれば、男女が机を並べる共学校ではあるのだが、現実は意外と非情である。
細分化されたカリキュラムにより、常時開設される学科は約四十。そのすべての平等な男女比率が保障されているわけではなく、わけても源士や兵吾が在籍する機械システム工学科は、女生徒が極端に少ないことで有名な男の花園であった。愛だの恋だのに興味のない源士にとっては大した問題ではなかったが、兵吾をはじめ、限りある十代の春を謳歌しようという男子学生の連中にとっては死活問題であるらしい。
それだけに、珍しくやって来た転校生が女子生徒である知れた日には、クラス内の盛り上がり方は尋常ではなかった。
その盛り上がりたるや、結局ホームルームに間に合わず、教室の外から中の様子をうかがう源士にもはっきりとわかるほどである。
中腰になって戸の窓からこっそり視線を通す。歓喜のウォークライを踊り、雨乞いのごとく土下座をし、顔を歪めて涙を流す者が多数。
「……なんだこれ?」
「ぜぇぜぇ……いや、祭りに決まってんだろ。女の転校生だぞ!? はぁ、はぁ……見せろぉ、俺にも見せろ美少女を……」
全速力で走ったせいか、滝の汗を流す兵吾は息を切らしながら訴えた。が、平生の運動不足が見え見えで、どう見てもあのお祭り騒ぎに飛び込んでいける体力は残っていそうもない。一方で、ライダーとして鍛錬に余念のない源士はけろりとしている。
「美少女かどうかは分からんが、お前はまず息を整えろ……ああ、ここからじゃよく見えないな」
めいめい立ち上がって暴れ狂うクライスメイトが邪魔で、しっかりとは分からないが、黒板の前に人が立っているのは確認できた。一人はやせ形で異様に背が高い、担任教師であると分かる。
ところが、もう一人教壇立っているらしい学生の方は小柄すぎて確信が持てない。ただ、暴徒と化しつつあるクラスメイトたちの隙間からチラチラと見え隠れするブラウンのスカートで、どうやら女子であるとは判別できた。それに、黒板に大きく名前の一部と思われる文字が見えた。
とまれ、正体不明の転校生に感謝だ。すでに担任教師が教室入りしている以上は、彼の目を盗んで席に着くことが出来る。室内に気を配りつつ、後ろの出入り口から身をかがめながら侵入する。
これも幸い、源士と兵吾の席は教室の最後列だ。室内狭しとウェーブをかます学友の背中を縫うように移動し、二人はようやく席に着くことが出来た。
「ふぃー、ギリギリセーフ……!」
座るなり机に突っ伏した兵吾。
まあ、さすがに今回は危なかった。源士も思わず安堵の吐息をもらした。
「あー、おほん。そろそろ席につくように。転校生の紹介がいつまでたっても出来ないのである」
ため息と入れ違うように教師が叫ぶ。さて、一体どれだけ乱闘を続けていたのか、彼の声は掠れており、一限目前にして疲労困憊の様相だ。
『うるせー! こちとら日照り続きで餓えまくっとるんじゃ!』
『消え失せろー! 権力の犬ー!』
『FEMALE! FEMALE! FEMALE!』
もっとも、そこは若き血潮を滾らせた高校生。欲望に任せた暴走を黙らせるにはエネルギー不足なわけである。
「ああ、俺もあの宴の先頭で踊る人生でありたかった」
「ちゃっちい後悔だな。どうせすぐオチがつく」
源士の想像通り、教師は黒縁メガネをくいと持ち上げた。
「よろしい、ならば彼女には隣のクラスで授業を受けてもらうが、全員異論はないのであるな?」
『僕たち、お勉強がんばります!』
(こいつら、どこかで打ち合わせでもしてるんだろうか……)
その変わり身、光の速さである。ほんの一瞬目をそらした隙に、嵐のような学生たちの波はさっと引いて、各々の席に整然と腰を落ち着けていた。源士もこれには唖然とした。
ともあれ、担任教師の鶴の一声で、学生たちは鉄の規律を取り戻し、教室は水を打ったように静まり返った。おかげで遮るものがなくなって、最後列の源士からでも黒板がくっきりと見える。
そこには、あの『彼女』が書いたにしては、よく言えば潔い、悪く言えば女子にしては少々荒い筆跡の漢字が四つ、大きく記されていた。
「……では、君。自己紹介を」
「ああ、はい! ええと、甲斐晴美って言います。みんな、よろしくね!」
『おお~!』
やけにはつらつとした声音が響いた。
教壇に立ち、そう名前を言い放った少女。小柄ながら、ピンと背筋を伸ばした立ち姿は凛としている。整った顔立ちに並ぶ二つの大きな瞳は、強い意志のある光が宿っているように見える。悪いやつではないのだろう、それだけは何となく分かる。
「はい! はいはい!」
突然、クラスメイトの一人が弾けるように手を挙げた。
「甲斐さん、得意科目はなんですか!」
「あ、じゃあ俺も! 好物は!?」
「どこ住みですか!?」
「風呂ではどこから洗います!?」
「趣味は!?」
十字砲火のようなすさまじい質問攻めである。各々捲し立てるように言葉を浴びせかけるものだから、回答者でない源士などは最初の質問がなんだったかも覚えていない。
久々の女子の加入でテンションが上がりきっているのはいいが、あれでは甲斐美晴とやらが少々可哀そうだ。という目で転校生の少女を眺める源士。
ところが、甲斐美晴は存外にタフと言うか、冷静だった。
涼しい顔ですべての質問を聴き終えると、顎に指を這わせて考える素振り。考えると言っても、時間はさしてかからなかった。ものの、二、三秒だろう。
「得意科目は物理。食べ物は肉類ならなんでも。家は躑躅ヶ崎だから、学校から二駅向こう。で、お風呂の質問してきた奴は二度と話しかけないでね。後、趣味は――」
流れる水のごとくスラスラと回答していく甲斐美晴。質問した学生たちも彼女の早口で呆気にとられているようだった。
が、どういうわけか最後に残った質問に答えかけて、甲斐美晴は口を閉ざした。
言い淀んでいるのか? 何か、不都合でもあるのか。
「なあ、源士よぉ」
不意に、精気に欠ける声が源士を呼んだ。左隣の席に着いている兵吾だった。
そういえば、つい先ほどまでは他の学生同様、甲斐美晴という転校生に熱狂的な興味を示していた兵吾だったが、今はどういうわけか随分と冷めた視線を投げかけているように見える。
「どうした、あんなにはしゃいでたのに、えらく大人しいな」
「ん? いやまあ、俺はもうちょっと女の子らしい性格を期待してたっつうか、もっとあれこれバインバインだったらなー、とか……言わせんなよ」
「じゃ、何」
「いや、あいつじゃないのか? 昨日、お前の練習を見てた女子っつーのは」
「ああ」と、源士は肯いた。日ごろ、関係者以外は滅多に利用しない練習場。訪れた見覚えのない女子生徒が転校したての好事家というのは、なるほど分からない話ではない。
だが、納得のいかないことは他にもある。
その好事家の少女が、なぜ山県源士という少年に興味を抱くのか。奇怪なこと、この上ない。
「えと、ちょっといいかな」
回答の途中だったはずの甲斐晴美が、やおら控えめに手を挙げた。
「私からも一つ質問してもいいかな? 大したことじゃないんだけど……」
『どーぞどーぞ!』
『私めで良ければ何なりと!』
どこからか調子のいい声が上がった。それを聞いて、甲斐美晴がはにかんだ。
「ありがと、じゃあ聞きたいんだけど……」
ほとんど対岸の火事、興味薄くことの様子を眺めていた源士でも、思ったより女の子らしい笑い方をする、思わせる笑顔……が、その感想はすぐに撤回する羽目になった。
「このクラスで、ブラストやってる奴。山県源士って、どいつ?」
笑顔には変わりない。ある意味で、魅力的な笑顔ではある。といっても、そのベクトルはまったくの真逆であるが。
目を細め、薄い唇の端をかすかに吊り上げて、笑う。完全犯罪の計画でも練りあげたような、とんでもない悪人面だ。
その悪人面の笑顔で、彼女が言い放った質問を誰が想像し得ただろうか。教室でうっすらと嫌な予感を抱いていた二人を除いては。
教室は潮が引くように静寂に包まれた。あまりにも突拍子もない質問に困惑したのか、あるいは、悪徳金融業者さながらのゲス顔を露わにした甲斐美晴に面喰ったのか。
どちらにせよ、甲斐美晴が強引に作り上げた空気で、誰もが呆気にとられているわけで、そもそも、誰もそんな質問の意味を理解できるはずもないわけで。
何故そんな質問をするのだろう。しかし、そんな奴もいたなあ……という表情で、約四〇名の視線が一斉に、クラス最後方の席でぼけっと座っていた男へと突き刺さった。
「兵吾……これは、まずいことになったと思うか?」
「あーあダメだこりゃ。しばらくは痛い目見るね。もてる男はつらいぜ」
「お前、楽しんでるだろ。くそっ」
「そらーボクは無関係ですから、ひひっ」
半ば親友をはっ倒そうとする源士であった。
と言って、状況はそういう戯れも許してもらえそうにない。クラスメイトの低温極まりない視線が集中する先を、甲斐美晴は一瞬で探知したらしかった。
「ふーん、あれかぁ」
たっぷりと余韻を持たせて甲斐美晴が呟いた。
ああ、目があった。しかも、あれは格好の得物を見つけた肉食動物の目だ。今に舌なめずりするに違いない。
軽い身のこなしで、甲斐美晴が教壇から駆け降りる。そのまま、こつこつと小気味良いリズムをとるように歩き出した。案の定、いや、よりにもよって、彼女が向かう方向は当然のように源士の目の前である。
「君、山県源士?」
「あ、ああ……」
眼前で仁王立ちする少女の吊り目が、やけに自信に満ちた輝きを帯びて源士を見下していた。
「ふふん、甲斐美晴です。よろしく」
そう言って、右手を差し出す美晴。内心関わりたくはないと思う源士である。どうも都合の悪い未来しか見えそうにないのだから。しかし、だからと言って冷徹にも女性の手を払いのけるには、彼の性格は少々お人好しに過ぎた。
(よろしく……したくはないが……)
せめてもの意思表示として眉をハの字にひそめながら、源士はおずおずと手を差し出した。
その伸ばした手を甲斐美晴は掴み取り
「ぐっ!?」
「ふふん?」
これでもかというほど、強く握りしめられた。痛みで思わず顔をしかめる源士と、得意げな笑みを浮かべる甲斐美晴。
この女、一体何を考えているのだ? 傲岸不遜な少女の態度に、源士は戸惑いを隠せないでいる。怒りはない。いや正確には、甲斐美晴のアプローチが唐突すぎて、怒りがわいてくる暇もない。おかげで、源士の頭上では不可視のクエスチョンマークが二重三重に回転を続けていた。
その手が、細さとは裏腹に万力のようなパワーで締め付けてくる手が、勢いよく源士を引き上げる。額と額がぶつかりそうな距離、少女の微笑が眼前一杯に広がった。
「山県源士くん、アタシと契約して最強のライダーを目指す気、ない?」
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