冬2

春嵐

凍った表面

 目が、覚めた。

 いや、これは、夢。まだ夢の中。

「ういてる」

 浮いてる。自分の言葉が、聞こえない。

「聞こえない」

 今度は聞こえた。遅れている。

「きこえますか」

 だんだん、馴染んできた。ちゃんと聞こえる。宙に浮いた感触。消えない。しかし、目が見えているわけではないことに気付いた。

「これなら、浮いても立っても変わらないじゃん」

 言って、自分がいま寝ているであろうことに気付いた。

「寝てるのか、わたし」

 昨日、仕事から帰って、いつも通り缶ビールを飲んで、そのまま寝たはず。

 目の前。何か横切った。猫か。

「あれ、猫飼ってたっけ」

 飼ってなかったような気がする。記憶が曖昧で、缶ビールや食事のことは思い出せるけど着ていた服のことは思い出せない。仕事内容も。

「こいびと」

 恋人なんて、いただろうか。それも思い出せない。もしいたら、たいそう失礼な感じになる。しかし寝ているのだからどうしようもない。

「あ、あれ」

 身体が動かない。

 違う。身体の表面、指の先や太ももの筋肉が動かない。そもそも、力が入らない。かなしばり。

「でもまあいいか」

 そんなに寒いわけではない。きっと、毛布にくるまって、うずくまっているのだろう。

 声。

 よく聞き取れない。

 そうだ。声。見ていたアニメキャラの声。

「おもいだした」

 恋人は、画面の中。

 むかし、寝ているときに夢の中に出てきた人物。現実ではない、幻。それが自分の初恋の相手であり、いまもその人物に恋している。そして、それは、このアニメキャラ。

 声が、やさしく私を揺り動かす。

 そうだ。

 これを求めていた。

 夢の中に没入し、自分の恋人に、この手で触れる。いつか必ず、この人に、出会うために。現実世界にいない、この男のために。そのために私は生きる。

 声。

 またわたしを揺り動かす。

「起きてください」

 幻の声。

「はやく、時間ですよ」

 現実に存在しない恋人。

「起きないなぁ」

 違う。

 幻の声は、幻でしかない。これは、恋人の声ではない。声優。なぜ声優が私を起こす。私。わたしのしごと。

「しまった」

 すぐに起きて絵コンテを書き直さなければ。この声優は、暇してたから私を起こしに来る係にされたのだろう。気の毒に。

「ううう」

 だめだからだがこわばって目も開けられない。

 私の仕事はアニメ制作統括。自分の恋人を画面上に現す仕事。生きているうちは、自分で恋人を生成していくしかない。

「起きろわたし、起きてくれええ」

 声優の人の笑い声。

「起こして」

 座らされた。

 目に、力を籠めた。

 目が、覚めた。

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冬2 春嵐 @aiot3110

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