06 鬼切

「これだね」


「間違いない」


 あらたちゃんと私は頷き合った。

 かにしんのアパート前にいる。見たところ築浅のメゾネットタイプだ。明かりはついていない。黒い大型ミニバンが停めてある。窓の目隠しや目張りはなし。洗濯物の出しっぱなしは見当たらない。郵便受けには新聞やチラシが挟まったままだ。電気メーターも回り方が超じりじりなので、多分本当に留守してるか、寝てる。人んちを見るなりこんなものをチェックする女に育ってしまったよ、私も。

 まあ問題はそんなことではなかった。が玄関ドアの前に流れるように黒々と、大きな痕跡を残していたのだ。

 当たりだ。

 蟹江真治が、

 新ちゃんが玄関前を吟味している間に、私が窓から部屋の中を窺った。レースのカーテンしか引いていない。


「はあん。こりゃ女がいるね」


 新ちゃんと組んでこんなことを続けていると目も肥えてくる。私の濃いめの偏見によれば、体育教師で野球部顧問、しかも中塚が手塩にかけて育てたような奴が、二十ミリ台クラスのカールのヘアアイロンは持ってねえだろ、となる。これはかなりしっかりクルクルさせたい女子が買うやつだよ多分。最近の蟹江の写真も確認済みだけどスポーツ刈りだった。

 キッチンも片付いてる。ふーん、ワイングラスがふたつね。下駄箱に女物の傘。決定ですよね。寝室ではクローゼットが開けっぱなし。ウェア類らしきものがちゃんと畳んである。ってかこいつの家まじで本がない。びっくりする。腐っても教師じゃねえのか。本棚的な家具には本じゃなく野球のボールとか甲子園の写真とかが飾ってある。壁には私の知らないどっかのチームのユニフォームが掛かってる。なんかトレーニングマシンがある。リビングも寝室もテレビがでかい。

 とりあえず留守は留守だな。推定でしかないけど昨日も今日も留守してるっぽい。

 玄関前に戻ると、新ちゃんは私に手招きしてアパートを離れ歩き出した。まあ確かにこれ以上うろうろしているとあやしい。まだ七時台、学校帰りやお勤め帰りの人も通る時間帯だ。空き巣と思われてもしんどい。

 新ちゃんに追い付きながら私は、どーよ、とものすごく雑な聞き方をした。


「中塚先生の家も駅に近いし、ここもそうだ。ここまで電車で来れば蟹江は自分の車があるのに置いたまま。やっぱりわざわざ中塚先生の車で動く理由があった可能性が高い。りょうの言う通り、死体を載せてるのかもな。部屋は?」


「立ち寄ってはいるんだろうけど、寝起きした感じはしないから、そのまま急いでどっか行ったのかも。クローゼット開けっぱなしがちょっと気になるくらいで他は片付いてる」


「そう。……さて、どこまで行ったか。何で殺したもんだか。会えば、分かるが」


 私は。

 頭の奥と、内臓と、膝の裏が、一度にぞくりと震えるのを感じた。

 この瞬間が好きだ。この新ちゃんが私は好き。

 をついに見つけると、新ちゃんの顔つきが明らかに変わる。これを追えばいい。これを追って仕留める。鬼切おにきりはそのためにいる。単なる除霊師ではないのだ。

 死者の霊を祓うのは副業に過ぎない。

 鬼切の本業は、その名の通り、こと。


 鬼とは、生きた人間がその心のうちの怒りや恨みなどから生み出しその人間自身に取り憑く、ものだ。


 多く、犯罪者。それも、殺人者。他人に害を及ぼす者となる。やることをやってしまった後でも本人が自力で思い直し、自首したりもうしないと心に誓うことができればいいが、世の中そう甘くはなく、人間は弱いもの。自分の生んだ鬼に絡め取られて、逃げたり罪を重ねたりする。

 そのような鬼は滅しなければならない。世に災いをもたらすものは祓わねばならない。

 そのために鬼切がいる。

 そしてその鬼切のために、私のような鬼の目がいるのだ。

 鬼切が鬱陶うっとうしい霊を憑かせるままにしてあるのは、その被害者霊を足掛かりに鬼を探し出すため。鬼の痕跡である吐き戻しを見つけたら、大抵の場合、霊のほうは祓ってしまって問題ない。そもそもそうした霊は、死んだ人の本体ではなくざんのような、あるいはあとに残った香りのようなものに過ぎないからだ。用が済めば祓う、べつに残酷なことでもない。

 新ちゃんはもう中塚の霊を祓ってしまっただろうか。私には分からないけど。新ちゃん、祓うのだけは昔からめちゃくちゃ速いらしい。だからおじいちゃんも、新ちゃんはものすごい鬼切に育つんじゃないかと期待したって言ってた。それだけにがっかりもしたのかもしれないな。

 ともあれ新ちゃんは今、狩場に向かう猛禽さながらの眼をして夜道をすたすた歩いていく。鬼の吐き戻しと呼ばれる痕跡を追って。霊は見えない私にも、吐き戻しや鬼そのものは見える。何しろ鬼の目って呼ばれるくらいだから。それが分かっているから新ちゃんは、どっちに行くとか何も言わない。

 私たちは今、同じものを見て、同じ方向に進んで行けるのだ。言葉で確認し合わなくても。

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