05 薄暗がりで夜の七時

 かにしんは私たちの水品みずしな高校とも近い西鵬せいほう学園高等部に勤めている。この春から赴任した体育教師で、野球部顧問。

 蟹江のやらかしというのは、野球部でのパワハラと体罰だった。威圧的な暴言、説教しながら部員をどつく、蹴る、不必要に過酷な練習メニューを強いる、実力にそぐわない起用でお気に入りだけを優遇する、前年までなかった部活のためのボランティアを保護者に横柄な態度で要求、不登校生徒の発生、云々。どっかで聞いたような話だ。

 そもそも学園側が元甲子園球児の蟹江欲しさに前年までいた先生を排除して顧問につけたらしく、反感を持たれてはいたらしい。西鵬学園野球部はこれまで地区大会より先に進むことは滅多になく、学園側としてはてこ入れして強豪校に躍り出たかったのだろうと言われている。ただ生徒や保護者は前年までとのギャップに驚いた、というわけだ。

 夏休み前の段階で保護者たちから抗議の声が上がり、芋づる式に体育の授業における同様の暴言等も指摘されて、学園側もさすがにまずいと思ったのか蟹江に注意したが改善なし。クレームをいれたとおぼしき家の部員を不当に叱責、過重な練習をさせるなどの行為が続いたため、二学期が始まってからガチンコのプロである保護者、噂では弁護士と官僚などが本気で裁判を視野に入れた闘争を挑んできた。ここに至って学園側はてのひらを返し、蟹江を顧問から外す代わりに問題を公にしないでほしいと保護者たちと取引をした。


 ……という内輪の事情をなぜ同僚でもない水品高校の地理担当牛島が知っているかというとこれは地元体育会系の強固な情報ネットワークの悲しさで、蟹江を西鵬の野球部顧問にするために系列他校へ転任させられた元顧問というのは、野球部の前には西鵬男バスの顧問をしていたこともある牛島のリアル知人なのだった。

 あと、牛島は中塚と仲が悪かったから、中塚に厳しいし野球部員にも厳しい。部活の所属で生徒を差別するとかまじでクズだと思うけど、成績に手心を加えるまではしていないらしく、そのへんは中塚ほど無茶苦茶ではない。まあ、体育と違って地理となるとそれほど恣意的な評定はできないってのもあるよね。

 ともあれ牛島情報から野球部アルバムを引いてみると、蟹江真治は右投げ左打ちだということが分かった。




 退勤した新ちゃんと私は、夜の七時に河川敷で待ち合わせた。野球部が自主トレするのとは対岸で。

 まあ、この時間なら野球部はまだグラウンドで練習してるんだけどね。念のためですよ。ダメでしょう、高校の教師と生徒が夜の河川敷で待ち合わせて一緒にどっか行くとか。うっかり見つかるとやばいじゃん? 下手すると新ちゃんが捕まっちゃう。それはねえ、やっぱねえ。見つからないようにうまくやらないとねえ。


 とりあえず、実質帰宅部で七時まで暇があった私が、蟹江真治のことをちょろっと調べておいた。ほんとに、ちょっとだけ。女子高生一人には限界あるからね。

 その結果を私は、会うなり新ちゃんに発表した。


「蟹江真治、学校を無断欠勤してる。住所は手に入れた」


「ふん。ビンゴかな」


 今日もどっかでテイクアウトしてきたコーヒーを飲みながら、新ちゃんは答えた。


「というか、りょう、ここ暗くないか」


「そお?」


 中塚んちのちょうど真正面、と私は待ち合わせ場所を伝えてあった。街灯と街灯の間、植え込みの背が高く伸びて、誰かが飛び出してきても不思議のないようなその場所で、私は新ちゃんが来るまで中塚宅を遠く眺めていた。


「女子ひとり突っ立ってる場所としてはちょっとな……」


「もうひとりじゃないからいいじゃん」


「そういう問題か。すっかり薄暗がりの住人になりやがって、おまえ校内でもかなりそれっぽいお化けごっこするけどあんなの心臓弱い奴なら救急車沙汰になっても不思議ないからな」


「試したいんだよ……自分の演出力をさ……」


「そんなことに凝るな」


 睨まれた。はあ、きゅんとする。見られるってのは相手の意識が私に向いてるってことじゃん。すごいよね。新ちゃんは私を見てくれるんだなあ。


「なに笑ってる」


「え、新ちゃんがかっこいいから」


 間があった。

 更にもうひとつ間があって。


「……住所は」


「あっ、照れている! そうか! もっかい言おうか! あらたちゃ」


「いいから住所を言え!」


 ふ、何ということでしょう照れている。かわいい。新ちゃんはチョロいところがあって、私がかっこいいとか好きとかいうと割と毎回慣れることなく照れるんだよな。最高。

 私は上機嫌で新ちゃんに蟹江真治の住所を教えた。ここからだと電車で二十分くらいかな。



 移動中はお互いずっと黙ったままで、電車の窓に映る夜の住宅街とか、車内の人の反射した姿とかを見ていた。そうしながら私が考えていたのは、躊躇なしの左打ちダブルハンドで六回頭を玄能トンカチでぶん殴られた中塚の、倒れた場所のことだった。

 中塚はまず間違いなくあれで死んだ。だから自分で歩いて移動したりはしない。私の視た映像では中塚の倒れた場所は、犯人の立っている地面より高い場所だった。そして血溜まりが見えなかった。暗がりだったせいもあるかもしれない。あれは十中八九、中塚の家の広いガレージだ。

 そこにあった車の、開けっぱなしだったトランクの中に中塚は倒れたのではないか、と私は思っている。

 中塚の車は私も見覚えている紺色のSUVだ。あの手の車はトランクが広く、内張りは黒とかグレーとかが多いと思う。それに中塚はあの車に部活のいろんなものを積んで試合に行ったりしていた。トランクマットを置いていたとしても、土のついた用具とか積むのだろうし、汚れの目立たない濃色にしているんじゃないだろうか。

 もしもそうなら、暗がりの中でトランクに倒れ込んだ中塚の出血が私に視えなかったということは十分あり得る。生で見たら分かるものでも、私が視たのはあくまで夢の視界だから現実ほどには明瞭じゃないし、私が視点をとったこの場合の殺人者の内心の乱れなんかも視界には影響してくる。だとすればガレージに目視で分かる血痕がなかったことも説明がつく。よくよく調べれば出るんだろうけど、素人目には分からない程度のもの。

 となると、車がガレージから消えているのは、犯人が中塚の死体を乗せたまま車に乗ってどっか行ったから、ということにならないか。

 そこまでの話は新ちゃんにも共有してあった。



 それと、もうひとつ。


 新ちゃんは私を、特別な鬼の目だという。それは、私が夢でシンクロする先の人間の気持ちまで感じ取るためだった。

 鬼切と違い、鬼の目は常に受信のみの単方向シンプレックス装置だ。通常は、映像しか受信しない。でも私は感情も受信する。チャンネルが複数ある。こんな鬼の目は今までいなかったらしい。

 殺人者や犯罪者の感情を追体験し続けるのは精神的負担が大きすぎるんじゃないかとおじいちゃんは心配してたけど、私は今んとこ平気だし、新ちゃんの役に立つならどうでもいい。


 で、今回の殺人者について受信した感情が問題だ。

 あのとき心は空っぽだった。だから夢を視ている間、私はかなり自由だった。感じたことの半分近くは私の気持ちだ。それは、殺人者側の心に浮かぶものが少なく隙間がたくさんあったから。

 それがどんな状態か想像すると。

 ……ぽかんとしてキレてる、いい年の大人。

 それはそれで、たちが悪い。

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