02 バイオテロ中塚が来ない

 目が覚めると、古典の教師が紙パックの豆乳を飲みながらソファに脚を組んで座っているのが見えて、その後ろにはなんかちょっと破けた白いカーテンがゆらゆらしていて、桜餅味の豆乳は購買に売ってないやつだからこいつわざわざ信号向こうのスーパーまで買いに行ってんのかな、と思った。私、アーモンド味の方が好きだよ。

 ともあれ教科準備室だった。

 薄暗い、本棚と本の詰まった、そこそこ狭い教科準備室で、私と古典教師は膝がくっつきそうなくらい近くに向かい合って座っていた。てか学校で眼鏡外すなつったろ心臓に悪い。


「おおかた、インカの穿頭術トレパネーションの写真を見たんだろう。穴の位置は似ていたか?」


「うっさいなー。消耗すんだよ、これやると」


「誰に似てそんな乱暴な喋り方をする子に育ったんだ。僕はそんな風に育てた覚えはない」


「育てられた覚えもないわ! 五つしか変わんねーだろうが!」


「嘆かわしい」


 眉間に皺を寄せて桜餅豆乳をすするそいつが私の幼馴染みであった。

 渡辺わたなべあらた。百年前からこの教科準備室に住んでたみたいな枯れたツラして二十四歳。古典教師。


りょう。女性語を喋れとまでは言わないし生き方はおまえの自由だけどね、喋りは癖になりやすいんだ。その喋り方しかできなくなったらどうする」


「あーあー、バカにして。ちゃんとできますー」


 すー、を上げて長く伸ばすと、新ちゃんはあからさまに嫌そうな顔をした。かわいい。ちゅーしたい。


「できてるか? 油断して校舎内でもそういう喋り方するから中塚なかつか先生に聞かれるんだろ。おかげでいまだに疑われてるんだ。あれは僕のせいじゃないからな」


 むー、と唸って私は一人掛けソファの背に身体を預け、ずるずると半分ずり落ちた。

 その中塚が問題なのだった。来ないのである。

 脳筋で、愛のムチ論者で、皆勤賞とかやせ我慢のクソ美談が大好きで、顧問をつとめる野球部の生徒にはこの時代になっても練習中の水分補給を軟弱になると言って認めない、お脳がちょっとどうかしてる私の担任こと中塚が、学校に来ないのだ。自分がインフルエンザの時にも高熱をおしてノリノリのフワフワで出勤してきて、証拠はないものの私たちのクラスを学級閉鎖に追い込んだあのバイオテロ中塚がだ。

 私はだらしなくソファの上に雪崩なだれた体勢のまま、死んだなあ、とぼやいた。

 だって、使い込まれたトンカチで中塚の頭蓋骨を六回陥没させたら中塚がばったり倒れて動かなくなったのを見た。

 さすがの私も、殺すこたあねえだろうと思う。中塚みたいな頭おかしい暴力教師でも、やっぱ人権はあるじゃん。殺していいわけではないじゃん?

 でも中塚は死んだ。まだ見つかってないけど。何しろ私はさっき、中塚を六回アレして殺したのだ。手にはまだトンカチの感触が残っている。

 あーあ他殺かあ、別にさあ好きじゃなかったけどさあ、いざ殺されたってなるとねえ、と私がぼやいていると、あらたちゃんは眉間の皺をますます深くして低い声で言った。


りょう、ちゃんと座りなさい」


「いいじゃん別に」


「スカートがめくれる。見える」


「いいじゃん別に」


「よくない」


「見たことあんじゃん」


 ものすごいため息が聞こえた。何だよ今さら、私の裸だって見たことあるくせに。保育園の時だけど。

 いいからちゃんと座りなさい、と改めて言われて私はしぶしぶ姿勢を正した。新ちゃんの声に本当にドスがきいてきたから。こういうの、新ちゃんは結構すぐ怒るのだ。カタいんだよな。


「……とにかく、中塚先生が死んだ。さっきの映像から考えよう。あれがどこで、誰なのか」


「あのトンカチに名前でも書いてありゃ一発だったのになあ」


「そう簡単にいった試しはないだろ。いつも通り、他の情報から寄せていくしかない。周囲にあったモノとか気分とか」


 気分ねえ、と私は言った。

 とはまたちょっと、違ったよね。


「なんかこう、変なんだよなあ。この人、殺人に対する躊躇ためらいや恐怖はない感じ。急にボールが来たので的な感じでパーンと殴ってんだよね。でも、何でこんなとこで死ぬんだ邪魔くさい、みたいな気持ちもある。分裂してる」


 ボロボロのソファの肘掛けに肘をついて、私はその時の気持ちを思い出す。ほんとに変な感じだ。まあ私自身は人を殺したこともないので、人殺しの気持ちを感じ取ってもあんまり分からなくて、いつもこんな変な気分になる。

 新ちゃんはどうなんだろ、と時々私は思うことがある。私がこうして視たものは、新ちゃんにも同時中継されている。でも私が感じた殺人者そのひとの気持ちまでは伝わってない。映像だけだ。

 ずっ、と音を立てて新ちゃんは桜餅味の豆乳を飲み終えたところで、にこやかでもなければ辛そうでもなくて、すごく普通。いつもの新ちゃん。で、言うことは殺人者の分析。


「計画性なく急に殺した? たまたま凶器が目に入ったか。そういえばあの金槌、玄能げんのうだったな」


「え、何それ」


「ハンマーの片側が平らで、逆側の面はちょっと膨らんでるのが玄能。ナグリともいう」


「はあ」


 どんな形だろうが金属ハンマーなら殴れば死ぬよな、と思いながら私は、新ちゃんがゴミ箱に豆乳パックを捨てるのを見ていた。ふと視線が合う。


「疲れた?」


 急に心配そうにすんのやめろよ、惚れるだろ。大体、をやって多少消耗するのなんか、今に始まったことじゃないじゃん。だから私は、ぜーんぜーん、とクソふざけた感じに手をヒラヒラさせて、笑ってみせた。


 新ちゃんは鬼切おにきりだ。

 一族には代々、こうした能力の持ち主が生まれるらしい。死んだ人の霊やその他のを見たりその声を聞くことができる。それを祓うのが役割。

 フローとしては、死者の霊とかが何か心残りがあって憑いてくる、どういうことなのか調べる、分かったら悪いものを祓う、となる。

 鬼切は伝統的に一種のバディシステムをとっていて、と呼ばれる相方を眠らせ、死亡現場とかそういうやつを夢に視させる。その場にいた人間の視点を取る夢だ。心残りがあって霊能者に近付いてくる霊というのは殺されたような人も多く、そうなると死亡現場にいた人間ってのはまあ結構な率で殺人犯だ。鬼の目の視た夢の光景はそのまま鬼切にも共有される。

 そんな手間かけるより霊自身に聞けばいいだろ、って思うでしょ。私も最初はそう思った。でも霊って、生前のその人ではないらしくて、心残りを強く思ったその瞬間のことを中心にした、ものすごく限定的な記憶しかないらしい。その瞬間の気持ちだけが、人の形してフワフワしてるようなもん。だから霊自身は自分に何が起こったかいまいち分かってないことも多いわけ。何なら名前も言わないヤツが多い。

 あと、他の鬼切と違って新ちゃんは、霊と会話ができない。霊が言ってることは聞けるけど、霊に新ちゃんの言葉を聞かせることができないんだという。受信のみの単方向シンプレックス双方向デュプレックスで会話が成立しないんじゃ、あんたどこで誰に殺されたの、何が心残りなの、って質問が通らない。他の鬼切だと、聞けば霊はなんかヒント的な内容を答えることもあるんだって。でも新ちゃんはだめ。

 そこで、相方である鬼の目に夢を視させて取材する。つまり私の出番ってわけ。

 私、鏡宮かがみやりょうは新ちゃんの鬼の目だ。新ちゃんがやれと言うならどこでも眠り、視て、目覚めてから一緒に検証したりもする。

 学生の本分は勉学とか言うけど、私はそんなものポイだ。新ちゃんが呼ぶならすぐ飛んでいくし、定期試験中だろうと眠る。で、大体の場合は人殺しを体験観察する。刺殺、絞殺、突き落とし、毒殺、色々見てきた。人間分解すんのも見たよ。人間のー、ぬるぶちぐちょぷりな手触りー。血やモツがどうこうってより、骨切るのが案外しんどいよあれ。骨つよい。

 私は平気。

 だって新ちゃんが好きだから、新ちゃんの助けになることなら何だってするもんね。殺人者にシンクロしてるものの、傍観者的に夢見てるだけだから私は絶対認識されないし殺されないし後腐れもないしさ。

 ほんとはそれ以外のことだって新ちゃんが望むなら何だってしてくれていいのに、頭が固いから「教員と生徒でいるうちは何もかもダメ」っつって全然手ぇ出してくんないんだよなー。私のいる高校に就職したりするからじゃん、バッカじゃないの? でも好き。

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