死後の世界のオーフェ
…………。
真っ暗な世界だ……。
俺は校舎の屋上から落下して、その下にあるコンクリート舗道に打ち付けられて死んだはず……だ。
拷問かと思う程の激痛を、信じられない時間受け続けた先で、漸く頭が破壊されて意識がブラックアウトした。
普通で考えたら、それは死以外の何物でも無い筈だ。
死んだ人間がその後どうなるかなんて、俺は明確には知らない。
死後の世界を語ったり、それについて書かれた著書を見た事もあるけど、どれも胡散臭いとしか思った事は無かった。
例え一度死んで生き返ったんだと言い張っていたとしても、本当に死んだ人間以外、死後の世界を知る者は居ないと思っていたからだ。
だから今、俺の意識が再起動してこうして思考を巡らせている事が、死んだ後の行為として正しいのかどうかも判断付かなかった。
ただ周囲を見回してみても、全く何も目にする事は出来なかった。
勿論、自分の体さえ認識出来ない (もっとも俺の体が存在していればの話だけど)暗闇では、ちゃんと「視る」と言う事をしているのかどうかさえ疑わしいんだけどな。
何もない……とは、何も植物や建造物だけに留まらない。
さっきからの浮遊感が正しいんだとすれば、俺は宙に浮いている状態で、地面らしき物すらないと想像された。
つまり上下の概念すらない世界に、俺と言う意識だけが漂っている……今はそんな状態と言う処だろうか?
「お―――いっ!」
俺は声を出して叫んだ……つもりだ。
声を出した……出している筈なんだが、今の俺に耳があるかどうかも、そして俺の出した声がその耳から聞こえているかどうかも分からないんじゃあ確認のしようも無い。
そして少なくとも、その声がどこかに反響していると言った感じも受けられない。
歩いている訳でも、立っているかどうかも分からない。
何かに重圧を受けて、存在するだけでも力を必要とする訳でも無いので、もしこのまま浮遊を続けていたとしても全く疲れると言う事は無い筈だ。
ストレスを感じるとすれば暇な事だけだろうけど、それを除けばこのままここに存在し続ける事も不可能じゃないと思う。
勿論、暗闇の中で何の情報も無く居続ける事に、精神が耐えてくれるかどうかは問題だろうけれど。
でも、その不安はすぐに解消される事となった。
俺の向ける (と思われる)視線の方向に小さな、本当に針ほどの小さな色が出現したんだ。
その色は……白。
闇黒の世界だからこそ、その極小の白を見つける事が出来たんだろうな。
普段だったら、多分気付きもしなかったと思う程だった。
でもこんな白い点は、さっきまでなかったと思う。
……多分だけど。
いくら一切の色がない世界だとしても、これだけ小さな点では見つける事が困難な筈だった。
まして今、この空間は上や下も分からない、三百六十度闇に包まれた世界なんだ。
そんな場所で、僅かに出現した色を見つけるなんて不可能に近いはずだ。
そして、そこから考えられる事と言えば、おおよそ一つしか無い。
この白い点は無作為に出現したんじゃなくて、俺が即座に気付く場所へと出現したと言う事だった。
「う……うわっ!」
それを肯定する様に、視線の先に出現した白い点は即座に、そして急激にその大きさを拡大して行き、まるで俺を取り囲む様に展開すると、それまで闇黒世界だった周囲を一変させて、今度は真っ白な世界へと変貌させたんだった。
そして、白い世界に存在する事となった俺は、そこで漸く俺の姿を認識する事が出来たんだった。
周囲にはやっぱり何もない。
ただ真っ白なだけが続く、だだっ広い世界だった。
いや、広いと感じているだけで、本当はどうなってるのか分からない。
壁を真っ白にしただけの狭い部屋なのかもしれないし、やっぱり際限なんてない空間がどこまでも広がってるのかもしれない。
でも俺自身、動いているのか止まってるのかさえ分からない状況では、なんの目標も無しにそれを探る事なんて出来なかった。
そんな俺の姿は、校舎の屋上から飛び降りた時と同じ学生服姿だった。
もっとも、ついさっきまでと全く違う服装だったらそっちの方に驚いてしまうから、今はこの学生服で問題ない。
むしろその方が心無しホッとする事が出来た。
「……お前が新しい候補者なのですか……?」
その時、俺の正面から不意に声が掛けられた。
条件反射で顔を上げ正面を向いた俺の目には、中性的ながら男性と思しき長身の人物が立っていた。
「あ……え……と……」
咄嗟の事で、俺は即座に有効な言葉を発する事が出来なかった。
俺の視覚が映しとった彼の姿は、どこか威厳があって神々しい雰囲気を醸し出していた。
そして、その表情は何とも傲慢……目に映る俺を、完全に蔑み見下していると言った風情だった。
「……ああ……無理に口を開かなくて良いですよ。お前がここに居ると言う事は、すなわちお前が候補者なのに間違いないのですからね。聞いた私の方が誤りでした」
中性的な顔立ちにマッチしたトーンの高い声で、かなり冷たい声音を発した目の前の男性が一体どういった人物なのか、俺には何となく理解出来た。
「……お前は……神様ってやつか……?」
理解は出来たけど、どういった態度や喋り方をすれば良いのか、即座に対応出来なかった。
考えが纏まらない内に出た疑問の言葉は、かなり失礼な言い方だったのかもしれない。
「……口の利き方がなって無いですね。私を見て神だと思ったにも拘らず、お前の口からは態度を改め、敬う様な言い方は出来ないのですね」
ギロリと視線を鋭くした男性が、声に強い威圧感を乗せてそう言葉を発した。
その言葉を正面からもろに受けて、俺はそれだけでその場から消え去ってしまいそうな感覚に襲われた。
「……ああ……これはすみませんでした……。自ら命を断とうと考えるような輩に、そう言った良識を求める方が間違いでしたね。これは私の方がうっかりしていました」
すぐに謝罪をしようとした俺の言葉を遮る様に、目の前の男性がそう言い放った。
さっきから、明らかに俺の事を馬鹿にしている様な話し方だったけど、俺はその事について言い返す事も出来なかった。
「それでは私の自己紹介をいたします。一度しか言わないので確りと覚えて下さいね、
冷静に考えれば、目の前の人物が神だとするなら、俺の名前を知っていてもなんら不思議では無い筈だ。
でも、いきなりフルネームで言い当てられれば、流石に絶句してその事を問い質す言葉が出てこなかった。
「私はオリベラシオ、と名付けられています。これからは私の事をオリベラシオ、もしくはオーフェと呼んでいただいて結構です。そして、ここは残念ながら、お前が望んだ死後の世界ではありません。ここは、お前がこれからの『道』を決める為の、分岐点だと思ってください」
「……分岐……点……?」
オリベラシオ……オーフェと名乗った男神は、淀みの無い言回しでそこまで話すと、恐らくわざと言葉を区切った。
それは俺の思考が追いつくのと、俺から何か質問が無いか待っていてくれた様だった。
「そう、分岐点です。お前は間違いなく死んで、その魂が今のお前の状態となってこの場に留まっているのです。でも天寿を全うした魂と違って、お前は安易に転生する事を許されていないのです。お前の様に軟弱な魂は、折角転生してもまた生きる事を諦めかねないと言うのがその理由ですね」
「……ぐ……っ!」
俺は即座に反論を唱えたかった。
俺にだって言いたい事はあるし、何も好きこのんで死のうと決めた訳じゃない。
俺にだってそうしなければならない理由ってやつがあるんだ。
それに、本当は考えを変えて、校舎の屋上から飛び降りる事は止めようと思っていた。
落ちてしまったのは、俺の真意だった訳じゃない……とも言える。
でもそれらを知った上で、オーフェは俺にそう言っている。
それが分かるだけに、今ちゃちな反論をする事が憚られたんだ。
「……ほう……持論を展開する様な愚は侵さないのですね……少し見直しました。お前の……いえ、あなたの認識を少し変えるとしましょう」
歯噛みして耐えた俺を見て、オーフェは口の端を吊り上げてそう俺を評価した。
明らかに上からの言い方だけど、神様だからそれも仕方ない。
「私は本来ならば、この区画の管理者では無いのです。自ら死を選んでやって来た魂を導く神は実は他にいて、本当はその者があなたを案内するはずだったのですが……。このところそう言った輩が増えた様で、神も手一杯なのが現状なのです。ですから、畑違いである私が今回はあなたの担当となったのです」
溜息交じりにそう言ったオーフェの表情は、不覚にも色っぽいと思ってしまうくらい悩まし気だった。
でも、その口から紡がれている言葉は俺達を明らかに蔑んでおり、決して同情や慈しみと言った感情は含まれていないのが良く分かった。
「この場所本来の担当神ならば、あなた達の望む様な姿で、あなた達の望む様な物言いをしたのでしょうが……。残念ながら私には、その様にあなた方の望む事をして差し上げると言う心遣いには疎いのです。興味もありません。ですからその辺りの事は諦めて下さい」
オーフェの言う本来の神ならば、恐らくはスタイルの良い女性神辺りが出て来て、優しい言い方で俺を導いてくれるんだろうな……。
いや、導くふりをすると言う事なんだろうか?
彼の言い方だと、俺や俺の様に死んだ者は幸福な転生、つまり生まれ変わりは望めないと言う。
だとすれば、どういった試練が待っているのか分からないけれど、その先に平和で幸せな世界があるはずないもんな……。
「うふふふ……その通りですよ、裕翔。私は本来の担当神の様に、事実をオブラートに包む様な言い方はしません。真実をありのまま伝えるので、あなたは良く考えて決断すると良いでしょう」
目にサディスティックな光を湛えて、オーフェは俺にそう宣告したんだ。
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