第8話 あの子たちを護ってたんだね…

「はー、もうこんな時間か。仮眠しなきゃな」


 伸びをする。軋む椅子。

 チラつく蛍光灯と、差し込んでくる東からの日差しが時計を照らしている。

 目頭を押さえた俺はもう一度体を伸ばして、目の前のディスプレイに目を向ける。

 なんとか始業前にこれを終わらせれば明日のリリースは滞りなく終わるはずだ。


 体が異常なまでに重い。何日家に帰っていないのかさえ忘れた。

 甘いものが食べたくて確か机の中にあったよなと引き出しの中を探ると、カサっと嫌な手触りがして頭の中がざわっとする。


 恐る恐る取り出したのは自分で書いた退職願だった。意識の奥底に封じ込めていたまま忘れていたらしい。

 いい加減…これ出さないとな…もういいだろう。


 限界を感じて出した退職願は踏みつけられ、それを拾おうとした俺の頭は怒り狂う上司によって踏みつけられた。


 足跡のくっきりとついた退職願を見て、俺の頭はプチン…となにか音を立てた気がした。

 体の底から湧き上がってくる衝動に突き動かされてわけもわからず叫びながら俺はビルの最上階まで階段で駆け上る。


 いつもは閉じているはずの屋上への扉は開いていて、そこからは灰色の空が口を開いて俺を待っているように見えた。


 俺を読んでいる灰色の空へと走り出す。

 そうだ屋上のフェンスをよじ登り、そして力いっぱい蹴ると、体は空を飛んで仰向けになった俺の目にはさっきまで灰色だったはずの空がいきなり青くなった。


「もし次があるなら強くなりてえなぁ…俺も、俺の近くの誰かも自由にすることができるくらいの圧倒的力があったら…楽しいんだろうな」



―――思い出せたかい?


 私は少女の声で我に返る。

 ああ…今のは私の前世か。そうだ。思い出した。

 一瞬の夢だったのだろうか…それとも真紅の魔女が時間で求めていたのだろうか。

 私の体はまだ無事のようだった。


「やまもとゆりこ」


「ッ!?」


 その名を呟いた瞬間、膨れ上がっていた魔王の魔力が一瞬で収縮するのを感じる。


「あなたは…その力で誰か救えた?

 あなたは今自由?」


「貴様…俺の記憶を見たのか?」


「見たのは…見てしまったのは貴女の最後の手紙だけ」


 完全に攻撃の手を止めた魔王の方を私は振り返り、狼狽えている彼の体をそっと抱き寄せる。

 あの記憶が確かなら、魔王の願いは「誰かを助けたい。困ってる人を助けて、悪い人を懲らしめる」そのために、彼は強大なZカップにもなる魔力を睾丸に宿した。

 そんな彼が魔王をしているのは何故だろう…そう考えた時に、通り過ぎた廃村や城の中にいた蠢く肉塊のような生き物や目だけの化け物…巨大な足だけの魔物を思い出していた。


「あなたは魔王になることであの子たちを護ってたんだね…」


 彼らはきっと体の部位が肥大化しすぎて非との姿を保てなかったり、異様な見た目のために魔物の領域に捨てられた人間だ。

 それを魔王は保護して守っていた…そのことに気が付いた私は気が付いたら彼の頭を優しく撫でていた。


「下手な慰めはよせ。

 俺と共に人間共に復讐をしないというのなら、俺とお前は殺し合いをする運命だ」


 魔王は、急に我に返ったように私の腕を振り払うと、キッとこちらを睨み付けてくる。

 しかし、その瞳には最初のような殺意の光は宿っていないように感じる。


「そんなことないよ。

 私の願いは自分も他人も自由に生きるために圧倒的力…。

 あなたが、捨てられた稀人たちをずっと護れたなら私にだって、貴方やここにいる稀人達みんなを自由にすることが出来るはず」


 真っすぐ魔王を見る。私は信じたい。

 こんな不自由な体を持ってしまった理由を…。たくさんの人を不幸にしてしまったけれど、そんな私にもこれからそれ以上の人を救えるのかもしれない。

 まずは、目の前の誰かを助けたくて雁字搦めになっているこの人を自由にしてあげないといけない…そう思った。


「私を信じて力を貸して」


 訝し気な視線を投げてくる魔王に私は手を差し伸べる。


「予想よりいい物語になりそうだね。私も混ぜてくれないか?」


 急に空中に円形の真っ赤な魔方陣が描かれたかと思うと、その魔方陣が溶けだしたのかと思うくらい鮮やかな紅い美しい布地が目に入る。

 優雅につま先からボロボロになった床に着地した少女はこちらを振り向いてにっこりと笑う。


「Yカップの魔導拘束具ブラジャー持ち…てめえは…」


「君を倒すのならとっくにしているよ。蓄積された魔力量が強さではないからね。

 それよりも、ほら、君たちの物語がどうなるか私に見せておくれよ」


 真紅の魔女は私の差し出した手を取ると、驚いている魔王を見ながら真っ白な手袋をつけた華奢な手をふわりと差し出して小さな唇の両端を持ち上げて微笑む。

 有無を言わせないといった感じで魔王の手を取ると、真紅の魔女は私の顔を見上げてウィンクをした。

 私は、渋々といった様子で真紅の魔女と手をつないでいる魔王の開いている方の手を取り、三人で円になる。


「お二人とも…全ての魔力を吸い取らせていただきます…」


「待て…お前…そんなことしたら…」


「いいから黙ってみているといい。これが彼女が勇者として歴史に名を刻む瞬間だ」


 ものすごい勢いで私の手から胸に向かって魔力が流れていくのがわかる。

 魔導拘束具ブラジャーが私の胸の膨張に耐えられなくなりブチブチと音を立てて壊れ足元に落ちた。

 まだ足りない。限界まで…限界まで…。


 白んでいく視界の中、濁流のように流れ込んでくる魔力の中に紛れ込んだ記憶らしきものがある。

 それは、以前見たカードに描かれていたものと同じ美しい筆跡だった。


『私は世界を観測したい。

 どこにでもいてどこにでもいない。世界に深く鑑賞できなくなろうと…。

 私は善であろうともがくものも、悪に染まってしまうものも全てを観測して、そして物語を紡いでいく…

 それが死という甘い時間と永遠に巡り合えぬ化け物になると同義であっても…』 

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