5.痛み

さて、長く感じていた一月の猶予も終わりを迎え、今日から登校日だ。ぎりぎりでAランクを勝ち取り、中川にすっごい感謝され、迎えたこの憂鬱な日・・・


桜が咲いてるー、わあ綺麗。でも散りがたですね。桜を堪能する暇もなく駆けずり回っていたから当然か。ちなみにこの間電話したところ、あと少しで卒業できるとの嬉しい情報を、なぜか久松から流されたので、長くてもあとひと月の辛抱だろう。

「あ、あの人!」

イケメンでも見つけました?女の子の黄色い声が聞こえてくる。登校初日から元気のよろしいことで・・・

「あの!前、駅で助けてくれた人ですよね。」

「え、俺?・・・あ、ああ、あの時の。災難でしたね。」

駆け寄って来たその子は、忘れもしない。一番最初に現行犯逮捕した刃物のおっさん・・・の被害者だった。まさか同じ高校だったとは。

「ほんと怖くて。お礼言えなかったの、後悔してて。ほんとにありがとうございました。」

「え、いや。」

くすくす笑ったその子は急いで友達に合流し、行ってしまう。揶揄われたのだろうか。それはまあいい。とにかく、だ。教室まで奴らに見つからないよう進まねば。元はと言えばこのための殺気レーダー・・・ でもないけど、奴らのおかげで上達したんでね。


というわけで、できるだけいろいろなところから死角になるところを縫いながら歩いていく。前上から水とか泥とか色々降ってきたんで、校舎の近くは避けて。

いや、それにしても周りがちっこい。姿勢が良くなったせいだろうか。なんだかちょこまかと騒がしく流れていく・・・いやいや、あんなガタイのいい人たち見慣れていれば当然そうなるか。

・・・と、昇降口で物凄い殺意を感知。明らかに俺に向けられている。よし、逃げよう!

これが学校のいいところ。取り敢えず逃げて問題なし。さらに言えば俺宛のラブレターなら無視しても罰は当たらないね?ほんまもんなら恨まれそうだが。

階段を素早く走り抜け、3階、三年教室が立ち並ぶ方へ。殺意の気配は遠くなってもまだ漂っている。ここまでとなると鮒羽か?

ここで、貼り出してあるクラスを確認・・・おいおい。先生とかもう本当に呼びたくないぞ。

ご丁寧に佐倉、花岡、中村、鮒羽だけでなく、学年でも悪名高いいじめっ子リーダーみたいなやつまでいるぞ。中田ってやつ。関わったことはないが、とんでもないやつだっていうのは、他クラスでも普通に聞き及んでいる。頭がいいわけではなさげなのが、せめてもの救いだろうか。


で、鮒羽が来ていることを想定して遅めに設定はしたが、まだホームルームまで十分強ある。後ろの殺気は近い。

お目当の38組は突き当たりの広い教室のはず。早く行こうが行くまいが袋の鼠。通常のペースで歩いていた。前方には全く異常がない。

「やっと出てきたか、浪花。」

敵意や殺意を見逃すはずがないのに。・・・簡単な話。奴にはそれらがない。一体鮒羽はなにを考えているんだろう?

「浪花、で、今までどこに・・・」

「どおおおしよおおおおおう!!卒業したかあああああ!!」

「蒲原さん!?なんで!」

がっちり肩を組んできた彼の筋肉健在。ものすごい絶叫とともに現れた。

「驚いたぞおおおお!まさか同じ高校だったとは!」

「え、でも同学年にはいませんでしたよね?」

「先生の学校に編入したに決まっているだろおおう!よし、筋肉同好会結成だあ!」

「・・・需要あるんですか?」

「浪花よ、聞いて驚け?新任の先生にだな、筋肉好きがいらっしゃるのだ。あの学院で働いていたが退職なさった先生で・・・」

「その同好会、入ります!」

「そうこなくては・・・ん?」

・・・猛烈な殺気の主と、目の前で黒いオーラを撒き散らしている鮒羽に挟まれた。・・・俺としたことが、まさかこいつの存在忘れるとか。

「浪花もタイヘンだなあ。取り敢えず・・・」

「にげましょう。」

「ん?」

「ニゲマショウ。」

そこに窓がある限り!俺は逃げられる。戦うなんて冗談じゃない。敵意のない悪意以上に怖いものなんて、世の中に早々ないんですよ。

動く要塞蒲原を抱えた浪花、三階の窓からダイブ。一応慣れていた動作。(※真似しちゃダメ、ゼッタイ。)

「・・・大丈夫ですか?」

「骨が折れると思うなら飛び出したりしないさ!問題なし!」

ちなみに殺気の主は佐倉だった。あの、橋本さんより短文の脅迫状を送りつけて来ただけのことはある。普通に人殺し目前ほどの殺意だった。お見事。

「それで蒲原さん、えっと鯉道先生でしたっけ。雇ってもらえたんですか?」

「二十歳になったら、自分の金で雇いたいと言われた。まさかの年下!」

「それじゃあ、ここの生徒。」

再び階段を登り直し、指し示されたのは・・・鮒羽の彼女、学年一の美女深澤さんである。まさか・・・まさか腐女子だったとは。

「あっ、浪花君・・・」

どうして泣きそう?確かこの人、俺のいじめには一切関わってなかったはずだ。

俺は後で理科準備室に来るように言われ、予鈴が鳴る中蒲原さんと別れ教室へ。


ご丁寧にどうも。一目で俺の机の位置わかりました。

でもねえ、カッターで傷つけるのは、学校の備品なのでいけませんよ?普通に汚されているのはまあいいとして。ちょうど担任の先生が来たので 机の欠陥を説明し、交換してもらいました。何を面食らってるんでしょうね。これまでカッター傷なかったから言ってなかっただけなんですが。

それにしても気の弱そうな男の先生。中田という最強のいじめっ子を擁するこのクラス、放任でしょうね、荷が重すぎる。

第一限目は自己紹介をスキップして、暗黙の了解的に仕切る鮒羽委員長のもと、委員会とクラスの係、教科係などを決めるとこに。面倒なので一番人気ないのを選択しますよ。

・・・ みなさん不満そうですね。委員会は力仕事の庶務、係はゴミ捨て、強化係は適当に人気ないところってことで歴史ですけど。

一人でもそんなのがいると割と早く決まるものですが、庶務と歴史が決まらない。「気持ち悪い」んでしょうね?近づきたくないんでしょうね?空いたままになりました。筋トレ代わりの庶務と思えばいいか。


ここで、 チャイムの音まであと二分。

まず、机の表面に強力な防水、防汚能力のある接着シート、それから教科書入れという、物を入れる絶好の穴は取り敢えずダンボールで塞ぐ。ひとまずこんなものだろう。弁当達は菅原さんと戻る途中にいつものところへ隠したし、制服の予備はばっちり。今日は授業がないため教科書類はなし。

チャイムの音、そして奴らも動き出す。今度啓蟄とでも名付けようか。

「おいてめえ、きめえんだよ。」

語彙力不足の中田氏。それから濃厚な殺気を放つ佐倉。

「浪花おまえ、これまでどこ行ってやがった。そのおかげで俺は・・・」

「いじめられでもしたか。悪かったな。」

拳骨が飛んで来た・・・どうしよう。習慣的に避けてしまった。

「貴様貴様貴様あぁ!」

そりゃそうなるよね。怒っている人に一番やっちゃいけないことだ。いつか後ろから刺されそう。

「佐倉、こういう生意気なのを締めるのが楽しいんじゃないか。だから、もう君に向くことないよ、安心して?」

猫撫で声の中田。気色悪い。


そのとき、電話の着信音が聞こえて来た。空気も読まずに鳴りだしたそれに誰も出ないが・・・俺か?いや持ってないんだが。

「えー、もしもし?」

黒の細身のケータイ、単純な通話以外できない仕様のメールも打てないやつがなぜかカバンから出てきた。ちょっと怖いが、爆弾ということもないだろう。

「浪花か。Aブロックのチームの援護に迎え。お前以外では無理だ。助っ人呼べるなら呼べ。質問は後だ。」

又部さんからの通話はすぐに切れてしまった。直接言われたのは初めてだが、援護はこれが5回目くらいになる。

「お電話とは余裕ですねっ!」

面倒だし時間が惜しく、中田が殴りかかって来たのはちゃっちゃと避けて走る。

経験上相当切羽詰まっているはずだから。ここから俺の足で約十分。場所的に警察が来るまで二十分くらいかかるところ。早くしなければ。

一応蒲原さんに顔を出したがまだ授業続行中。さすがに悪いので、窓から下水管を伝って降り、走る、走る、走る。

さて、現場に着いて見ると相手は15人ほど。運良く凶器に刃物はいないがパイプや縄、バッドなどがいる。面倒な相手だ、なりふり構わず襲いかかってくるから。二人の姿は木に縛られ、ボコボコにされていたらしくひどい有様だ。警察が来るまであと少し。もたせなければいけない。

変な武器を相手にしたのはこれが10回目くらいだが、正統派になれないのには理由があるのだ。ただ姑息というのもあるが?動きに慣れてしまえば問題にならない。

人数で手こずったが、難なく制圧に成功。警察に概ねを説明、二人は病院へ運ばれ、事なきを得た。

で、再び走って学校へ。途中露出狂に遭遇して、それも通報なんて言っていたら完全に遅刻してしまった。


着いた頃には二限目も残り五分。視線が痛い。

「いい度胸だなあ、登校初日からそれとか。」

これにはなにも言い返せませんね、中田の言う通りだ。

「え、えっと、浪花君、だよね?何してたの?」

先生登場。しかし話していいものなのか?霜月も又部も割と秘密にされているのものだ。

それに、馬鹿正直に、応援呼ばれたので走って行って、複数人倒したので遅くなりましたー、なんて言っても普通信じないよな。

それじゃあなにか?逃げてたら親戚のおばちゃんに見つかって、長話に付き合わされました、とか?うまくない・・・と、電話だ。

「はい?」

「助かった。携帯は氷長に言って入れさせたものだ。何もできないものだが、自由に使ってくれて構わない。それから、担任に変われ。」

「え、・・・はい。」

仕方なく携帯を渡すと、困った顔の先生が受け取り、何やらちょっとこっちを見て頷きながら話を終えた。・・・普通に怖い。

「浪花君。そういうことなら、ちゃんと言わなきゃだめですよ。バイトの助っ人呼ばれたんだってね。電話の人は雇い主さん?」

「まあ、そんなところです。」

うまい!うまいぞ、さすがだ。この詐欺師並みの誤魔化し能力、ちょっと見習いたいくらいだ。

「ちゃんと迷惑かけないように・・・」

「でも雇った人かわいそー。集客率下がるし、いいことないじゃん。」

中村、道場に集客業はほとんどないぞ。

「はっ、こんなやつ入れるとか、頭湧いてんじゃねえの?」

・・・・・中田よ、世の中許せることと、絶対に許せないことがあるのだよ。俺から勝手に類推してその先を判断するのはな、親から子供を類推するよりずっとたちが悪いって知ってたか?

「俺みたいなの集めてるだけとは思わないわけ。」

ま、まあ語弊はあるが似たようなものだ!ほら、霜月途中脱退とかいうと、地味に変なことできる人とかいたしさ?

「はっ、偉い子ちゃんかよ。雇い主さんは優しいわけ。よかったなあ、バイト先ではいじめられなくてさあ。」

力は選択権を与えてくれる、か。間違ってはないさ。確かに間違っていないよ忍川さん。俺に罵倒か、又部さんに罵倒か、どちらを選ぶかは俺が決めるのだ。力でねじ伏せようとは思わないけど。

「みんな落ち着いて!えっと・・・とにかく授業終わり、仲良く仲良く・・・・・」

先生はきっといい人。だが、いい人というだけでは、暴走は止められない。

「浪花ああ!顧問の許可降りたぞおおお!さあ行くぞ!」

・・・ここまで強引もどうかと思うが。舌打ちの音を後ろに聞きながら引き摺られて行った先におじいちゃん先生。明日の入学式で正式にここの教員になるみたいだが・・・うん。この人相当強そうだ。先生に挨拶し、蒲原さんと三年教室へ。

「浪花、何かあったら、すぐ言うんだ!同じ時を過ごした仲だからなあ!」

嬉しいぞ蒲原さん!取り敢えずそのハイテンションは救いだ!今から俺は悪童の坩堝と化した教室に向かうんだからなあ!


っと、思っていたんだけど。

「中田、俺のおもちゃ取ってんじゃないよ。」

鮒羽の殺気で教室がざわめいている。中田危機。先生オロオロ。首を絞められ、すでに真っ赤になっていた。

どうしたものか。まあまだ息はあるが・・・うーむ。


考えているうちに数秒経過、そこそこ強い力で締められているらしく、泡を吹き始める・・・おいおい、俺にだってそこまでやってないだろ!さすがに死にそうなので止めに入った。引き離したはずみで鮒羽に突き飛ばされたが、殺意の方は雲散霧消していく。なんだろう、この人。

「おまえ、誰に向かって生意気やったか、わかってるよなあ。」

なんなんだ、本当にわけがわからない。郵便ボックスの中身も、これまで受けて来た痛みも屈辱も忘れちゃいない。なのになぜ、淀んだ感情の中に敵意の片鱗すらないのだろう?


彼がもう脅威ではないことは今朝見た瞬間からわかっていた。少し見ぬ間に窶れた顔と、疲れたような風体。本当に今まであれだけ尊大に振舞って来たやつかと本気で疑った。

早い話、憔悴している。精神的にも、おそらく肉体的にも。その原因はもしかしなくても、俺なんだろう。少しやり返してやろうと思わないでもなかったが、そんな気力がどんどんしぼんでいく。

そもそも、朝以来今に至るまで全く関わってこなかったのは何故だろう。これまでなら絶対にあり得なかった。

蹴られながらそんなことを考えているのは、かなりおかしいことかもしれないが。

「これまでどこに行ってたんだよ!」

襟首掴まれて殴られても、あまり痛みを感ない。そうこうしているうち、先生がオロオロとこちらに近づいて来る。悲しくなるほど無力だ。どちらがいじめているのかわからない。

「鮒羽君、やめなさい。」

先生の声が震えている。いい人を困らせるのは好きじゃないが、こればかりは、いきなり立ち上がって、俺平気です、てへっ、とかやったらきっともっとひどいことになるし。

「あんたも、この落ちこぼれクラス担当で災難だな。これから先やっていけんのか?」

嘘だろ?・・・こいつが落ちこぼれのはずがない。ずっと成績上位者で、大学の推薦とかも余裕じゃなかったか?そうだ、そもそもなぜ、佐倉や中田と同じクラスなんだ。噂が回ったのか、それとも俺がいない間に、なにかあったのか・・・

いや、どうでもよくないか?そんなこと。鮒羽はでもなんでもないんだから。・・・そうだよ、友達じゃないんだから。

先生は困った顔になって、落ちこぼれじゃないとか言っているが。まるで説得力がないのが現状だ。

「おまえさえ、いなくならなければ・・・」

「鮒羽君、もうやめなさい!」

「どこに、どこに行ってたんだ。」

一瞬謝りそうになった自分が怖かった。謝らなきゃいけない要素なんかひとつもない。俺はただ、自分の自由意思で、深琴君を守りたいと思い学院へ行った。友達なんて俺にはいないのだから、誰にも言わなかった。誰にも言わずに休学という形で、学校に行かなくなった。

・・・あれ、それが罪悪感なわけか?

鮒羽はただ、俺を支配したかっただけ。いじめて楽しんでいた、暇つぶしだ。

・・・本当に?本当にそれだけか?それだけで、こうなるのか?

少なくとも、友達とは呼べない。だから、言わなかった。言う必要なんかない。

・・・友達ではなかったかもしれない。でも、本当に嫌がらせ大魔神というだけだったのか?

「・・・・・ごめん。」

鮒羽が何か言おうとした時、盛大に邪魔が入った。


言い忘れていたがこの教室、元々特別教室だったものを一般教室として使っているもので、廊下から一直線に中に入られる上、そこに椅子机のない空間があったりする。そこでのいざこざだったわけだが。


いきなり扉が開いた音がしたと思えば、気配がすぐ傍にある。中々お目にかかれないほど強い人だと思う。最低限の防御には辛うじて間に合い、繰り出される攻撃を避けつつも、自分の方はほとんど攻撃できずに追い詰められていくのが痛いほどわかった。

その時、パシュッと鋭い音を聞いたと思えば、窓際に吹っ飛ばされた・・・が、すぐに体制を立て直し、なんとか相手の動きを止めるのに成功した。

「ふむ。中々やるじゃないか。・・・しかし、しかし若いなあ。実に青い。蒲原よりは応戦したし実践も積んだようだ。これから抜き打ちでやるから覚悟しておけ?」

「はい!お願いします!」

で、なぜ頭を撫でるんだ?ああ。襲ってきたのは顧問のおじいさん小林先生。 強すぎる爺さんだ。

「でも、ちょっとやりすぎちゃったね?」

吹っ飛ばされた壁の方を見ると先ほどまでなかった凹みと、窓枠が少し歪んでいる。

「・・・どんなふうにしたらこうなるんですか。」

「え?君にだってできるだろうよ、バシュッとこう、バシュッとやれば、少なくともバットなしで窓ガラスくらい割れる。やってみるかい?」

「・・・備品破壊はだめですよ。あ、ダメになった机くらいなら割ってもいいかもしれませんね。」

なんとなく穏やかに話していたら、何人かの顔色がおかしい。

「あ、あなた新任の?あ、あ、だ、だめでしょ、生徒に・・・」

「え?だめなの?・・・どうしよう、禁固刑かな、剥奪かな。」

「ちょ、ちょっと待ってください!えっと・・・特別訓練みたいなものですし、ほら、俺なんともないし。」

「ほほほ、丈夫だなあ。まあ殆どお互い一般人じゃないからいいか。それじゃあ明日からよろしく。」

華麗に去って行く先生・・・なんかいろいろ台無しにしてくれた気もするんだけど。

「バケモンかよ。」

中田たちのつぶやきが聞こえる。先ほどまで荒れていたはずの鮒羽は驚くでも怒るでもなく、ただ、無言で俺を見ていた。


なぜ、謝らなきゃいけないと思ったんだろう。これまで散々な目にあって来たのに。


でも、少し考え直してみればすぐにわかった。いじめ云々暴力云々はこの際置いておいて。「鮒羽の暴力で気絶した」それは数分の話じゃ多分ない。起きた時に必ずいたのはただの嫌がらせだと思っていた。

「なぜ不登校にならなかったのか」居場所があったからだ。決して暖かくはないが、声をかけられ、連れまわす人間がいたからだ。家では誰も俺を呼んではくれないし、誰も側にいてくれなかった。みーちゃんの気まぐれより、なぜ、学校随一のお楽しみ行事、修学旅行のとき、人気のある鮒羽が他の誰か出なくて、一人きりだった俺に四六時中張り付いていたのか。

俺はいじめという言葉を利用して、必要なくなったからとその十年を完全に否定してしまった。

鮒羽が正しかったなんて思わないし、思いたくもない。ただ、誠実さに欠けたことは事実だったのかもしれない。思えば単に嫌がらせや盗撮の目的だったなら、風呂場や寝室にカメラがなかったのはおかしいんだ。幸いにして一度も風邪を引いたことのない俺だが、もし、インフルエンザかなにかを患って倒れたとしたら・・・最悪孤独死、か。


「ごめん。」

再び言葉を絞り出すと、周りの声を無視して強く腕を掴まれ、いつもの教室に連行される。致命的な弱みになっている刃物に対する、トラウマの発生源だ。

「なぜ謝る?」

「・・・知ってたんだろ、親のこと。」

鮒羽はあの頃、なぜか俺の身辺を探っていた。その最中の不幸な事故だったから、知っていて不思議はない。

「でも、なんで・・・」

「勘違いするなよ。元はといえば、ただ嫌がらせの一つや二つしてやろうと思ってただけだ。気に入らなかったんだよ、思い通りにならないことがあるっていうのが。ただのやっかみだ。」

端に寄せてあった机の上に腰掛けて、それから俺の方を見た。

「本当に、小学生の時からなに一つ思い通りにならなかった。色々鈍すぎるお前のせいで。」

勇子さんにも言われたが、そんなに俺って鈍感なのだろうか?

「・・・それにしても変わったな。鈍いのはそのままみたいだけど。」

「え?」

「前までここに連れて来ただけで、縮こまってたくせに。」

未だに怖いのは怖い。でもなんだか、急速に距離が遠くなった気がした。同窓会とかで思い出話をしている感覚というのは、こういうものなのだろうか。

「浪花、それにしてもよく帰って来たな。居心地良かったんじゃないのか。」

「いつまでも居られる場所じゃないから。」

「嘘でももうちょっと色々あるだろ。」

鮒羽がそのままポケットを探るので、自然体に力が入る。それはいつも、カッターを取り出す時の仕草だったから。

「本当は・・・いや、なんでもない。もう関わったりしないから安心しろ。・・・三年にまでなって構ってやるほど暇じゃないんでね。」

そう言って、刃の出ていないカッターを俺に投げつけて、教室を出て行った。

謝罪なんかされたら、その方が怖かったかもしれない。なぜか泣きそうだった鮒羽の手から離れたカッターは、すぐにへし折れそうなほど頼りなく見えて、どこも刺されてないのになぜかひどく寂しくなった。

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