20.温もり
さて、深琴くんに事情を告げ、まだ昨日の疲労の残る中、集合場所に向かう。ああそう。久松はまだ普通に部屋で寝てましたよ。鉛板とかほんとにやるんですね。怖い怖い。
念のため四食分の餅(揚げたやつ) と、小魚チップス、チョコレート(登山用)など諸々をかばんに詰め込むと、意外と重さが出てしまう。そうはいっても途中で失神とか嫌なので。
「浪花お前!起こしてけよ。」
「いやあ、疲れてると悪いなあと思いまして。」
「貴様の寝起きが良すぎるだけだ!それに遅れたら面白いのにとかどうせ思ってたんだろ。」
「いや、まさか。言いがかりはよくないですよ、久松さん。」
喧々していたらまた後頭部にバシッと。・・・しかしなぜ俺だけ。
「橋下さんひどいですよ?」
「・・・いつから俺は橋下になった!?寝ぼけてるなら顔洗ってこい!」
やっさんでした。すみません。しかし朝から非常に不機嫌。
「全員揃ったな。・・・くれぐれも、気をつけろ。たまに渓谷もある。吊り橋は2名ずつ、静かに歩け。たぶん・・・恐らくそれなら問題ないだろう。他の注意点は昨日話した通りだ。では、道形で行けるはずだから、目的地の祠まで行ったら戻ってこい。いいか、何かあったらすぐに連絡だ。逸れることのないよう気をつけろ。無事を祈る。」
祈らないでええぇ!
「じゃあー、久松と浪花は離れよーかー。」
「え?」
ぽかんとする久松。俺も橋下氏の発言の意図がわからない。
「お前ら、競歩になって結局橋の上とか走り出しそうだからな。道中喧嘩はそうでなくとも煩わしい。」
やっさん・・・やっぱり低気圧。
「それじゃあいこーかー!」
橋下氏の独断で、久松は前から二番目、俺は後ろから二番目。
そして森の中。涼しいは間違いなく通り越している。いつも通りジャージの上下だが、長袖にしてよかった。また鈴の音が寒々しい。
ちなみに、道があるとは言ってもいきなり四肢をフル活用する壁面上りからです。あくまで、トレーニングなので、楽しい登山はさせてくれません。先頭橋下さん、しんがりやっさんのパーティは遅すぎず早すぎず、淡々と進み、途中休憩なども適度に挟みつつ、山の最深部へと向かっていく。
「これ、思ったより早く着くんじゃないかしら?」
「そうかも。」
勇子さんのさりげない声掛けが聞こえる。先輩は昨日こってり絞られ、だいぶ目がましになっていた。
そんな中、異変が起きたのは正午を少し回ったところ。昼飯を食べ、ちょっとしたころ。
突然の雨。山の天気は変わりやすいから、こうなったらすぐ戻る、もしくはその場で待機が原則。
吊り橋はまだだった。橋下さんは雨が小降りなので先に進むことを提案。視界は確保できているし、足元は土。滑る心配はほとんどない。誰もやめようとは言わずに先へ進み、吊り橋も超え、しばらくしたら大雨になった。人の声は聞こえなくても前に気配はある。辛うじてだが見えもする。だからついて行っていた。が、前方にはって・・・あれ。
「八重川さん?八重川さん!?」
吊橋までは確かにいた。間違いない。しかし、大雨になってからは・・・?
後方に気をとられる間に前方の影喪失。とにかく近くの木に石で目印を彫りつけ、道を外れると本格的に迷ってしまう可能性を危ぶみながら、進んだ所には目線の位置に印を打ち、とりあえずやっさんを探す。
「目は・・・無理。普通に見えない。」
ちょっとでも動けばわかるようにはなっているはずだが、出始めた霧と雨で周りは乳白色。一メートル以内の視界ほどしか確保されない。
「聴覚・・・雨さえなければ。いや。近づけばわかるはず。最後は皮膚感覚・・・か。」
雨では普通殆ど虫は出ない。この際刺すなりなんなり好きにしろだが。
Tシャツ一枚になって体温を探る。鈴の音でもいい。足音でも・・・
「八重川さん!」
虚しく雨に吸い込まれる声。鳥の身動ぐ気配まで感じながら、一番欲しい特大のものが見当たらない。
さらに激しくなる雨音、遠くで轟く雷鳴。早く確保しなければと焦る・・・ああ、焦ると思考が鈍る。いけない。変に感覚も麻痺してしまうのか。
深呼吸を繰り返し、ぎょっとした。
・・・一メートルくらい先の、たぶん鳥の息遣いが、聞こえ出していた。
「八重川さーん! 槇さーん! 」
気温がさらに下がっている、というより多分体温が奪われ始めている。このままでは・・・
SOSが本格的に頭を過ぎったとき。
「浪花?」
「八重川さん!」
雨音とは違う、確かな声だった。
このぶんだと恐らく二メートル以内。目を閉じ、他の感覚を。
見つけた。人影。そして温かいもの。
「八重川さん!」
確保した安心感なのか、自分も遭難しかけた恐怖心からだったのか、夢中で抱きしめた。
とにかく暖かい。そうか。俺はこれまで、これをを怖がっていたから、うまくいかなかったんだ。
「浪花、他の奴らは。」
「後ろに気を取られた一瞬で、見失った。でも一応、木には刻んであるから、視界が開ければ合流できる・・・と思う。」
「・・・すまない。足を滑らせたら、そのままここまで転がって。動くのも視界が効かなくて無理だったから。」
「怪我とかしてないですか。」
「ああ、大丈夫。」
「よかった・・・」
元気そうな声と、気配と、体温と様子と。心から安堵していた。手当たり次第に付けた印もあるし、霧さえ晴れればまた合流できるから。
「浪花、俺はいいから、みんなと合流しろ。・・・やっぱりちょっと怪我した。SOSを呼ぶから・・・・・」
「え、大丈夫ですか?応急処置なら今すぐできるけど。」
傷の手当てはお手の物だと提案するのに、やっさんは苦しそうな顔をして首を振る。
「一緒にいたって、いいことはない。戻れ。」
折角見つけたのに、何のあてもなく彷徨うのは嫌だ。放置していくのはもっと嫌だ。
「八重川さん、一緒に待ちましょうよ。ここに1人も、ほっつきあるいて1人もいやです。」
「お前が困るだけだ。早く・・・」
「何がですか!」
一瞬言いにくそうに顔を背けたやっさんは、小さくその問いに答えた。先ほどまで聞こえていた雨音も動物の気配も消えて、今は隣の人の息づかいと、自分の激しい動悸しか聞こえない。
「お前が困るとわかってて、こんなこと言うつもりじゃなかった。でも、お前が走ってくる音が聞こえて、抱きしめられて、もうだめだった。・・・だから言ったのに。」
・・・確かに俺、前困るって言った。が・・・この状況でそれ言います?
「あ、あの・・・」
「何も言わなくていい!聞かなかったことにしろ。」
「いや、その。友情と愛情の違いって、何かな・・・と。」
「は?!それよりによって今、俺に聞くのかよ。自分で考えろ!」
腕を組みそっぽ向いてしまったので、確かに失言だとやっと気づいた。
「・・・ったく。だから・・・例えばお前の友達・・・神田とか久松に彼女ができたらどう思う?」
「微妙に面白くないけど、まあちょっと羨ましいかな。」
まだあらぬ方を見たままだけど、律儀にも教えてくれるらしい。
「それから、えーと。他の人例えば蒲原とか橋本あたりとじゃれてたらどう思う。」
「仲良いな、くらい。」
「二人きりになりたいとか、自分だけのものにしたいと。 思うか。」
「まさか。」
「そうだな。それが友達、友情の方。もうちょっと愛情は理不尽だ。過激になれば、それこそ束縛が尋常じゃなくなったり、監禁して他のやつの目の届かない所に閉じ込めてしまうほど、凶暴な感情なんだ。友情にそれはないだろ。それから、愛情は結構色々なことに不寛容にもなりやすい。他意なく行われるスキンシップにすら、過剰に反応してしまう。そんなところだよ。」
「それは、執着とかって言うんじゃ。」
「あー!ほんとお前。どうやったらそんな風に鈍感になれるんだよ!」
いきなり向き直って、ビシッと俺の眉間に人差し指が突き立てられた。
「平たく言えば、俺はお前が好きで、久松がお前の部屋に入り浸ってるのも、神田が飯食いに行ってるのも、面白くない!それにやたら久松と仲良さげなのもついでに。馬鹿みたいに一所懸命に頑張ってるの、ずっと見てた。自分のことなんか全く考えてなくて、それなのに他人のことばかり気にかける。おかげでこっちは、ほんとわけわかんない癇癪起こすし、橋下あたりが感づいて、煽るために色々やってくるの、わかっててもイライラするし、鮒羽とかいう連中全員殺してやりたくなってくるし・・・」
「八重川さん・・・」
ヤケになってまくし立てるのを聞いていて、なんだか微妙に嬉しくなってくる自分がいた。
「って、困るとか言いながらなに話させてんだよ。」
「いや、なんか嬉しくて。」
そう言うとまた、馬鹿だあほだとか罵りながらしかし、手で顔を隠している。
「八重川さん?」
「もう知らん!絶対落としてやるからなっ!」
拗ねている。最初ものすごく怖かったのに。いやそもそもどうして俺?他の人も目標に向けて懸命なのは変わらないじゃないか・・・
と、正直に聞いたらもう少し客観的に分析しろと言われ。まさに五里霧中だったところに突如現れる赤い日輪。まだ雨は降っているが、雲が切れ始めたのだ。夕暮れの水滴一つ一つが光を持ち、葉から滴り落ちていく。
「綺麗だなあとか思ってる場合か。・・・合流するぞ。」
八重川さんも思ったんじゃないかと思いつつ、彫られた後を探し始める。
道中、今日の発見なんかの話もしながら、パニック起こしたあたりで何回も同じところを回っていたことや、平気で川の中突っ込んでいた事実などが知れた。
それにしても。やっさんは大丈夫だろうか?いや絶対、大丈夫じゃない。
あの小屋では平手の鬼と巨人の鉄拳、それから突き出た木をいとも簡単に避けていたというのに、今は真正面から木に激突している。これで5回目だ。
「大丈夫ですか?」
「問題ない!」
そう言えば、前もそんなことがあったような、なかったような。らしくなさで言ったら久松が勉強教えろとか言ってくるくらいのものだろうか?
そうして歩くこと数時間・・・でしょうね。印が消えると同時に、アホな字が彫られた木を発見。逸れた場所でとりあえず野宿になった。
「ここで待てば、少なくとも復路では合流できるはずだ。」
すっかり晴れたがもう日は沈み、満月でよかったといいながらご飯にした。
「八重川さんそれだけですか!?」
「お前と違って、空腹でも問題ないからな。重量を減らす方が賢明だ。・・・だからって自分のやつ寄越すなよ?」
伸ばしかけた餅握りを見透かされた俺。
「それよりさ・・・上、着てくれないか。」
「え?」
「水濡れただろ。見てるこっちが寒いんだ。」
「八重川さん蚊に刺されますよ。」
「俺はいいの!」
押し問答繰り返し、やっと自分の着ればいいことに気づく。バカだね。
「・・・まさかと思うが、一緒に寝るとか言わないよな。」
「へ?」
「・・・・・俺はあの木の上で寝る。お前はあっち。」
言われるままに木の前まで来たが・・・落とされた経験からか、木の上とは。まあいいか。
さて木に登り振り仰ぐと満天の星空。かなり見慣れていても、木々のざわめきの中からではまた違う趣があったりする。木の股に腰を下ろし、毛布にくるまってお休み。寝相が良くてよかったよ。
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