3.大騒ぎ

・・・耳がくすぐったい。ああ、ミーちゃんか。三毛猫の、俺のたった一人の友達。産み落とされていたのを小学生だった俺が隠れて介抱し、猫用のミルクとかそれはもう夏の間中大変だった。一度脱走してからはトイレとご飯、そして気が向いた時だけ俺のそばに来てくれた。それでも嬉しかった。体温が側にあることは、幸せなんだ。

知らないうちに帰ってきたのか。首に艶々の毛並みと舌の気配。死んでしまったと思っていた。俺に鈴の首輪一つ残して。もう二度と触れないと思っていた。この毛並み、この体温・・・ん?

「深琴君?」

「昔の彼女の夢見てるからいけないんです!」

「え?」

「みーちゃんって・・・」

「猫の名前だけど・・・あ、西條君もみーちゃん!」

俺完全に寝ぼけた頭は勝手に一人歩きを始める。

「可愛いなあ、深琴君。」

変態!俺の変態!いくら可愛いからって、抱きしめて頬ずりとかもう痴漢!理性よ早く体を支配するのだ。

「浪花さん、いいから起きて。僕が悪かったです。」

「何にも悪くないよ、悪いことなんかひとつもない。だから、一人でどっかいっちゃ、絶対ダメだからね。死に際なんて悲しむかもとか迷惑かなとか、危険だからとか、変な理由つけて消えたりしたら、俺死んじゃうからね。だってもしあのとき深琴君がいなかったら、俺今本当に死んでたかもしれないんだ。本気で死のうと思ってた。俺には何もなかったから。」

どうした俺!思ってても言っていいことと悪いことがあるでしょ。抱きしめたままこんな暗いムード全開の話とか、朝から勘弁して!

「だから、何があっても俺、守れるようになる。そばに居られるようになるよ。・・・み、深琴君!?」

歔欷している背を撫でた。やっと覚醒した俺は静かに泣いている彼をやはり離せない。

「僕、実はあの、・・・人の心が、読めるんです。き、気持ち悪い、ですよね。本当は、話さなきゃいけなくなる前に、離れようと、思ってました。軽蔑されるのが、怖かったんです。」

「馬鹿なの?秘密とかいうから実は悪魔の化身だとかいうのかと思って身構えてたのに。・・・あ、ちょ、それじゃあこれまでのピンク一色の俺の脳内、全部見られてた?・・・逆に俺の方が軽蔑されそうで怖いよ。」

俺の体から頭だけ少し離した彼の目の周りが赤い。

「浪花さんの心の中なんて、綺麗なものですよ。本当に。そうでなければ、知らない人になんて付いて行ったりしない。 両親が平気で僕をあなたの所に居候させているのは、それをよくわかっているからです。浪花さん、今あなたが言ったこと、絶対に忘れないでくださいね。」

忘れない、と言おうとした時、みことくんの両手が伸びて来て、俺の顔を包み込む。

「大好きですよ、浪花さん。それから、力のことは気にしないでいいです。ここ二、三日、ちょっと具合が悪いみたいで。」

「便利だと思ったんだけどな・・・ほら、誤解されたりする心配ないじゃん。口にしにくいことも伝えられそうだし。」

そんなことを言ってへらへらしていたら、なぜか深琴君は俺に抱きついてばたばたしている。可愛い。小動物かな。

「浪花、起きているか。」

その時、図太い声が部屋の外からじわり。

「はいっ!」

「十分後、寮の掃除を開始する。」

「わ、わかりました!!」

「よろしい」

鍵開けられたらと思ったら頭真っ白でした。

考えても見てください。男子高校生前髪お化けが世にも愛らしい小児に迫らせているような格好。危ないことこの上ない。いろんな意味で。

さて、簡単な食事を用意して俺は部屋を後にした。ちゃんと鍵は持ったさ。いつも置き場に困る代表格のようなアレを・・・ここではどうしようか。

と、思っていたら。鍵は寮父さんと思しきお爺さんが管理してくれるそう。微妙に心配だが。

「時間通りだな。おい谷崎、後輩を見習え。」

昨日と同じように完全防備で暑そうな先輩はまだ寝ぼけてふらふらしている。

「まあいいか。・・・神田、来い。」

小柄な茶髪の男子。あ、小柄っていっても170そこそこはあると思う。印象的に小さいんだ、童顔だし。

「高校一年の、神田かんだ 悠一ゆういちです。」

一瞬、式守勘大夫しきもりかんだゆうとかいうのかと思ったよ。

「彼は昨夜遅くここに到着した。同じ特別枠だからクラスは同じになる。適当に掃除場所を分担して丁寧に行うように。最後に点検を行う。手を抜けばやり直しになることを忘れるな、以上だ。」

言うだけ言って颯爽と去って行く担任坂本。

残された俺たちは初対面同士に等しく硬直した。そこに年長者の鶴の一声

「浪花君、全部決めてー。」

寝ぼけておられる。お母さまに甘えるような声を出してらっしゃる。

かと言ってこの状態の先輩に決められるのはちょっと嫌だし、だからって一年の神田に仕切れというのはかわいそう。ナイス判断だろうね。

「フロア全体の掃除は俺がしますよ。先輩は埃っぽいところ避けた方がいいと思うので浴槽をお願いします。それから神田君はなんか共有スペースみたいなのが一階にあるのでそこをお願いします

・・・これでいいですかね。」

「あの、浪花さん?の負担が重すぎです。俺・・・ 」

「神田君、終わったら、手伝ってくれればいいよ。それに掃除は慣れてるから。」

ははー、驚いたか、この若造!俺をだらしない前髪ニートと思ったら大間違いだ。そこらへんのママにおんぶにだっこの引きこもりと一緒にするなよ?まあ、掃除スキルには関係ないけどな。

「俺も終わったら手伝うから、安心してねー」

口元覆っててもへらへらしてるのわかるよ先輩。でもなんか嬉しいな、こういうの。

で、なぜ俺が掃除のスペシャリストと名乗って憚らないかというと、決して一人暮らしをしているからではない。俺はな、毎週学校全部(別館含む)の掃除を放課後いっぱいかけてやらされていたんだ。教師黙認のいじめられっ子の威力。

花岡率いる女子グループが主犯だったな、俺は箒から雑巾掛けまで彼女らの監視下で罵倒されながらやらされ、あげくは飽きた彼女らに変わり鮒羽に暴力を振るわれながら必死でやっていたのだ。そんなことが習慣化するとどうなるか。手際はよくなり時間がかからなくなる。

夜中着ということは疲れているはずの神田君、寝ぼけていてバケツ倒しそうな先輩には俺の技術に感嘆してもらうとしよう。あ、例の女子グループの中に河合さんがいるのは秘密な。

・・・さて、三階及び二階の箒終了。一階は軽くささっとね。神田君のやること、少し残したがいいかもしれないし。

そして楽しい雑巾掛けである。元が綺麗な場所を保つための掃除ほど楽しいものはない。未開の地に踏み込むような掃除もスリリングで悪くはないけどね。

まずはざっと掃き残しの埃を取るために湯屋の方々を見習った素早い攻撃、そして一度しっかり雑巾を洗った後丁寧に行う。壁や窓も忘れずに。

こうして一時間ほどで全ての埃を駆逐した俺。二人は予想通りまだ持ち場をやっている。

そこで綿棒アンド爪楊枝登場。綿棒は昨日購買に行った時に破格の安さに感動して購入。これがすごいんだよ。気になる所は大体これでなんとかなる。

埃が落ちないよう注意しつつ、最強の二人を投入。窓枠も、廊下の角という角も、死角はない!

こうして2人の選手をフル稼働して一階へ。

終わった、この達成感。人の邪魔が入らないとこうも早く終わるのか。と言っても、これまでの面積よりはかなり狭いのは秘密な。

「・・・もしかして、もう終わっちゃってたりする?」

風呂場で盛大に転けたんだろう、腰をさすっている先輩が現れた。

「はい。先輩もですか。それじゃあ神田君の手伝いしましょう。」

一階共有スペース。夏でもひんやりな椅子机のあるオアシス。たぶん配給の弁当とか食べるのにもいいんだろうなあ。そこにちょこまか動く影一つ。

「神田君、ヘルプ入るよ。・・・君適当に掃いたり拭いたりしたでしょう。お、そうだ。浪花氏に伝授してもらおう!箒の使い方とか、ね。」

俺の方を見てにやっとした先輩。姿勢の悪い俺とだいたい同じ身長です。

さて、なぜ見えない顔を真っ青にしたかといえば、清潔の破壊神がそこにあったから。乱暴に掃けば埃は散るのだよ!

手取り足とり教えて綺麗にし終えた時には昼時。購買に誘われたが、西條君がきっといるから!でも、物色だけのためについてはいった。もしついてこられたらだからね。

「おかえりなさい。」

この声と姿だけで俺は生きていけるさ!



疑問に思っている方もおられよう。 西條深琴君は運動不足ではないのか!?

本人に聞いてみたところ、習慣にしている室内でもできる運動をちゃんしているそう。その程度はといえば、運動部に入っていない一般高校生がやれば、一発で全身に針を刺されたかのような激しい筋肉痛に見舞われること間違いないレベル。

さて昼食を作り仲良く二人で食べた後はまた特別枠二人と合流し、坂本先生に見せることになった。

あ、そうそう。深琴君から聞いたんだけど、特別枠とは変な時期に入学してくる学生のことだそうで、一般?の人達も大抵普通ではないらしい。また年齢別で区切られる教科はなく、 勉学は入学試験の成績によっては下手するとマンツーマン、運動は一定の基準を満たすまではクラス単位、つまり入る時期が同じもの同士で基本は切磋琢磨する仕組み。・・・卒業資格は、学校側の基準を満たしさえすれば、年齢及び在籍期間を問わず与えられる。裏を返せば満たさなければおっさんになってもここから出られない。

「早かったな。」

ボソッと呟くのはMr.坂本。明らかに不審。

掃除した寮内を細かく見て回る先生の目は鷹のようだ・・・

あ、因みに念のため見といてと言われた先輩担当の風呂場にも、俺の手が入っている。誰も洗ってなかったのだろう所まで磨いてやりましたよ、トイレ掃除とか、下水掃除・・・慣れといてよかった一発オールオッケー。グッジョブ!

「よくできている。このクオリティなら全く問題ない。これからも続けてくれ。」

淡白だけど褒めてくれる人がいるの・・・嬉しい。これまでは達成感のためだけだったからな。

「俺、本当すごいと思うよ。浪花君ほどできる人早々いない。」

「感動した!」

2人から握手を求められている俺。なに?いやでも君ら頑張ったじゃないか。俺ができるのやらされてたからってだけだから。

でも握手はしますよ・・・差し出した手を握られないことほど虚しいものはないからね。よく中村にやられたよ。小学校低学年までは仲よかったはずだけど、今は新型のばい菌でも見るような目で見てくる。よく転ぶやつだったから酷い時とかは手を貸そうとするんだけど無視。ときによっては嘲笑って払われるし、 俺も大概だなあと今では思うが、それでも性懲りも無くそんなこんなを続けていたところ、周囲にも伝染して、俺の使ったものなんて誰も触ろうとしなくなった。佐倉なぞは片っ端から壊したり捨てた(器物破損で普通に怒られていたが)。俺の足跡なんか残ってないんじゃないの?あの学校。

そこに来ての握手です。しないわけにいきませんがね、向こうから差し伸べられたのはかなり前・・・あ、爺ちゃんが最後じゃない。俺の後見人の元担任だ。・・・手紙でも出そうか。

脳内ぐちゃぐちゃになりながら大きめな手と小さめの手を握ってみました。

二人は笑ってたよ、多分挙動不審に見えたんだろう。俺は久しぶりに陽の光に当たったような心持ちになった。

あ、でも深琴君のはまた全然別種だから。語弊のないように。

それで、ぽっかり空いてしまった午後はそれぞれ勉強することになった。みんな学年別々だから一緒にということにはならず、俺は西條くんの勉強を見ることができたわけだ。


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