前編:霜月学院
1.新しい生活
新幹線を降りて電車を乗り継ぐにつれ、段々駅が寂れて雑草がはびこり始め、行李が普通に似合うホームになってゆく。それで、特に一つの行李は大事に抱えつつ、蝉時雨の中迎えのバスを待っていた。
「大丈夫?苦しいとかない?」
周りに人がいないかは確認したよ、もちろん。
「はい。・・・学校の門を抜けて、寮に着いたらすぐにでも出して欲しいですが。」
ちょっと拗ねた口調。さらってしまう男の気持ち、わかるなあ。自分だけど。
さて、バスだと思っていたら黒光りの、しかし傷のある乗用車での出迎えでした。きれいな丸坊主が眩しい、がたいのいい男性運転手。スーツを着ているのがかえってヤクザのボスのように見えますが。
「浪花 雅都君、でいいね。こちらの方面からの生徒は君ともう一人だけだから、申し訳ないが私の車で送らせてもらう。」
「荷物は、持って歩いても?」
「大事なものだけにしなさい。結構険しい道になる、全部持っていては潰されかねない。」
もちろん、着替えや備品より西條君。貴重品は彼に抱えてもらっていますので、ご心配なく。
かなり重い三つの行李は難なく先の男に車の後部座席へ入れられ、俺は車に乗り込んだ。
溢れ出る清潔感、しかし隠しきれない男臭。男子校ではないが、女子は全体の1割、いればいい方ですって。ま、実のところどうでもいいんだけど。
さて、俺の次に乗車してきたのは、タレ目の・・・先輩!溺愛先輩だ。
「谷崎先輩、ですよね。」
「あれ、君は確か・・・浪花君だね。そう、昔の大阪の地名だなあと思ったから覚えてたよ。俺は夏の間だけの予定だけど、よろしく。」
にかっと歯を見せる笑顔がまぶしい。彼女さんとは違ってかなり友好的だけど・・・なぜ完全防備。
「ああ、ごめん。驚かせちゃったよね。俺実は極度の・・・虫とか埃・・・ の、恐怖症?でさ、それいつも隠してたの。」
「それじゃあ 、生活するのも大変でしょう。」
「うん。家にいる間はこんな感じで忍者よろしく顔だけ出るような格好してるからいいんだけど、外に行くと・・・まずちょっとパニックになるよね。体温とか気温とかごちゃまぜで。だからいつも、慣れるまで人がいないとこ散歩するんだよ。」
穏やかに笑う先輩は、割と苦労を強いられているらしい。
「それにしても、よく俺だってわかったね。すごいなあ。しかも愛梨のとこ行く時くらいしか見てないでしょ。」
まあでも、いつでもどこでも熱愛現場スクープできそうなお二人さんの印象はかなり強烈ですよ?
「雰囲気?ですかね。」
行李をちょっと突つくと、中から小さく答えるように音がする。
これまで舗装された道だったんだが、だんだん雲行きが怪しくなってきた。周りの植生も明らかに変わって、もう夏というのに冷気が車に流れ込んでくる。杉が林立(ちょっとおかしい表現だな!)している山道を静かに走っていた車が、人の道を外れて砂利道を蛇行し始めていた。
「・・・すみません。」
激しく上下左右に繰り返される運動に、筋肉と一緒にない体幹のせいで何度も先輩と窓に激突してしまう。それでもしっかり抱えて落とさないのは西條君が入った行李だからだ!
叫びにならない絶叫を繰り返す車体と後部座席になんの配慮もなく突き進む大男。前方には山。今進んでいるのも山道だったはず。・・・まさかあの山に行くんじゃ!
この時ほど、西條くんが天使に思えたことはない・・・かな?先輩がノックアウトされても俺に被害がないのは、前もって酔い止めを飲んでいたおかげだ。さて、石造りの見るからに堅牢な校門が、見えてきました。先ほどの山はその背後に。この時ほど安堵したことはない。
門の手前で駐車した車に、ドローンが飛んできた。セキュリティー万全と言いたいんだろうが、中の行李には実は体温を感知できないように保冷剤が仕込まれている。そのため、西條君には長袖にしてもらったのだ。
第一関門をクリアしたらしいこの車に、二、三人のごついおっさんが集まってきて、運転手の本人確認と指紋確認が行われ、俺たちも身分証明を出した。実は写真なんかついてないけどね、二人とも。とりあえずよろしいということになって正門をよくみると、なんか芸術的な鳥・・鷲かコンドルの像が向かい合わせにてっぺんで踏ん反り返ってこちらを見ている。正門そのものの芸術性は高いが、その間に監視カメラがあったりする。
こうして正門を車で突破して後ろを振り返ると、外からは見えなかったが、周りはフォログラムかなにかで加工された分厚く高い壁がこの学院を囲うように設置されていた。
似たような検問をもう一つ突破した後、車を下された顔面蒼白の先輩と俺は早速寮へと案内された。校舎の方は寮と向かい合わせにあって、和洋折衷様式というのか、少なくとも普通の灰色箱作りの校舎ではない。
目の前の寮の方はといえば、木造の古そうな場所ではあるが、清潔感はあるしぼろくもない。思っていたより居心地がよさそうな印象の三階建。
「基本二人部屋だが、浪花は人数の関係上1人部屋になった。個人の掃除洗濯は全て自分の責任だ。共有スペースの掃除は持ち回りですることになっている。食事は自炊もできるが、寮でも提供している。以上。」
「あ、待って!ここ、携帯とか使えるんですか。」
一般的には気になることなんだなあ。俺には特に連絡するところないし、いいんだけど。
「・・・必要か?まあいい。校舎の職員室前の公衆電話なら外部と連絡が取れる。 あと、月に一度郵便に出しに行くから、手紙も出せはするが。」
「そんな体力と時間があれば、ということですかね。」
頷かれてしまった・・・そこは否定してよ!
「あ、あと風呂とかは共同だったり・・・?」
先輩にはそっちの方が重要なはず。彼女さんのこと余程大切なんですね。
「浴槽は共同のものしかないが、部屋にはシャワーブースがある。お前は同じ特別枠の中野と相部屋だが、まだ彼は来ていないから場所に慣れておけ。」
特別枠?・・・選ばれし勇者的な人たちばかりではなかったのか?
「ああ、そうだ。浪花は二階の一番奥の部屋で、二三八号室。谷崎は三階の三丸五号室だ。授業は明後日からになる。朝は五時起床が原則だ、最初のうちは起こしてやるから安心しろ。」
「す、すいません。お名前・・・」
ナイス先輩!忘れてたよごついおっさんの呼び名。
しかし、起こしてやると言われても1人無断で連れ込んでいるのを知られるのはまずい。普段は1分でも起床が遅れると西條君が起こしてくれるという最高の朝を迎えるのだが・・・一時間早まるだけだから、大丈夫か?
「私は坂本・・・だ。」
名前コンプレックスかな?
俺は適当に挨拶した後鍵を受け取り二人と別れて、窓からの光が穏やかな清潔な廊下を歩いていた。
問題は、この寮でどうやって物を守るか、だ。鍵は渡されていても、奪われたら意味がなくなり西條君の安全が保障できない。他は別にいいよ、必要最低限しか口が裂けても言いたくないって感じの坂本先生(俺達のクラスの担任だって。)が、購買なるもので大抵色々揃うとか言ってたし。
あ、中から鍵かけられるのか。これはよろしい。
「ほんと、大丈夫だった?」
「・・・だから嫌だって言ったんです。」
行李から出ずにその場でちょこんと体育座りしている西條くん。君は何回俺の心臓を壊せば気がすむんだい?
「ごめん。どこか痛いところとかある?」
「ありませんよ。あ、でもちょっと目の当たりが。」
覗き込もうとしたら、ぐいっと頭を引き寄せられた。
「罰ですよ、雅都さん。」
今ほど前髪長くてよかったと思うことはない!絶対真っ赤になっている。天使のような笑みを浮かべた小悪魔が、そのまま頭を撫でてきた。どこまで反則なんだ !
「あ、あ、あ、あのさ、えっと、そ、そう勉強。勉強はどうする?やらないとまずいと思うんだけど・・・」
「浪花さんが教えてくれる、というのは?」
「ごめんね、俺勉強駄目なんだ。今高校通ってるのも奇跡みたいなもので。」
「裏口入学じゃないなら、ちゃんと学力があるってことですよ。」
もう、この子は・・・なんて嬉しいことを言ってくれる。
「わかった。可能な限り教えるが・・・法的に、大丈夫?」
「ご心配なく。」
ちょっと微笑んだ西條君。なんとか気を紛らわせたが、どうしてくれよう。
身を裂く思いで彼から離れると、現実が目の前に広がっている。空っぽの収納と、持参の大きい行李二つと小さいの一つ。
「よし、片付けるかな。」
周りを見渡すと、寮というのが嘘みたいな空間だ。メインになる空間、奥に簡易キッチン。この配置はいつもと変わらない。恐らく入って左側の広いとこに布団は敷くんだろうが。
それから座椅子は二つあった。・・・1人部屋だよね?ここ。まあいいか。
で、多分右手の扉の向こうが脱衣所洗面所浴室便所、といった所か。日当たりは悪そうだが、冬は入るだろう。木製の空間は落ち着くよ、清潔だしね。
俺が隣の方に腐心している間に西條君が服の選別をしてくれていた。
「僕のはこの中に戻しておきたいんですけど、いいですか?クローゼットたぶんいっぱいになりますし。」
そう、西條くんのは下着も引っくるめて大量購入しておいたのだ。途中で買いに行くという選択肢がないことはここに向かう道中で発覚したのだから、よかったとしか言いようがない。
「わかったよ。助かった。」
調理器具で備品としてあるのは 鍋とフライパンのみ。これも想定済みだ。必要になりそうなものは一応最低限にはしつつ持ってきた。俺の服?別に誰も見てない。興味ないでしょ大丈夫。夏服三枚冬服三枚、以上。教科書と本はかなりの勢いで机周りの本棚を埋め尽くした。
それもそのはず、厳しくて有名な場所で、彼の勉強が滞ってしまった場合とか、絶対暇になる昼間のために純文学などを含む文庫本を家からも持ち込み、また購入もしてあったからだ。
なんで夏目枕流の「あたし猫よ」まであるかって?このおませさんがライトノベル読んでいるところが想像できなかったからさ!
「あの、浪花さん。」
「ん、どうした。」
「・・・いろいろ、ありがとうございます。僕、気を遣わせてばかりで。」
過保護なんだよ、気を使ったんじゃない。可愛くて可愛くてしょうがないから、できることなんでもしたくなる。お金は大学まで保証されているから別に良かったんだが、使った分だけ講座に振り込まれていたりする。確かに、お爺ちゃんが俺のために遺してくれたお金だから・・・だから、俺のために、この子のことに注ぎ込みたくなるんだが。
「そんなことない。えっと・・・誘拐犯の意地だよ。君にはできれば楽しく過ごしてほしいんだ。」
「浪花さん・・・ぼく・・・」
小さな体が俺に飛び込んできた。泣きながら、嬉しいと言ってくれた。俺はこの子と離れたくない。いつまでも一緒にいたい。愛おしい。たまらなく愛おしい。普段の小悪魔モードより本質に近そうな今の方が、いや、違う。どんなふうでもいいんだ。どんな風に成長したって構わない。例え殺人鬼になったとしても、一緒に地獄ならいいかなって思うくらいに。
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