第九話 巫女がだらけ、そして

 香月さんを徹底的に邪魔する。

 和泉さんは本当に容赦なく実行した。

 方法は最初の夜と同じで、このあたりの地形や状況を調べて、ケガレが出現する場所を誰よりも早く押さえる。

 香月さんに依頼がいくよりも早く……というよりも、依頼主がケガレに気づくよりも早く、偶然遭遇したということでケガレを祓ってしまう。もちろん、祓うのはあたし。ケガレの数が多い時だけは和泉さんが手伝ってくれる。

 ただ、それだけのことだった。

 そして、研修終了まであと三日を残す段階で、九はしらのケガレを祓うことができていた。

 残るノルマはあと一柱。

「昨日、きつかったと思うし、今日は休みましょ。休養も大事大事」

 和泉さんはそう指示を出した。

 実際、昨日の夜は初日のように大量のケガレと出くわした。

 和泉さんがヒムカさんとの連携でほとんどを祓ったけど、あたしも複数のケガレを相手取ることになって、かなり消耗した。

 実戦というのが身体よりも心を削るものだと、よくわかった。

 それはそれとして、お休みの指示を出した和泉さんは率先して居間に身を投げてダラダラとくつろいでる。

 巫女装束の裾がまくれて白い脚が大きく露出している。頬を直接畳に寄せているのもだらしないし、はしたない。

 巫女装束でしていい姿じゃないと、座布団に正座しつつ思った。

 和泉さんのことでもうひとつわかったこと。

 だらけると決めた日の和泉さんはどこまでもだらける。

「初日の掃除とかは理由がわかったんですけど。研修中って、色々教わるものかと思うんですけど」

「実戦があるのに、そんなところで体力使えないよ。それに、片手間な上に一週間じゃ、ちゃんと教えられない」

 だらけているけど、言ってることは正しかった。

「……お茶でもいれますか?」

「お願いー」

 声もふやけてる。

 キッチンから持ってきた冷たい麦茶をグラスにそそぐと、和泉さんは寝転んでテレビを見ながら器用に飲んだ。

「すまんな」

 言ったのは風呂掃除から戻ってきたヒムカさんだった。

 和泉さんは気にした様子もない。

「休みだから、いいんじゃないでしょうか。だらけ過ぎですけど」

 和泉さんを言葉で突いたつもりだったけど、とうの本人はワイドショーの浮気報道を指さして笑ってた。

「それ、おもしろいですか?」

「ワイプの顔がね」

 ひどいことを言う。


 そのまま、研修四日目はだらだらしたまま終わる。

 ――と、思っていた。


 夕方、ヒムカさんが食事の準備をしていた時に、耳障りなサイレンが鳴った。

 音を立てたのは居間の机の放置されていた和泉さんのスマホだった。

 家事をヒムカさんに丸投げにして、和泉さんは畳の上でうたた寝している。

 そのはずが、気づけばスマホを手にしていた。

 ディスプレイを確かめて立ち上がる。

 寝起きのはずなのに、眠そうな様子も、今日のだらけた様子もなかった。

 いつもの穏やかな表情の和泉さん。

 でも、サイレンの音からの行動に胸騒ぎがした。多分気のせいじゃない。

 キッチンにいたヒムカさんがもう廊下にいる。

「何かあったんですね」

 和泉さんが頷く。

 少しだけ目を伏せて、わずかに苦い表情を見せた。

「やるとは思ってたの。思ったとおりにならないでほしかったんだけど」

 呆れたようなため息が漏れた。

窟屋いわやにね。手を出したのよ、香月さんが」

「……まずいですよね」

「ええ。まずいわ。そこで待っていれば確かに、ケガレは来るけど」

 窟屋に手を出した。つまり、窟屋の周辺でケガレと戦闘した。あるいは、窟屋の中に入って、まだ黄泉に向かっていないケガレを祓おうとした。

 その行為は窟屋の中にいるケガレを刺激する。場合によって、窟屋の向こう――黄泉にいるケガレを誘ってしまうこともある。

 窟屋は黄泉よみとの門。それは物質的なものじゃないけど、それゆえに周囲の環境に敏感だし、黄泉と大きく繋がってしまう可能性もある。

 だから、巫覡は窟屋の周囲では戦わないし、特別な儀礼でもない限りは窟屋にも近づかないことにしている。

 香月さんはそれをやってしまった。

「あの子、責任感強いし、優しいのよね。実力関係なく受け持った研修生全員合格させたくて、やったんだろうなぁ。数受け入れるのも断れないからだし。追い込まれると後先考えなくなるところあるのに……」

「でも、どうやって知ったんですか? 今の警報は?」

「やると思ったから、妨害始める前に近くの窟屋に警報つけておいたの。ケガレが一定以上増えると、焼け焦げちゃう御守りとかを使った手作りの」

「準備いいですね……」

巫覡ふげきだから、想定した最悪には備えておかないとね。やってほしくはなかったけど、たいていの場合、最悪は起こるから」

 なんとなく。責任は感じてしまう。

 和泉さんがあたしのために、ケガレを横取りしたから、こんな事件が起きた。

 悪いのは完全に香月さんだけど。それでも、やっぱり後ろめたさはある。

「亜矢ちゃんはここにいて」

 あたしが何か言うよりも先に和泉さんは言った。

「でも……」

「研修生の出番じゃないから。香月さんのことは本庁に告げ口するとして。ちょっと行ってくるね」

「ご飯は炊けている。夕飯は冷蔵庫の残り物で済ませてくれ」

「和泉さん! ヒムカさん!」

 応えず、二人は行ってしまった。

 慌てて外に飛び出したけど、その時にはもう車の走り去る音が遠くから聞こえてくるだけ。

 当たり前のことをするように行ってしまったけど、窟屋で何かあったとしたら、それがどんなに恐ろしいことなのか、あたしは知っていた。

 昔、巫覡に助けられたのは窟屋の傍だった。

 襲ってきたケガレはあたしの気配を感じて、窟屋から這い出てきたもの。 

 巫覡がそれを祓ったせいで、刺激されたケガレがあふれた。

 おぞましい姿の禍津神まがつかみの群れ。

 その光景は巫覡の研修生となった今でも恐怖として胸に残っている。

 指先が小刻みに震えていた。舌が渇いている。

 あの時は、窟屋の近くで関係ない人に被害が出たし、たくさんの巫覡が増援としてやってきた。

 ヒムカさんがいても、和泉さんがとてつもなく強かったとしても、たった一人。現場の香月さんが協力してくれると考えるのは楽観が過ぎる。

 駆けだそうとしていた。

 でも、思い留まる。今のままで向かっても、何の役にも立たない。そういうのは現実主義の和泉さんのやり方とは違う。

「冷静に……。ケガレを祓うなら」

 家に戻って荷物を手にした。水と塩の入った簡易の禊道具や、汗をかいた時の替えの襦袢や巫女装束。

 それを持って、改めて和泉さんを追う。

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