第八話 和泉の理由

 和泉さんが運転する帰りの車の中。

 少し汗ばんでしまった身体に、エアコンの風が気持ちいい。

「さっきの質問ね」

 前を向いたままで、和泉さんは言った。

「けっこう簡単なのよ。ケガレが出る場所を予測するの。香月さんはわざわざ邪魔しに遠くまで来てるけど、わたしはここが地元だから」

 助手席のヒムカさんは無言のまま、タブレットを操作する。

 表示されているのはこの一帯の地図だった。でも、一般的な地図じゃないのが、巫覡ふげき専攻科のあたしにはわかる。

 このあたりの小さな神社を含めた神社の位置や、ケガレが発生しやすい土地、窟屋いわやの場所なんかを詳細に記した巫覡向けのものだ。

「これと、実際の地形と、経験からケガレが出る場所は予想できる。あとは夏越なごしはらえとか、このあたりで出たお葬式とか、天気であたりをつけて出かける。細かい場所はヒムカが嗅ぎつけることもできる」

「だから……」

 さっき二人がやっていたことを思い出す。

 でも、それが和泉さんが言うほど簡単じゃないことはわかる。

 少なくとも、あたしや同期の学生は何をどう判断すればいいのかわからない。

「でも、どうしてですか?」

 同じ質問を繰り返してしまった。

「え? どういうこと?」

 今度は和泉さんが目を丸くする。

 運転中なのに振り向いて、ヒムカさんに「前」と注意された。

「危ない危ない」と、苦笑する。

 改めてハンドルを握り直してから、

「それで、どういう意味?」

 と、和泉さんは言った。

 少し迷う。こんなことを和泉さんに言っていいのか。

 でも、疑問は消えない。どうすればいいのかもわからなくなってしまう。

 なんとなくバレているのか、ヒムカさんはチラリとこちらを見ていた。

 口を開いてしまう。

「和泉さんは、あたしを巫覡にする気なんてないって思ってました」

「えっ、なんで?」

 また振り向いて叱られる和泉さん。

 心底驚いていた。

「なんでって」

「だって、亜矢ちゃんには巫覡の素質があるわよ。わたしと同じか、もしかしたらそれ以上の。技術も機転も実戦経験もまだまだだけど」

「でも、和泉さんは何も教えてくれませんでした。研修中は色々な技術を学ぶって聞いています。あたしがやったのは家事とかだけで。だから、香月さんが邪魔してきて、諦めたか、あたしに素質がないと思ったのか……和泉さんが最初から研修生を合格させる気がないのか。そう思って……」

「ああ、それ。あー。ゴメンね」

 軽く言って苦笑する。

「家事はね。亜矢ちゃんがどんな人間か知りたかったから。巫覡の適正もそうだし、もし可能なら巫覡以外の道もありかもって。でも、やっぱり亜矢ちゃんは巫覡向けね」

「お前は言葉が足りない。伝わっていない」

 どういうことかわからない……と思っていたら、ヒムカさんが助け舟を出してくれた。

「あれ、ゴメン」

 和泉さんは小さく舌を出す。

「つまりね。掃除してもらったのは、それが巫覡として大事なことだから。家とかに穢れがあっても、力が下がるからね。そういうこと意識していて、これまでもちゃんと掃除してるんだってわかった。料理は及第点どころか絶望的なんだけど。お米に洗剤って」

 ププッと噴き出す。

 ヒムカさんが喋ったのか、和泉さんがこっそり見ていたのか。

「掃除はきちんと効率よくできるのに、料理はまったくできない。亜矢ちゃんまじめなはずなのに。そうなると、わたしが知らない亜矢ちゃんが見えてくる。掃除は巫覡に関係あっても、料理は巫覡にはあんまり関係ない。巫覡になろうとして、巫覡の技術を得るために役立つこと以外には興味も持っていなかったとか。そういうところが」

 驚いていた。ただただ驚いていた。

 和泉さんは見てくれていた。あたしが思っていたよりも、ずっとしっかりと。

「それでもやっぱり洗剤はないと思うけどね。スーパーの惣菜とかコンビニ弁当以外も食べなきゃ。身体が資本だから、最低でも栄養のバランスは気をつけないと」

「ゴ、ゴメンなさい」

「和泉は肉を食い過ぎだ。最近味も匂いも濃い」

 ヒムカさんがわずかにため息をつくと、和泉さんはあからさまに笑って「グルメ」と誤魔化した。

 ソムリエのことは深く考えたくない。

「ともかくね。そんな感じだよ。亜矢ちゃん」

 改めて、和泉さんは言う。

「亜矢ちゃんの巫覡としての今の実力と欠点は最初に会った時にほとんどわかった。あとはどういう人かを知りたかった」

 わずかに間を置く。

 バックミラーで垣間見える和泉さんの目はなんとなくだけど、遠くを見ているような気がした。

「わたしが合格者を出したことがない理由は単純よ」

 いつもと変わらない口調。でも、なんとなくだけど、ほんの少しだけ重い。

「わたしのところに来る研修生はたいてい巫覡に相応しくないから。心構えにしても、実力にしても。だって、相応しくない子も、適していない子も、こんな危険な仕事をしたら不幸な結果にしかならない」

 ケガレがもたらす疫病やきず、学校で教えこまれたそれをまた思い出す。

「うちって色々あって浮いてるから」

 和泉さんがヒムカさんをチラリと見たけど、ヒムカさんは何も言わない。

「だから、どうしても。うちに来る子は学校のほうで馴染めない子。ついていけない子。どちらも、巫覡以外を目指したほうがいい」

「でもね」と、和泉さんは言う。声が弾んでいた。

「亜矢ちゃんとは一緒に巫覡をやりたいって思った」

 目頭が熱くなっていた。

 うつむいてしまう。眼鏡を外して、あふれ出たものをなんとか拭う。

 でも、止まらない。背中が震える。声も殺せない。

「……言ってくださいよ」

 和泉のような人間は初めてだった。

 幼い頃から、見えないものを見る素養を持っていた。ケガレを見ることができた。

 家族からも親戚からも同級生たちから気味悪がられた。

 巫覡に助けられ、彼女たちの存在を知り、今まで気味悪がられてきた自分にできることがあると、巫覡を志した。

 だけど、それからは誰も自分をきちんと見てくれなかった。

 巫覡の家の出でもないのに、巫覡の素質を持つ異端者。己惚れた一般人。

 あたしを助けてくれた巫覡も、憧れていたあの人もそんな目をした。

 まっすぐに見てくれる人なんていなかった。

 初めてだった。和泉さんのような人は。

「ど、どうしたの? え? わたし、何か言った!? 言わなかったのがまずかった?」

 和泉さんが珍しく慌てている。

 涙を拭う。止まらないけど多分顔は綻んでいた。

「大丈夫です」

「それなら……うぅん」

 納得できない顔の和泉さん。

 ヒムカさんは何も言わずにこちらを流し見た。

 今になって橘和泉さんという人のことがわかった。そんな気がする。

 柔らかで人当たりよく見えるし、実際そうだと思う。でも、本質的にはすごく合理的でリアリスト。自分の行動を妨げる相手には、決まりの中で対抗する。人を評価する時に私情は加えずに能力だけを見る。

 その上で、巫覡という役割に真剣で、その危険性も必要性も十分に理解している。

「和泉さんだから、ヒムカさんを傍においてるんですね。巫覡としての力を活かすために」

 口に出したのは唐突な言葉だったと思う。よく考えたらヒムカさんに対しては失礼極まりない。

 和泉さんは瞬きして、だけど、口元を緩めた。

「それもだけど。ヒムカのこと気に入ってるからよ」

「……初耳だ」

 少し遅れて呟くと、ヒムカさんは窓の外に目を向ける。

 照れてる……。照れるんだ。

 信号待ちで振り向いた和泉さんも同じことを思っていたのか、にやけてた。

 思わず二人して噴出してしまう。

 ヒムカさんがわざとらしくため息をつく。

「それでね。亜矢ちゃん」

 ひとしきりニヤついた後で、和泉さんは言う。

「香月さんとこの研修生って不出来だと思うのよね」

「そうですね。あたしより成績悪かったです。家柄ばかりで」

「だよね。だから――」

 信号が変わって車が走り出す。

「徹底的に邪魔して、亜矢ちゃんを合格させちゃうね」

 和泉さんは振り向かないけど、バックミラーに移る口元は微笑んだままだ。

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