第六話 巫女が米を研ぐ

 いつもそうだった。

 大学では浮いているという自覚はあった。

 実技で同期の学生を打ちのめした時や、巫覡ふげきの技術にまつわる座学でわたしが一番の成績を収めた時、同期生や先輩は落胆していた。講師の多くもため息をついていた。

 同じように優秀な巫覡を目指しているはずなのに。

 巫覡専攻の生徒としてできないことはなかった。誰かと打ち解けることだけができなかった。


「部屋を掃除してほしいの」

 昨日が到着日なので、実質研修一日目。

 昨夜の夕飯の残りというアメリカンで重い朝食を終えた後、食器を抱えた和泉さんは言った。

 突然のことに瞬きする。

「わたしは二度寝するから。掃除道具の場所とかは、ヒムカに聞いてね」

 あくびしつつ、和泉さんは去って行った。

「こっちだ」

 取り残されたわたしにヒムカさんは言った。

 案内されて、掃除道具を手にする。クイックルワイパーや雑巾、床洗剤、ハタキ。掃除機はこの古びた家には似合わないサイクロン掃除機だった。

「どこまで掃除すればいいですか?」

「和泉の部屋以外だ。あいつは寝起きが悪い」

 研修一日目に掃除をさせられる意図がわからない。わからないままに、ハタキをかけ始める。

 最初は高い位置の埃を落とす。それからクイックルワイパーで埃を拭ってしまう。掃除機や雑巾はその後だ。

 だけど、気づく。

 掃除の必要なんてないぐらい、床も壁もきれいだった。壁沿いの床や窓ガラスにも汚れらしい汚れが見えない。

 自然、ヒムカさんを見ていた。

 もしかして――。

「舐めてはいない」

 心を読んだみたいに、ヒムカさんが言った。

 思わず跳ね上がりそうになる。

 変わらない表情からも、黒髪の隙間から覗く眼差しからも、感情は読み取れない。

「埃は口に合わない」

「そ、そうですか」

 試すことは試したの? とはつっこまなかったけど、気まずい。

 でも、舐めていないとすると、誰かがこんなにきれいに掃除しているということ。

「手際がいいな」

 ぽつりとヒムカさんが言う。

「普通だと思います。寮生活だから、自分で掃除しているってだけで」

 応えつつ思う。多分、この家を掃除しているのはヒムカさんだ。掃除道具を任されているし、視線がわたしの作業を追っている。手順を確認しているみたいだった。

 褒められたこと自体は嬉しい。

 でも、素直に喜ぶことはできなかった。

 どうして掃除をさせられているのかがわからない。

 和泉さんがサボるためなのか。ヒムカさんに楽をさせるためなのか。

 それとも、昔の映画みたいに、この掃除から巫覡としての何かを学べということだったりするのか。

 考えているうちに掃除は終わった。会話はほとんどなかったけど、ヒムカさんは最後まで見守ってくれていた。

 夏の蒸し暑さのせいで、ずいぶんと汗をかいてしまっていた。巫女装束じゃなくてよかったと心底思う。今のあたしはケガレの表面を祓うことすらできない。

「次は昼食を作ってくれ」

 汗を拭っていると、ヒムカさんは告げた。

 応える間もなく、キッチンに向かうのでついていくしかない。

「食材は好きに使えばいい。調理道具や、食器の場所は俺に聞け」

「……はい」

 自然と吐息がこぼれた。ヒムカさんに聞こえてしまったと思うけどどうでもいい。

 わかってしまった。

 便利に使われているだけだ。

 研修先で講師が何をするかは講師に一任されているけど、何をするかはたいてい決まっている。

 講師が得意とする巫女舞いを教わったり、独自の戦い方を叩き込まれたりする。

 掃除や食事の準備を任されたなんて聞いたこともない。

 昨日、和泉さんがケガレを祓いに連れていってくれた時には嬉しかった。

 認められたのかと思ったし、ちゃんと研修してくれる人だと思った。

 でも、違った。

「不満か?」

 ヒムカさんの声に我に返る。

 お米を準備しながら振り返れば、あかなめという得体の知れない古神は腕を組んで壁にもたれていた。

「別に。どうせ、あたしは合格できないですから」

「何故だ」

 奥歯を噛みしめていた。叫びそうになるのは堪えた。

香月こうづきさんに邪魔されました。和泉さんとの関係はわからないですけど、これからも邪魔されると思います」

 一度で終わりとは思えない。あんなの一度だけなら意味もない。 

 ヒムカさんは否定しない。

「多分、香月さんが邪魔したのは、和泉さんとの関係だけが原因じゃない。あたしは巫覡になることを望まれていない。巫覡の家の出じゃないから」

 巫覡専攻科に入って知ったのは、巫覡という職が驚くほど保守的だということだった。

 入ってくる生徒のほとんどはそもそも巫覡の家に生まれた人ばかり。巫覡を管理している本庁の要職に就いている人も同じ。

 だから、外から来たどこの馬の骨とも知らない人間は、結果を出すほど疎まれる。

「研修に合格するにはケガレを十はしら祓わないといけない。でも、この季節でもケガレが出る数なんて限られてる。香月さんはたくさんの研修生を抱えてる」

 香月さんには昨日のように邪魔する理由がいくつもある。和泉さんとの人間関係でも、あたしのことでも、巫覡の名門としても、自分の研修生にケガレを効率よくあてがうためにも。

「和泉さんはあたしを合格させる気なんてないんですよね。最初から誰も巫覡にしようなんて思ってない。そうじゃなくても、もう諦めてる。香月さんに邪魔されて、あっさり帰った」

 声を荒げてしまっている。止められない。

「辞めるなら伝えよう」

「辞めたいわけじゃない!」

 ダン! と音がした。

 遅れて、自分が流し台を叩いていたことに気づく。

 唇を噛んで、頬を伝ったものを拭って、それから米の準備を再開する。

「和泉はつかみどころがない」

 つかみどころがない古神は言った。

「だが、シンプルだ」

 何を言ってるかわからない。

 シンプルに諦めているのか。シンプルにあざけっているのか。

「おい! ふざけるな!」

 ヒムカさんが上げた声に手を止めた。

「な、なんですか?」

「米を洗剤で洗おうとしている」

「え? 洗うんですよね?」

 手にした食器用洗剤を眺める。

 ヒムカさんに奪われた。洗剤も米も全部。

 ヒムカさんは珍しく呆れた顔をする。初めて感情らしい感情を見た気がする。

「あとは俺がやる」

「米も舐めるんですか!? それはさすがに気持ち悪いんですけど」

「そんなわけあるか」

 さらに呆れた顔をしながら、ヒムカさんは米を研ぐ。洗剤は使わないらしい。

 舐めたりしないからヒヤヒヤしながら見ていたけど、すごく手際よくお昼の準備を進めていく。

 舐めなかったし、ご飯は無事炊けた。

 お昼ご飯の準備は結局、あたしは何もしなかった。

 できた和食はすごくおいしかった。


 結局、もやもやとしたまま、日が暮れるまで一日雑事をさせられた。

 昨日と違って、夕飯の時はほとんど会話をする気にもなれなかった。

 ただ一人、和泉さんだけが変わらず明るく喋っていたけど、何を言っていたかもあまり覚えていない。

 食事を終えて、次は何をさせられるんだろうと考えていたら、

「じゃあ、行こっか」

 と、当たり前のように言われた。

「行くって? どこへですか」

「ケガレを祓いに」

 ヒムカさんは何も言わずに、和泉さんの身体を舐める。

 巫女装束じゃないけど、服の裾から赤い舌が入り込んで、ぴちゃりと水音を立てる。

「……んっ。亜矢ちゃんは、お風呂使って。みそぎね」

 かすかに身をよじりながら、当然の如く言う。

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