第五話 香月の巫覡たち

 和泉さんがスマホで見せてくれた現場は意外と近い場所だった。

 とはいえ、和泉さんが運転する車で山道をしばらく走る必要があるけど。

 車の中は肌寒いほどにクーラーが効いている。できる限り汗をかかないようにだ。

「やっぱり今年もこの時期はケガレの数、多いわね」

 巫女装束の和泉さんが車を運転しながら言う。

 助手席のヒムカさんじゃなくて、あたしに言ったらしい。

「はい。夏場は自然の活動が活発で。だから、死穢しえも増えるって聞いてます」

「そうね。夏は生が繁茂する時期。だから、死も繁茂する。それに、夏越なごしはらえの影響もあるわ」

 夏越の祓。六月末に各地の神社で行われる行事だ。

 夏に増える疫病を防ぐために、積もり積もったけがれを落とすみそぎ。そのために、神社にはかやで作られたの輪が設置されて、参拝客がそれを潜ることで自らの穢れを落としていく。茅の輪に擦り付けていく。

 本来なら、ケガレの発生を抑えるための行事でもあった。

「ちゃんと穢れが落ちればいいんだけどねぇ。茅の輪の作り方が未熟な場合もあるし。許容量を超える時もあるし。茅の輪の一部を持って帰る人もいるし」

 だから、夏場の、特に六月から七月にかけてはケガレが増える。街中に出ることもある。

「それに、ここは窟屋いわやが近いのよね」

 言われてみると、地図には窟屋のひとつが表示されている。

 窟屋というのは、この現世うつしよ幽世かくりよ――黄泉よみを繋ぐ場所。物質的に繋がっているわけではなくて、その境界だということになっている。

 祓われた穢れや、発生したケガレの多く、それに古神にならなかった存在も、自然とその場所から黄泉へ向かう。

 それが穢れの流れだ。

 でも、そういう流れがあるということは、窟屋の周辺にはケガレが集まりやすくもある。

 窟屋の周りに巫覡がいる神社が多いのは、そのためかもしれないと、花立花神社のことを考える。

「あらら?」

 和泉さんが首を傾げて、車が停まった。

 二人と一緒に車を降りて、和泉さんの反応に合点がいった。

 ケガレがいる現場のすぐ近く。和泉さんが車を停めるつもりだった場所に、もう一台の車が停まっていた。車のメーカーとかはわからないけど、やけに立派な印象の車だ。

 和泉さんと一緒に道を外れて、野原に足を踏み出すと、車の持ち主たちの姿はすぐに目に入った。

 巫女装束の女性が五人いる。

「こんばんは。香月こうづきさん。お久しぶりー」

 和泉さんが楽しそうに手をひらひら振った。

「ええ。一年ぶり。たちばな

 応えたのは上品な印象の巫覡。

 残る四人の巫覡を率いているのがその人だとひと目でわかる。

 というよりも……残る四人はあたしと同じ研修生だ。見知った顔もいた。

 香月と呼ばれた巫覡は柔和な表情の和泉さんをじっと見返す。

 まっすぐ見ているのに、見下すような目つきに思えた。

「香月さん。もしかして……横取り?」

 和泉さんが悪戯っぽく白い歯を見せる。

「人聞きの悪いことを言うじゃないの。橘」

 香月さんの唇が歪んだ。

「あなたに依頼した人が、改めて思い直して、こちらに連絡してくれただけよ。キャンセル入ってるんじゃない? 良識ある人に説得されたりして」

 和泉さんは袖からスマホを取り出す。

「あ、ほんとだ。メールがきてたわ」

 肩をすくめた。

「それじゃしょうがない……。さすが、名門の香月さんね」

「あらあら。名門だなんて。得体のしれない古神こしんを飼ってる、橘とは違うだけ」

 香月さんが声を出して笑うと、研修生からも笑いが漏れた。

「ムダ足かー。でも、依頼してくれた人のキャンセルならしかたない。ゴメンね、亜矢ちゃん」

 あたしのほうに頭を下げる。

「あ、あたしは別に……」

「香月さんならちゃんと祓ってくれるでしょ。だから、帰ろ」

 和泉さんはあっさりと踵を返す。ヒムカさんも続く。

 思わず何か言おうとしたけど、言葉にならなかった。

 何を言おうとしたのか。

 少なくとも、これは和泉さんへの明らかな嫌がらせだ。

 香月さんという名門巫覡はあたしも知っている。きっと依頼者に何か仕掛けたに違いない。そうでなければ、こんな突然の依頼の変更なんてありえない。

 でも、証拠もない。

「あれ。亜矢じゃん」

 何も言えないまま立ち尽くしていると声をかけられた。

 見知った顔が、香月さんと同じような表情を見せていた。

 自然とため息が漏れてしまう。話したくなかった相手だ。

 あたしと同じ巫覡専攻科で、同学年で、研修生でもある。

 向こうも目が合った時には気づいていた。それ以前にわかっていたのかもしれない。

「よかったね。あの橘さんのところで」

 応えなかった。顔を背けた。背を向けた。

 クスクスという声を背に、和泉さんの後を追う。

 眼鏡越しの視界が少し歪んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る