第3話 アイとお姫様の扉

「もし、そこのあなた?」


 それが私が扉をくぐった瞬間、かけられた言葉でした。

 まるで、私のことをずっと待っていたかのように、彼女はレース付きのベッドの上に座っていました(確か、てんがいベッドとか言うんでしたっけ?)。フリルがこれでもかと言うほど散りばめられたピンクのドレスを身にまとっています。

 そして、ピンクと言えばこの部屋もまたピンクを基調として、あちらこちらに金や白いレースが散見できます。


「あ、えと。な、なんでしょうか?」


 私は彼女とこの部屋の空気に飲まれないのがやっとで、何とか応えることができました。


わたくしは今、ものすごく暇なの。それこそ、お姫様どころかお暇様になってしまいかねないぐらいにね。だから、あなた。私と少しの間遊んでくれるかしらん?」


 私には彼女がお姫様と名乗ったこと以上に、お暇様という渾身の駄洒落もとい、洒落の扱いにひどく手を焼きました。下手に触れては火傷してしまいそうですし、そのまま放置するのも何だか可哀想です。

 反応してもらいたいがあまり、お姫様自身が傷を抉っていき自然発火で炎上しかねない危うさがあります。

 でも、対岸たいがんの火事ということわざもあることにはありますし、私は結局様子見をしてそのままスルーすることに決めました。

 あ、もちろん、今のは狙ってないですよ? たまたまですからね?

 しかし、私のその対応はお姫様的にはあまり嬉しくなかったらしく、肩を落としてしまいました。

 私に備わっている対人能力が雀の涙ほど微々たるものであったことが嘆かれます。


 ともかく、こうしてたいそう高度な心理戦に敗れた私は、彼女のお願いを聞くことに決めました。もっとも、このやり取りがなかったところで、私が断っていたとは思えませんが。


「ところで、何で遊ぶのが面白いと思うかしらん?」

「えっと、そうですね。……トランプゲームとかでしょうか?」


 本当ならば、迷わずにテレビゲームと言いたい所でしたが、ここにはゲームハードどころか、テレビも確認できなかったので、基本的に誰もがもっていて、そのうえ遊び方も豊富にあるものと選択肢を絞っていくと、トランプに辿り着いたのでした。


「それいいわね。トランプなら私もある程度嗜たしなんでいますし」


 私の狙い通り、お姫様も好印象を抱いているようでした。でも、予期していない問題も浮上してきました。


「あ、でも、トランプってパーティーゲームばっかりですね……」


 知っているゲームを挙げていくと、ソリティアとババ抜きに、神経衰弱、それから七並べぐらいしかないのですが、そのどれもが大多数で遊ぶものではありませんか! ソリティアに至ってはもはや一人遊びです!


 そして、話を聞いてみると、なんとお姫様も私と同じようなゲームしか知らないではありませんか。一人で遊ぶよりは二人で遊んだ方が、例えパーティーゲームであっても断然楽しいという感性を持っている私はともかくとして、けれども、はたして一国のお姫様である彼女がそれを楽しめるのかと思うと不安でなりません。

 お付きの人を呼んでみてはどうでしょうかと、提案してみましたが、彼女はあまりいい顔をしません。


「執事や騎士達は今は、忙しい時間帯だからお遊びに付き合わせるのは、気が引けるわ」


 失礼ながら私はこの言葉に驚いてしまいました。というのも、私のかってな偏見ではお姫様とは我が儘な人だと決まっていたのです。

 結局、私達はババ抜きをすることでまとまりました。

 しかし、流石はお姫様のお部屋と言えばいいのでしょうか。彼女のお部屋にはおよそ遊び道具と言えそうなものがありませんでした。何時も何をして過ごしているのかと尋ねると、どうやらお絵かきをして過ごしていたようです。

 トランプはどこで知ったんだろうと思いましたが、その疑問はすぐに解消されました。


「どうしましょうかしらん? 何時もは彼らが持ってきてくれるから、持ってきてもらうというのも、いいと思うのだけど、あんまり貸しは作りたくはないし」

「……か、彼ら、ですか?」

「そう、あなたが言うところの、大魔法使いさんと妖精さんよ」

「えっ!?」


 思わず変な声が漏れました。


 大魔法使いさんと妖精さんの間に関係があるとすれば、このお姫様とも関係があるとみてもよかったのですが、というか、妖精さんが示唆することを言っていましたが、賢くない私はそこまで考えが行き届いていなかったのです。


「あ、えと、お友達なんですか……?」


 私がそう訊くと、彼女は微笑みを浮かべました。


「ええ、もちろん。と言っても、あの魔法使いは私のことを厄介な生娘と思っているだろうし、説教くさいあの妖精は手のかかる生徒程度に思っていると思うけれど、でも、友達よ」


 ――魔法使いと妖精は互いに腐れ縁だと思っていそうだけど。


 彼女はそう言ってから、私の右手に視線を向けました。先程から何度か見てきたのですが、今は少しばかり何かを考える仕草をしています。


「ああ、そうだ。トランプがなければ、作ってしまえばいいじゃない!」


 彼女はそう言って、画用紙にトランプの数字やマークを描いていきます。私は一瞬、どういうことか分かりませんでしたが、彼女の「それ切って」という一言でようやく状況が呑み込めました。

 妖精さんの言うはさみの正しい使い方とは、こういうことなのだろうと思いました。


 大魔法使いさんがものを選ばず、妖精さんがものを教えるというのなら、お姫様はきっとものを使う人なんだろうと思いました。


 私はお姫様が描いた絵を長方形に切り取っていきます。そんな作業が数十分続いて、目の前には一組五三枚のトランプカードができました。


「私、二人でババ抜きするなんて初めてだから、とても楽しみだわ♪」


 たどたどしい手つきでカードをシャッフルして、配る私を尻目に彼女はとても楽しそうにそう言いました。語尾に音符マークが見えているような気もします。

 とりあえずは、楽しんでくれているようで胸をなで下ろします。

 それから一言二言会話を交わし、ペアになったカードを捨て、ゲームが始まりました。


 ゲームが始まってから終わるまでの十分間、いったいどのような心理戦が繰り広げられたのかというと、その詳細はここでは語ることができません。あまりにも話が長くなってしまうからです。

 何度も何度もジョーカーが互いの手札を行き来し、その度に手札の総数が減っていきます。自分が負けるのではないかという緊張感から、最終的には私達の手は震えていたと思います。


 席替えのくじ引きで一喜一憂するタイプではない私にとって、その負担はひどく重かったです。心臓が四方から押されているような圧迫感がありました。


 最初は私も、ここまで真剣勝負をするつもりは毛頭ありませんでした。でも、お姫様のカードを抜く際のあの眼差しを見ていると、私も全力を尽くさなければならない気がしたのです。

 思うに、彼女は人をその気にさせるのが上手いんだと思います。 

けれども勝負自体は、最終的に私がクラブのエースを引くことで終わりました。


「ああ! 負けたわあ!」

「やったあ! 勝ちましたあ!」


 彼女は手元に残ったジョーカーを思いっきり宙へ投げました。そのまま腰掛けていたベッドに思いっきり寝っ転がります。正直、気持ちよさそうで私もやってしまおうかと思いましたが、人のベッドに倒れ込むのは流石にはしたなかったので自省しておきました。

 ただのゲームでここまで真剣になれた自分達が、今思えばおかしくてお腹の底から笑い声が出てきました。目の端に涙まで浮かべてしまっています。こんなに笑ったのは久しぶりでした。


 ハッとしてお姫様の方を見ました。自分がこうも大きな声で笑ってしまったのが恥ずかしかったのです。

 けれど、視線の先の彼女も笑っていました。おかしくて仕方がないというように。それこそ私と同じで目尻の涙までためています。


 他人から見れば、私はこう映るんだ。


 ああ、楽しそうに笑っているなあ。


 そうも思いましたが、でも心の中の大半を締めたのは、恥ずかしいと言う感情でした。


「どうしたの? もっと笑わないの?」

「……いえ、少し、恥ずかしくて」

「ふふふ。そんなの気にすることはないわ。もう少し大きな声で笑いなさいよ。楽しいのでしょ? じゃあ、笑いましょ。楽しい時は自然に笑えるものよ? 逆に言えば、楽しい時は笑わなくっちゃ。楽しいって言わなくちゃ。じゃないと、一生笑う暇なんてないんだから!」


 その言葉はどこか深い意味を持っているように思われました。自分と同じくらいの年頃の少女が、私には及びもつかないことを考えていたことに驚いたのです。しばらくして驚きが薄れていくと、自然と笑顔が零れました。


「そう、そうよ。そういう風に笑いましょ? 私もすっごく楽しかったのだから。……できればあと一回、もう一回したいところだけど、ごめんなさい。そろそろ時間だわ」


 お姫様はそう言ってベッドから立ち上がると、そこに黄色の扉が現れました。私は、わあっ! と間抜けな声が出てしまうほど驚きました。

 私が驚いている間に彼女は扉を開けてその中に入っていきます。


「ありがとう、とっても楽しかったわ。少し準備があるから先に行って皆と待っているわ。じゃあ、また会いましょうね」


 お姫様はそう言って笑顔で手を振ってその中に入っていきます。

 私は彼女に『楽しかった』ということを伝えることができませんでした。言う前に彼女は扉の中に入ってしまったのです。私はこの気持ちを伝えるべく、立ち上がりました。


 皆とは誰のことでしょうか? ――決まっています。絶対にあの人達です。


 こうして私は大魔法使いさんと妖精さん、それからお姫様に言えなかったことを言うために扉を開いたのでした。

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