44. 「……いいぜ、やってやるよ」

 正教会活動許可証。その名の通り、コウキがクラージマンとして所属している組織「正教会」が発行するクラージマンの活動許可証だ。

 通常なら、クラージマンたちは自身が身を置く教会でしか悪魔祓いを行えない。教会が定めた試験をパスして発行される資格証―これをクラージマンたちは本資格と呼んでいる―には、所属する教会の住所が記載されている。悪魔祓いのカウンセリングや儀式はその住所に存在する教会でしか行えない。教会本部の人員管理や、地域コミュニティとの信頼関係を築く上での決まり事だ。

 だが、中には類まれな実力の持ち主もいる。そういった優秀な人材を腐らせないために、教会は正教会活動許可証を発行しているのだ。悪魔祓いに関する行為ならば国境を超えて教会が許可、並びに責任を保証してくれるという代物を、クラージマンならコウキでなくとも喉から手が出るほど欲する。許可証は世界各地に存在する教会で聖務を長年続けている神父からの推薦状がなければ、正教会から発行されることはないからだ。つまり、正教会活動許可証を所持できるのは教会からクラージマンとしての実力を認められたということに他ならない。

 そしてクレインは、それをコウキの前に差し出した。

「ローマ、サンタ・ヴィオラ教会の神父長であるクレイン・ヴォルドウィックの推薦による活動許可証だ。あとはコウキ、お前が署名すればこれは有効化される」

「何……の真似だ、おい。そんなもんわざわざ用意するなんておかしいだろ」

 声を震わせながらも、コウキの視線は封筒に釘付けのままだ。クレインはそれを分かっていながら、封筒をまた自分の懐にしまい込んだ。

「あ」

「もちろんタダでやるわけにはいかない。言っただろう? 仕事の話だと」

「……いいぜ、やってやるよ。聞こうじゃねえか」

 挑戦的な笑みを浮かべ、コウキはわざとらしく音を立てて聖書を閉じた。埃が舞い、顔をしかめるがクレインは無表情のまま話を続ける。

「今回の依頼主はアリアンナ・ファンファーニ。お前も知っているだろう、角のクリーニング屋の奥方だ」

「あぁ、あのおばさん……」

「内容は彼女の息子についてだ。どうやら最近、部屋にこもりっきりになってしまったらしい。何やらずっと一人でぶつぶつと呟き続けているとのこと。これが悪魔の仕業なのではないかと教会に知らせが来た次第だ」

「普段の仕事と変わんねえな。何でわざわざ俺に持ってきたんだよ、それ」

「呟いている言語が問題なんだ。彼はどうやらイタリア語ではない言葉を喋り続けているという」

「はっ。スペイン語か? ポルトガル語か? それともフランス語? ラテン語がベースなら大体それっぽく喋れるだろうが。とやかく言うほどじゃねえだろ」

「それが日本語だとしても、か?」

 空気が凍った。コウキの表情は驚愕に彩られ、口は半開きになっている。埃っぽい空気が充満した室内でクレインは軽く咳ばらいをし、動かない表情筋をそのままに言葉を紡いだ。声色もぶれず、まっすぐなままだ。

「この近辺で日本語に精通しているイタリア人はいない。ある程度なら私も理解できるが、複雑な内容まではさっぱりだ。だが、サンタ・ヴィオラにはお誂え向きにクラージマンの本資格を持った日本人がいる」

「それが俺、ってことか」

「日本から熟練のクラージマンを派遣してもらう事も考えたが、そうするとアリアンナの経済的負担が大きくなる。サンタ・ヴィオラに全額を負担するほどの余裕はないからな」

 はぁ、とため息を吐いて懐から取り出したのは先ほどの正教会活動許可証ではない。丸められ、群青のリボンで括られたそれはバチカンにある教会本部からの悪魔祓い依頼書、及び指示書だ。クレインはそれをコウキにむけて放った。放物線を描いて宙を舞ったそれは、狙い通りコウキの膝の上に落ちる。躊躇いなくリボンを解き、コウキは英語で書かれた中身に目を通す。ほどなくして、ある一か所にコウキの目が留まった。

「おい、クレインこれ」

「そうだ。今回の仕事はお前にとっても初めての試みになるだろう。何せ、この悪魔祓いのメイン役はお前だからな、コウキ」

 コウキは目を瞬かせてもう一度問題の個所を眺めた。間違いなく、そこには「Koki Midorikawa」と書かれている。

「何でメインなんだよ! 別にお前のサポートでいいだろこんなの!」

 噛みつくように吠えるコウキにも、クレインは怯むことなく言う。

「コウキ、お前も分かっているだろう。クラージマンの取り仕切る悪魔祓いの儀式はとにかく時間が惜しい。一分一秒の遅れが悪魔憑きの、ひいては私たち聖職者の命にもかかわる」

「知ってるけどよ……」

「悠長にお前の翻訳を待ちながら儀式を行っていては数十分も経たずに儀式場は血の海だ。意思疎通、コミュニケーションはそれほどに大切なものなんだぞ」

「でも、サポートを頼めるようなクラージマンなんていねえぞ。意思疎通だとかなんだとかいうけど、それ以前の問題じゃねえか」

 コウキの心配は儀式そのものではなく、あくまで参加するメンバーに対する物だった。

 クラージマンの仕事は、儀式の対象である悪魔憑きだけでなく一緒に執り行う面子への信頼関係も重要視される。普段から寝食を共にして絆を深め合うのも、緊急時に連携が取れるようにするためだ。だが、コウキは基本中の基本である他者との信頼関係が全くと言っていいほど築けていない。これでは何かあっても対処のしようがないのである。

 不満と不安がない交ぜになった視線を送ってくるコウキに、クレインはこともなげに言い放った。

「それなら心配はいらない。今回のサポートは私が一人で務める」

「は?」

 サンタ・ヴィオラ教会の神父長であるクレイン・ヴォルドウィック。本部からの信頼なくして務められない神父長という肩書を持っている彼が自身のサポート役に就くという言葉に、コウキは今度こそ顔色を悪くした。やってられるかってんだ。

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