36. 「派遣費用も別途に請求するぞ?」
「はぁ!? 荒木さんを挑発してきたですって!?」
「無理やり引っ張って連れてくるより効率いいっすよね」
「穏便に教会にお呼びしようと思ってたのに、私の考えが台無しじゃない!」
談話室の机に激しく手をついて名嶋が肩を怒らせている。怒られている当の本人は全く気にしていない様子でせんべいを頬張っていた。勝手に淹れた煎茶を啜りながらスマホを弄っている姿はお世辞にも人の話を真面目に聞いているように見えない。声を荒げようとした名嶋は、ふとコウキの開いている画面に目を留めて浮かんだ疑問を口にした。
「メール? 誰にしてるの」
「クレインっすよ。ちょっと聞いておきたいことがあって」
名嶋が目にしたのはイタリア語で書かれた文章だった。器用に片手で文字を打ち込んでいるコウキは画面から顔をあげずに続ける。
「日本には悪魔憑きがほとんどいないって話だったのにどうしてかこの教会にはそういうのが来るみたいっすからね。本部に保管してある最新の統計資料を確認したいんすよ」
「まぁ……確かに翠川くんが来るまで年に一度あるかないかくらいの頻度でそういう方はいらしてたけど、よく考えれば少し変ね」
「あ? 悪魔憑きが来てた? クラージマンもいないのにどう対処してたんすか?」
「日本支部に連絡してクラージマンを派遣してもらってたわ。ただ、そうなると費用も馬鹿にならないから心苦しかったのよ」
「サンタヴィオラから派遣されてる俺には? 俺には何もないんすか? 明らかに距離が違うんすけど?」
「何か信仰の変化でもあったのかしら」
「無視? 派遣費用も別途に請求するぞ?」
はぁ、とため息をこぼしてコウキが眉間を揉む。名嶋は考え込むように顎に指を添えて口をつぐんだ。
「翠川くんが来たことと悪魔憑きが来る頻度が増えたことって、何か関係があるのかしらね」
「あー……まぁ、全面的に否定ができないってのが悔しいっすね」
「そうなの?」
名嶋の問いに答えず、コウキは静かにスマホをテーブルに置いた。明かりの切れた画面が天井の模様を反射している。通知の一つも映らないガラスを無感情に眺めながら、コウキは呟くように言った。
「……科学的に立証されてるわけでもないから眉唾なんすけどね。悪魔憑きは悪魔祓いに惹かれるらしいんすよ。憑かれた人間が救われたがってクラージマンを求めてるのか、悪魔に対抗しうる力を持ってる人間を殺したい悪魔が探してるのか、はたまた悪魔を根絶やしにしたい神様とやらが両者を引き合わせているのか……真相は闇の中に、ってね。まぁ俺は全部ただの偶然だと思うけど」
鏡のように天井を写すスマホを見ながら、淡々とコウキは言う。その目はスマホの画面と同じように目の前の風景を写し取っていたが、ただそれだけだった。ただあるだけの光景を映しているそれはラムネの瓶に入ったガラス玉に酷似している。
「どいつこもこいつも面倒くせぇなぁ……」
静かな声は、無音の談話室に響いた。つい零れたというような声色に名嶋が目を丸くすると、我に返ったのかコウキは突然慌て始めた。
「あ、いや、なんかすいません。シスターが面倒くさいってわけじゃないんすよ。口癖って言うかなんていうか、疲れるとつい言っちゃうっていうか……な、なんか、すいません、ははっ……」
俯いて自嘲気味に笑うコウキに、名嶋は肩を竦めるだけだった。テーブルにレシートの束と使い古されたノートを広げて、その整理を始める。これまでコウキのからかいに対してストレートに向かってきた態度とは明らかに違う名嶋の反応に、コウキは困惑を覚えた。本格的に気分を害してしまったのだろうか。そう思うが彼の胸中を名嶋が機敏に察するわけもなく、コウキはただ作業に勤しむ名嶋をちらちらと横目で眺めるしかなかった。
自身の不安定な言動を気にする素振りすら見せない名嶋に、不安と同時にコウキはどこか安堵を覚えていた。深く追求するでもなく、ただ気配を感じる程度の距離感を保つ名嶋の姿勢は今までの彼の周りにはなかったものだ。既に生まれてから二十四年が経過しているコウキだが、未知と遭遇した時の反応は幼い子供と相違なかった。
「……そんな怯えなくても怒ったりしてないわよ、私。それじゃあなんだか似内くんみたいじゃない」
「え」
「すいませんすいませんって……あなたが教会の教えに背いたり不謹慎な態度を取ったりするのなんてこの数週間で嫌というほど分かってるのよ。元々クレインさんからも聞いてたし」
「はぁ……」
「あなたの価値観を理解しようなんて思ってないわ。私にできるのはこの教会と神の教えを守ることとだけだもの。あなたにできるのはその知識を使って悪魔に取り憑かれた信者を救う事でしょ」
ノートに記入し終えたレシートを脇に寄せて、コウキを一瞥した名嶋は続ける。
「もっとふてぶてしい性格かと思ってたけど、案外可愛いところもあるのね。人間らしくて安心したわ」
「何すかそれ」
「ただのクズじゃなくてよかったって事よ」
「……ははっ、シスター、ホント俺に対する当たりが強いっすよね」
「不信の徒に分ける優しさなんて生憎持ち合わせてないわ」
そう言いながらも名嶋は笑っている。泣きほくろに飾られた目元が柔らかく細められているのを見ながら、コウキは静かに笑った。
窓の外では、雨粒がコンクリートに大きな染みを作っている。
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