37. 「……噂をすれば影、だな」

「連絡は?」

「まだなし。コウキくん、本当にこれ来るの?」

「来るだろ。来なかったら……まぁ、解決策がないわけじゃないけど、金に物言わせることになるな」

「ちなみにおいくら?」

「ざっと……」

「は? それ本気で言ってる?」

 コウキに耳打ちされた金額を聞いて驚愕を隠せない古海に名嶋がわざとらしくため息を吐いた。

「二人とも緊張感を持ったらどうなの。カソック服を着てる時くらいはしっかりしてちょうだい」

「カズのせいで怒られたぞ」

「どっちかっていうとオレよりコウキくんのせいじゃない?」

「そういう会話のことを言ってるのよ」

 三人が会話しているのは九重教会の聖堂だ。普段なら既に明かりが落とされている時間帯だが、今日は例外だった。

「でも、健斗くんは今日行きますって言ってたんだよね」

「それなんだよな。あの母親、うまく誘き出せるといいけど」

 自身のスマホに映し出される文字列を見ながら、コウキは誰に聞こえることもないため息を吐いた。そこには数時間前に届いた「今日、母さんと行きます」という飾り気のない文章が残されている。コウキが送った了解の旨に既読が付いていない事は気がかりだが、教会で悪魔祓いの準備をするクラージマンたちはただ田代の言葉を信じて待つしかなかった。

 窓に大粒の雨が打ち付ける音だけが響く聖堂で、コウキたちは身じろぎひとつせず来るはずの尋ね人を待っていた。儀式に向けて高まる緊張を押さえるように似内が胸の前で拳を握りこんだ時、不意にコウキが口を開いた。

「……噂をすれば影、だな」

「え?」

 ぽつりと呟かれたコウキの言葉を拾った古海が首を傾げるのと、教会の門が乱暴に開かれるのと同時だった。肩で息をしながら怒りに燃える瞳でコウキたちを睨みつけたのは、門を開いた荒木友里恵その人だ。彼女に腕を掴まれて引きずられるように続けて教会の扉をくぐったのは、明らかに憔悴している田代だった。よくよく見れば、幼さがまだ残る顔には隠し切れない痣が付いている。何か固いもので打ち付けられたようなそれは、沈痛な表情と相まって酷く痛々しかった。

「いらっしゃい、荒木サン。教会の人間一同、首を長くして待ってたよ」

「健斗に余計なことを吹き込んで……! 全部あんたのせいよ! 責任取ってこの子の事治しなさい!」

「……コウキさん、ごめん……母さん、すごい怒って……」

 項垂れる田代を見て、古海は拳を握りしめた。自分の不甲斐なさに募る憤りを殺すように震える彼の手は、力を込めすぎて白んでいる。尋常ではない母親の様子にすっかり怯えている田代は、存在を隠すように小さく縮こまった。

 何とはなしに、コウキが古海の肩に手を置く。気の置けない友人へのようなそれに驚いた古海は目を瞬かせてコウキを見た。そこには、何の気負いもないクラージマンの不敵な微笑みだけがある。

「カズ、今日の主役はお前だ。やりたいようにやれ。カバーは似内と俺に任せろ」

「……うん」

 コウキの言葉に背中を押され、古海はまっすぐに荒木友里恵を見据えた。その目に揺らぎはなく、ただ目の前の悪魔憑きを祓わんとする信念だけが燃えていた。

「……じゃあ、始めるよ」

 その言葉を聞いて、まず動いたのは似内だった。事前に聞かされていた手順通り、荒木の逃げ道を塞ぐように教会の扉を閉ざす。軋んだ音を立てて外界との繋がりを絶った分厚い木の板に、鉄のカギがかけられた。

「田代くん、こっちへ」

 扉に荒木の意識が向いたのを確認してから、名嶋は立ち尽くす田代に言った。その優しい声色に誘われ、田代は緩慢な動作で足を踏み出す。自分を睨みつける母親を振り返ったが、それも一瞬のことだった。

「健斗!」

 荒木の叫びが聖堂に空しく響く。名嶋の傍らに田代が移動したのを見届け、コウキは視線だけで古海に次の段階へ進むよう促した。それを受け、古海は静かに頷く。

「コウキくんに説明を受けたと思いますが、オレ達はクラージマン……あなたの中に巣食う悪魔を祓うために訓練を受けた人間です。できれば手荒な真似はしたくない。大人しく言うことに従ってください」

 携えた聖書を開きながら胸の前で十字を切る。聖職者然とした姿勢に、荒木は僅かに狼狽えた。古海はその荒木の姿を見て確信した。

 ――……間違いなく、この女の中には祓うべき悪魔がいる、と。

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