34. 「わたくし、こういう者です」
「ここが……」
着慣れないスーツに身を包み、息苦しそうな顔でコウキが呟く。名嶋から受け取った地図を頼りにコウキが訪れたのは、どこか寂れた印象を受ける住宅地の一角だった。比較的新しい洋風の家々が立ち並ぶ中、目当てだった二階建ての家はそこだけ時間が止まったかのように古びている。表札にはシンプルに行書体で「荒木」と書かれていた。木造のそれは九重教会の居住スペースに似た雰囲気を醸している。コウキは気合を入れるように首元のネクタイを締めた。
地図が書かれたメモ用紙をジャケットの内ポケットに忍ばせ、軽く身だしなみを整えて深呼吸をする。インターホンに手を伸ばし、その呼び鈴を押そうとした瞬間、コウキの背後から声がかかった。知らない女の声だ。
「あの……どちら様ですか」
見ず知らずの来訪者を警戒する厳しい声色だった。コウキは僅かに眉を上げ、すぐさまにこやかな笑みをその顔に張り付けるとゆっくり振り返った。
そこにいたのは、スーパーのビニール袋を提げた女性だった。長い髪の毛は乱れていて、ここ最近碌に手入れしていないのが一目でわかる。化粧すら施していない顔は見るからにやつれており、落ち窪んだ目の下には酷い隈が見て取れる。重い何かを背負うような猫背だが、まっすぐに伸ばせば日本人女性の平均身長よりも高いだろう。コウキは彼女からあの田代少年の面影を感じ取った。
「あぁ、すいません。こちらは荒木さんの御宅で間違いありませんか?」
「そうですけど……」
「自己紹介が遅れました。わたくし、こういう者です」
営業スマイルを維持したまま、コウキは懐から銀色の名刺入れを取り出す。中身を取り出し、女性に手渡す。そこには、「国際精神調査医療機関 特別派遣役員 翠川コウキ」と書かれていた。教会の人間だと知られたくない際に使う名刺だ。国際精神調査医療機関は滅多に使われない教会の別称であり、カウンセリングに重点を置いている組織として表向きには活動している。
「はぁ……」
気の抜けた返事をしながら、荒木は受け取った名刺を眺めた。聞いたことのない組織からの役員に疑いの目を向けながら、もう一度同じ問いを口にする。
「それで、どちら様ですか」
「そこに書かれている通り、国際精神調査医療機関……
「調査……?」
「こちらの御宅にいらっしゃる健斗くんが虐待を受けている可能性がある、というお話です」
ストレートな物言いに、荒木が息を呑む。ビニール袋を持つ手が強く握り締められ、血の気を失い白くなるのをコウキは平然と見つめた。手の震えが袋にも伝わり、ガサガサと耳障りな音を立てる。
「……虐待なんてそんな……根も葉もないことを……」
「証言の真偽はこちらが決めます。お時間、よろしいですね?」
涼しい顔のまま、コウキは感情の籠らない声で言い放つ。恨みがましくコウキを睨みつける荒木の視線など気にもしていない。コウキがちらりと視線をあげれば、二階の窓に掛けられたカーテンの隙間から向けられた視線に気が付いた。田代が、不安げな表情で母親とコウキのやり取りを見ている。声こそ聞こえていないが、そこに充満する不穏な雰囲気は感じ取ったのだろう。怯えた様子で外を伺う彼に、コウキはこっそりウィンクした。
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