33. 「まさかぁ」

「お届け物でーす」

「あ、はい」

「こちら、九重教会様宛でお間違えありませんか?」

「大丈夫っす」

 教会の前にある階段で煙草を吸っていたコウキに声を掛けたのは、青い制服に身を包んだ宅配便の配達員だった。ハンコを持ち合わせていなかったコウキは、九重教会宛ての荷物に配達員が貸したボールペンでサインする。流れるような筆記体でサインが書かれた伝票を受け取り、配達員は笑顔で去っていった。

 コウキはまじまじと伝票を見つめる。宛先と送り主を見て合点がいったのか、ははぁ、と小さく漏らした。

「日本支部からの荷物……ってことはあれか、道具の手配間に合ったんだな」

 抱えるほどもない小さな箱を軽く揺すり、中で何かが音を立てるのを確認する。重量感のないそれを膝の上に置いて、コウキはまだ長い煙草に口付けた。いつもより強い風がコウキの前髪を揺らした。真夏のうだるような暑さはなく、湿気を含んで冷えた風が煙草の煙を掻き消すように吹きすさぶ。

「だから、そこで煙草吸わないでって言わなかったかしら」

「そんな固い事言わないでくださいよシスター。俺にとっては数少ない娯楽っすよ」

「吸うなら裏に行きなさいよ! お客様の邪魔なの!」

 いつもの竹箒を片手に肩を怒らせた名嶋を見て、コウキはけらけらとおどけたように笑う。これ以上言っても無駄と察したのか、名嶋はため息を吐いてそのまま掃き掃除を始めた。

「ところで、その荷物は?」

「ん? あぁ、カズへの荷物っすよ。日本支部からの」

「折れた十字架の替えね。ちゃんと届いてよかったわ」

「こっちは申請からお届けまでが早くていいっすね。サンタヴィオラなんて頼んでから三か月は待たないと来ないっすよ」

「随分不便ね。ローマ本部の近くなんだから日本より早いと思ってたわ」

「宅配がクソなんすよねぇ。どうしてもすぐ必要なら電車乗って直接受け取りに行った方が早いし」

「聞けば聞くほど意外だわ」

 塵と一緒にコウキが散らかした灰を箒でまとめながら名嶋が小さく笑う。コウキは煙を一度大きく吸い込むと、静かな声色で呟いた。

「さて……いざ「メイン役にカズを据える」とは言ったものの、どうしたもんか」

「あなたは脇で見てるだけなんじゃないの?」

「そうは言ってもやっぱ初心者の初舞台となるとそれなりに危険なんすよ。防衛策は多いに越したことない」

「面倒見がいいのね」

 からかうような弾む名嶋の声にコウキは顔をしかめた。返事の代わりに吐き出された紫煙を目で追いながら名嶋は言う。

「そうね……何か知りたいことがあるなら調べておくわよ」

「荒木サンについて?」

「そう。教会って意外と地域の情報が集まるのよ。儀式の前に知っておきたい事、あるかしら」

「そうっすねー……あ、じゃあ前に荒木サンが北添に来た時と今がどんな風に違うか聞いてほしいかな」

「そんなことでいいの?」

「結構大事っすよ? 明らかに変わっておかしくなってるなら儀式終わった後も再発するかもしれないし、そうすると今度はアフターケアのカウンセリングをしてくれる教会関係者を荒木サンの住所の近くから探さなきゃいけない」

 申請のために作成しなければいけない書類の数々を思い浮かべたのか、コウキは苦虫を噛み潰したような顔で唸る。顔をあげて空を仰ぎ見れば、今にも落ちてきそうな分厚い雲が目に入った。以前田代がサッカーのために訪れた時とよく似た天気だ。きっとこの後、あの時と同じように雨が降り出すのだろう。コウキは、坂の下からまたあの少年がボールを持ってくるのを心の片隅で待っている自分に気が付いた。

 田代はきっと、しばらく母親の下から離れることができないだろう。自分の知らないところで勝手に手当てされた傷など見れば、母親は軟禁してでも田代を家に引き留めるはずだ。その間に田代の心が擦り減ってしまうにも関わらず、自分のエゴのために動き続ける。コウキは短くなってしまった煙草を踏み消し、まだ掃き掃除をしている名嶋に声を掛けた。

「シスター、今荒木サンが住んでる家ってどこっすか?」

「荒木さんの自宅? そんなの知ってどうするの」

「儀式の下準備ついでにちょっと挨拶でもしておこうと思って」

「……余計なことするつもりじゃないでしょうね」

 探りを入れるように見つめる名嶋に、コウキは明らかに作ったと分かる笑顔を返した。

「まさかぁ。儀式の成功が目下の目標っすから」

 怪訝な顔を崩さないまま、名嶋は仕方ないといった風に修道服の上から付けたエプロンのポケットを探った。黒い厚紙で挟まれたメモ帳を取り出し、付属のペンで何かをすらすらと書きつける。ほどなくして書き終わったのか、一枚破るとそれをコウキに手渡した。書かれていたのは、簡素な地図だった。

「二ツ橋の方だからここから歩くと少しかかるわよ。今から行くなら傘を忘れないようにしなさい」

「お、これは見やすい。助かります」

 立ち上がり、ズボンの尻に付いた砂埃を払うとコウキは大きく伸びをした。いつもより強い風がTシャツの裾を揺らす。少し目を細めたコウキは、意を決したように自分の頬を叩いた。

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