31. 「皮肉なもんだな」

 田代の話を聞き終えたコウキと古海は少年を家路に返した後、コウキの自室で話をしていた。古海は自室から持参した椅子の上で両膝を抱えている。

「……母親思いのいい子だね、彼」

「顔に似合わず随分優しいこった」

「だからこそ、色々抱えこみすぎちゃったのかも」

「あいつ自身に憑いてるわけじゃなかったけどやっぱり関係はあったな。やっぱ俺の勘も捨てたもんじゃないってわけだ」

「……コウキくん、何か楽しそうだね」

「そうか? まぁ仕事が来れば金が入るし」

「オレは、そんな風に他人の不幸を無責任に喜べないよ」

 棘を含んだ声色にコウキはただ肩を竦めるだけだ。古海は膝を抱える腕に力を込めてため息を吐いた。眼鏡が膝にぶつかってズレるのも構わずに顔を埋める。

「やっぱり、健斗くんのお母さんが悪魔憑きなんだね」

「直接見るまでははっきりしない」

「でもコウキくん、今「関係はあった」って」

「確証はない。もしかしたらただカウンセリングが必要な人種なだけかもしれない」

「……そんなこと、思ってないくせに」

 大きな欠伸をこぼすコウキを見ながら、古海はまたため息を吐いた。思い詰めた表情で考え込む古海とは対照的に、コウキはやる気を感じられない態度を貫いている。指先のささくれを弄るコウキは、ちらりと古海を一瞥して呟いた。

「今回の件、お前が全部やってみろよ」

「え?」

「田代だよ、田代。お前、やたらあいつの事気にかけてるみたいだしちょうどいいだろ。俺は隣で見ててやるから」

「そんな適当な」

「経験を積むにはいい機会だ。やばそうだったらもちろん俺も手助けするし、あんまり気負わずにやってみろって」

「そうは言うけど……正直、健斗くんのあの話を聞いてから不安になってる……」

 古海の脳裏をよぎったのは、数週間前に教会を訪ねてきた一人の少女―秋原ちえ―の姿だった。男性二人に取り押さえられながらも、剥き出しの殺意でコウキに襲い掛かったあの悪魔憑きを思い出し、知らずのうちに握り締めている拳に力がこもる。初めて目の当たりにした悪魔祓いの儀式に抱いた恐怖は、高々数週間では消えそうにない。「ちょっとビビった」などと言葉を濁してはいたが、彼の心に巣食う恐れはしっかりと根付いていたのだ。

「俺は田代の話を聞いた上でお前がやるべきだと思った。単純に危険度が低いってだけじゃなくて、お前があのサッカー少年を暴力から助けたいって考えてるから。違うか?」

「違わない。けど」

「じゃあいいじゃねーか。変に考えすぎるなよ」

 椅子の上で足を組み替え、だらりと脱力してコウキは続ける。

「……整理しよう。あいつの話の要点をかいつまんで言えば、母親の過干渉と暴力が始まったのは父親と離婚してからだったな」

「……そうだね。中学を卒業する直前だって言ってた」

「離婚理由はサッカー少年に対する父親の虐待。もちろん親権は母親に渡り、晴れて二人は暴力親父の手を逃れて暮らすことになった……最初はそれで問題なかった」

「でもそこから徐々にお母さんがおかしくなった、って言ってたね。多分お母さんの認知が父親から健斗くんを守れた……いや、守れてしまったことで「もっと守ってやらなければ」っていう風にどんどん歪んでいったんじゃないかな」

「皮肉なもんだな」

「本当だよ。本来ならそのまま健斗くんはお母さんと二人で幸せに生活できるはずだったのに……それで、健斗くんのお母さんは息子を守るためにありとあらゆる行動に干渉するようになってしまった」

「行動もエスカレートしてたっぽいし。自分の知らない人間との関係に口を出すところから始まって、そっから徐々に母親からの暴力に発展していったと」

「お母さんまで別れた父親と同じ道を辿るなんて、皮肉にもほどがあるよ……健斗くん、すごい良い子なんだよ……? どうしてあの子が……」

 抱えていた膝に顔を埋め直し、消え入るような声で古海が呟く。少しだけ涙で濡れた声を聞かないふりをして、コウキが背もたれに体重を掛けた。負荷のかかった背もたれが軋んだ音を立てる。

「……話を戻す。夏休み目前になって、田代母の過干渉はさらにエスカレートした。強豪であるサッカー部の練習にさえ参加させたくない母親は、半ば強引に田代を自分の実家があるこの北添に連れてきた。あのサッカー少年の精神状態はもうボロボロだ、母親に逆らって部活に参加するより大人しく従った方がマシだと判断したんだろうな。本当にそれが正しかったのかは知らないが」

「……うん。北添に知り合いもいないのに、彼はついて来た。お母さんの狙いはそれだったんだと思うよ。自分の手が届く範囲に健斗くんを縛っておきたいって思ってたんじゃないかな」

 鼻を啜りながらもはっきりと口にした古海に、コウキは頷いた。クラージマンとしてのスイッチが入ったのか、その目は真剣そのものだ。今までの気だるさは面影すらない。

「でもそこで予想外の事態が起きた」

「オレたち九重教会の関係者と出会って、健斗くんのお母さんが思いもしない交友関係が生まれた……ってことだよね」

「あぁ。恐らく田代母はサッカー少年の表情の変化に気が付いたんだろうな。俺ですらあいつが楽しそうにサッカーしに教会に来たのが分かったくらいだ。過干渉の母親ならそれくらい造作もなかっただろ」

「それで、健斗くんの足を攻撃したってこと?」

「足が潰れりゃサッカーも出来なくなる。出歩けなくなれば自分が干渉できない外界との接触もなくなるしな。ミサンガは……多分目に入ったからじゃないか?」

「って言うと?」

「あのミサンガはサッカー部のマネージャーが作ってくれた物なんだろ? 田代母からしたら、外界との繋がりの象徴みたいなもんだ。衝動的に引きちぎったんじゃないか?」

 こう、強く。そう言いながらコウキは何かを千切るようなジェスチャーをする。ただの真似にも関わらず、古海の目には引きちぎられた無残な黒いミサンガが見えた気がした。コウキは下ろした手をそのまま口元に寄せ、静かに考えこむ。視線はあちこちを彷徨い、彼の頭の中で巡っている思考を表しているようだ。すると、何かに気が付いたのか大きく息を吐いた。

「……虐待……あぁ、そうか。多分田代が見てないところでもあったのか」

「どういう意味?」

「家庭内暴力、いわゆるDVって奴だ。負の感情や考えはいつだって連鎖する。自分の思い通りにならない息子にいう事を聞かせるために母親が取った行動はなんだった?」

「そりゃ……暴力、だよね。あの怪我が何よりの証拠だし」

「じゃあその発想はどこから来た? どうして「暴力で支配する」なんて考えに至った?」

 答えを古海に言わせたいのか、コウキは口をつぐんでじっと古海を見る。古海はコウキの言葉を反芻した。そして、一つの仮説にたどり着く。

「そうか……元旦那からか。自分を従わせていた要因が夫の暴力だったから、意識的ではないにしろ同じような行動をとっていた」

「何となく全体図が見えてきたな……ここまで長い事放置してたんだ、カウンセリングで相手するとなると相当時間がかかるぞ」

「でも、そんな時間ないよ。あくまで健斗くんとお母さんは北添の実家に帰省してるだけなんだ。あとどれくらいここにいるのかも分からないし、そもそもカウンセリングを受けてくれるかも怪しいし……」

「何のためにクラージマンがいると思ってるんだ。そういう時の「悪魔祓い」だろ」

 コウキが視線を向けた先には、銀のジュラルミンケースが電球の光を反射して鈍く輝いていた。悪魔祓いに必要な聖具が収められたそれは、鍵が開かれる時を今か今かと待っているようだ。

「お前ならできる。今回頑張るのはお前だぞ、カズ」

「……うん」

 拳を握りこみ、古海が顔をあげる。その目には、一人の少年を救わんとする固い決意が浮かぶ。嵌め殺しの窓ガラスに、雨粒が打ち付ける音が鳴り始めた。

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