30. 「……了解」

「……じゃ、解答の時間だ」

「……何? 似非探偵のコウキさんはもう答えが分かったっていうの?」

「まぁな。これでもそういう職業なんだ」

「で? 誰だと思うの?」

「母親だろ」

 田代の息が詰まった。否定も肯定もしないが、それは何よりも分かりやすい返事だった。ふぅ、と小さく息を吐いてコウキが椅子を降り救急箱の中身を漁り始める。

「やっぱりなー。それ以外辻褄が合わないとは思ってたんだよ」

「な、んで」

「んー? だってお前、北添に知り合いなんていないんだろ? サッカーやってるって知らない奴に足ばっかり狙われるのは変だしな。あと足。ミサンガ」

 アイスパックに執拗なパンチを叩きこみながらコウキが続ける。

「勝負事のミサンガは確か利き足につけるんだったっけか? この蚯蚓腫れは思いっきりミサンガを引っ張られた痕か。かなり強い力がかかってるように見えるし、大方無理やり千切られたな?」

 アイスパックを右足の痣が集中している部分に押しつけ、コウキは軟膏の蓋を開けた。薬指で中身を掬い取り、労わるように擦れて赤くなった足首に塗り付ける。少し染みたのか、田代がわずかに顔をしかめた。

「我慢しろ」

「何その根性論……痛いものは痛いんだって……」

「シスターみたいに優しくないんだよ俺は……話を戻すぞ。ミサンガがなくなったのは取られたからだな?」

「……うん」

 手当てをするコウキを見ながら田代が消え入るような声で呟く。敢えて田代の顔を見ないようにコウキは手当てを続けながら喋った。

「ミサンガを大切にしてたのは母親も知ってるな」

「知ってる」

「だから無理やり取った……なるほどな。子供じみてはいるが分かりやすい」

「コウキくん、健斗くん、お茶持ってきたよ」

「そこ置いておいてくれ」

 教会に似つかわしくない漆塗りのお盆に麦茶の入ったグラスを乗せ、古海が近付いてきた。振り返ることなく放たれた言葉に、古海は肩を竦めてテーブルにお盆を置く。

「これ絆創膏足りると思うか?」

「無理じゃない? 包帯巻いたらどうかな」

「それだ」

 救急箱から取り出した絆創膏のパッケージを仕舞い直し、未開封の包帯を手に取る。尻ポケットに入れていたスマホで「包帯の巻き方」と検索したコウキは、そこに表示されたイラストと解説を見ながら包帯の封を切った。

「さすがに包帯は巻いたことないな」

「あ、じゃあオレやるよ。やったことあるし」

「じゃあ頼んだ」

 古海とコウキが場所を入れ替わり、コウキはテーブルに置かれた麦茶のグラスを手に取った。一つに口をつけながら、もう片方を田代に差し出す。田代はそれを素直に受け取って飲み始めた。古海は慣れた手つきでガーゼの上から包帯を巻き始める。

「利き足の方を必要以上に痛めつけられてるのも、ミサンガを取られたのと同じ心理が働いてそうだな。大切にしてるものを奪う……いや、それならサッカーボールが先に壊されてそうだよな……?」

「コウキくん?」

 声を掛ける古海にも気づかないほど考え込んでいるコウキは、顔を田代に向けた。

「……この前持ってきたお前のサッカーボール、あれっていつから持ってる?」

「高校の入学祝だから……去年の四月」

「買ってもらったのか」

「う、うん。母さんがくれた」

「そうか。じゃあサッカーさせたくないって意思が直接的な原因ではないってことか」

「ごめん、ちょっと話が見えないんだけどどういう事?」

 足首と脛に包帯を巻き終えた古海が顔をあげる。コウキは小さく眉を上げた。

「こいつの怪我の原因は母親だ。虐待に近い」

「っ、母さんは虐待なんてしてない! ずっと俺を守ってくれてた!」

 突然声を荒げた田代に、古海とコウキは瞠目した。瞬きを何度か繰り返し、コウキは鋭く目を細める。

「母さんは、母さんはちょっと今不安定なだけだ! 俺は虐待なんてされてないし、すぐに元に……!」

「不安定? 健斗くん、お母さんが不安定ってどういう事?」

 古海は首を傾げて問うた。静かな古海の声色に落ち着きを取り戻したのか、一つ深呼吸をして震える声を吐き出した。

「……母さんは寂しくて人恋しいだけなんだって……だから、俺が言う事聞いてれば大丈夫だから」

「寂しい……?」

「……俺が中学を卒業するちょっと前に、うちの両親は離婚したんだ。母さんが……その、ちょっとおかしくなり始めたのはその頃で」

「……何となく話が見えてきたな」

 腕を組み考え込んでいたコウキが言った。宙を睨みつけながら口の中で何かを呟きながら頭の中を整理している。古海は手当て途中の田代を見た。傷の痛みではない何かに耐えるよう唇を噛みしめ、ともすれば今にも泣きそうに見える瞳にはこれまでの人を食ったような笑みに隠された年相応の苦悩が滲んでいる。

「……健斗くん」

 古海が田代の膝に手を置く。怯えさせないよう努めて優しく、そっと田代の足に触れた。

「こう見えてもね、オレはここの神父なんだ。もしかしたら、何か力になれるかもしれない」

「力って……」

「君と、君のお母さんの話、聞かせてくれないかな」

 まっすぐに田代の目を見つめ、古海が言い放つ。ゆっくりと合わせられた視線は、今度こそ田代のそれとかち合った。

「……俺の母さん、やっぱり何か変なのかな」

「分からない。分からないけど、健斗くんがこれ以上傷つくことがないように手助けはできると思ってるよ」

「……母さんに酷いことしない?」

「オレが信じる神に誓って」

 迷いのない言葉に田代が小さく頷いた。古海は顔をほころばせ、田代の頭を優しく撫でるのだった。

 その様子を眺めながら、コウキは厨房の扉に静かに向かった。小声で話し始める二人に背を向け、扉の外に顔を出した。廊下の壁に凭れ掛かって俯いていたのは名嶋だ。

「悪いっすね。もう少しかかります」

「いいわよ、クラージマンじゃないとこの仕事はできないわ。これ、買ってきたから渡しておく」

 ビニールの擦過音と共にコウキが受け取ったのは、コンビニのロゴマークが印字されている袋に入れられた消毒液とガーゼだ。

「使い終わったら救急箱の中にしまっておいて」

「……了解」

「あなたの手腕には期待してるのよ。頑張って」

「今回頑張るのは俺じゃないんだけどなぁ……」

「どういう事?」

「すぐ分かりますよ。これ、ありがとうございました」

 がさり、と音を立てて袋を持ち上げる。そのまま談話室に戻ろうとするコウキの背中に、名嶋が咄嗟に声を掛けた。

「待って」

「何か?」

「あなたに……翠川くんにとって、あの田代くんはどんな存在? 救済すべき人間? それともただの金蔓?」

 質問を受け、コウキは立ち止まった。一瞬だけ振り返り、名嶋と視線が合う。その顔色と視線は、興味のない本を無理やり読まされている子供のような嫌悪を孕んでいた。

「そうだな……あえて言うなら、可哀そうな被害者ですかね」

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