28. 「暴力反対」
コウキたちがサッカーをしている最中にゲリラ豪雨の襲撃を受けた日から数日が経過した。空模様は相変わらずぐずついたままで、いつ雨が降り出すかも分からないほどの厚い雲が頭上を覆っている。コウキは教会の前で煙草を吸いながら空を睨みつけた。吹き付ける風は心なしか強く、まとわりつくような湿気と冷たさを含んでいる。煙草を咥えたまま煙を吐き出しても、コウキの眉間の皴が取れることはない。
「嫌な天気だな……」
フィルターを噛み、不快感を露わにしたままコウキが呟く。そんな彼の後頭部に、何か固いものがぶつかった。
「いてっ」
「ちょっと。邪魔なんだけど」
頭をさすりながらコウキが振り返ると、そこにはいつもの竹箒を持った名嶋が立っていた。不機嫌そうな顔のまま、名嶋はコウキのすぐ脇を箒で掃き始める。
「煙草吸うならいつもみたいに裏で吸いなさいよ。そこだと邪魔よ」
「あそこ蚊が多いからなぁ……今日はカズに虫除け借り忘れたからここで吸ってるんすよ」
「お客さんが来にくいじゃない」
「あはは、こんな天気の中来ませんって。別に天気が良くても来ないっすけど……いって! だからその箒! 痛いんすよ!」
「当たり前よ、痛くしてるもの」
「暴力反対」
表情を崩し、また煙草を吹かしたコウキはふと呟いた。
「……あいつ、来ないっすね」
「あいつって?」
「田代っすよ。この前サッカーしに来た後から一回も顔見せに来ないじゃないっすか」
「あぁ、あの子……そうね。確かに見かけないわね」
辺りを掃く手を止め、名嶋は教会から見える景色を一望した。丘の上にある九重教会は小さな北添市を見下ろす立地にある。見ている景色のどこかに恐らく田代の祖母の家があるのだろう。田代の家など知らないコウキと名嶋は、ただ曇り空の下でいつも通り時間が進んでいる北添の街を見るしかなかった。
「……何であいつ来ないんだろう」
コウキがぽつりと呟いた。彼の目はまっすぐに街を見つめている。わずかに険を含んだその視線に、名嶋は小首を傾げた。
「別に、そんなに気にすること?」
「前にも言ったけど、あいつの隠し事が気になるんすよ。もし悪魔憑きなら、田代が千葉に帰る前に何とかしたいし……ただ、悪魔憑きだとか言われてる連中は大体自分からSOSを発信するんすよね。それこそ、この前のお嬢さんみたいに」
「そういう傾向があるってだけで、全ての悪魔の被害者がそうだってわけじゃないでしょう。第一、あの子の居場所が分からないならこちらからコンタクトを取ることもできないじゃない」
「そうなんすけど……うーん、モヤモヤする……何か見落としてる気がするんだよな……」
執拗に吸い殻を踏みつけてもみ消しながらコウキが苦々しく呟く。次の煙草に火を付けようとするが、ライターのオイルが残り少ないのか火花を散らすだけで一向に火はつかなかった。風除けのために手で覆いを作り、何度か挑戦してようやく煙草の先端が赤く色づく。その火が消えないように深くフィルターから息を吸い込んで煙を吐き出した。まだ白いフィルターがわずかだがヤニで黄ばんだ。
「ふー……ま、あのサッカー少年から出向いてくれない事にはどうしようもない……おい、あれ」
ふと一点に目を留めたコウキが勢いよく立ち上がった。名嶋も釣られるように目を凝らして確かめれば、そこには二人分の人影が小さいが確認できる。よろよろと覚束ない足取りの人間を、もう片方が支えながら歩いていた。コウキはその人物に合点がいったのか、吸い始めたばかりの煙草を地面に落とし慌てて駆け寄った。
「おい!」
声を張って呼びかければ、その人影のうちの一人が顔をあげた。眼鏡をかけた青年がホっとしたように眉尻を下げる。
「コウキくん……! 救急箱! 救急箱用意して!」
肩を組んで体重をほとんど古海に預けながらなんとか歩いているのは、先程までコウキが名嶋と話していた件の人物だった。
「田代、お前どうしたその怪我?」
コウキが睨みつける先にあるのは、傷だらけの田代少年だった。相変わらず長袖のカッターシャツを着ているが、ロールアップしたスラックスから覗く足首には夥しい量の青痣が浮かび上がっている。顔にも殴られたような跡が残っており、唇の端からは細く血が伝っていた。心配を掛けまいとしているのか、何とか笑みを作ろうと吊り上げている口角が痛々しさをさらに強調している。
「たはは……コウキさん、やっほー」
「笑ってる場合じゃねえだろそれ」
「オレが買い物に行ったらたまたま見かけたから連れてきたんだ……シスターも手伝って!」
「分かったわ。田代くん、こっちの肩借りるわよ」
「おねーさんに支えてもらえるなんて役得だなぁ……うぅっ」
「馬鹿言ってないで早く教会に入る! 中で手当てしてあげるわ」
古海と名嶋に両肩を支えられながら、田代はゆっくりとした足取りで教会へと向かった。時折顔を歪めていることからも、怪我の具合は良くないらしい。コウキも、三人の後を追うように教会に足を向けた。
鈍色の空の遠くから、微かに雷鳴が聞こえた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます