27. 「お前はどうしたいんだよ」

 日付も変わるかという頃。コウキがコンビニで購入した漫画雑誌を眺めていると、突然自室の扉がノックもなしに開かれた。

「コウキくん!」

「うるせえな。今何時だと思ってるんだよ」

 飛び込んできたのは隣室の古海だ。普段かけている黒縁とは違うセルフレームのスクエア型眼鏡をつけていた。無地のTシャツにラフなステテコを履いている彼は、思い詰めた表情のまま部屋に押し入りコウキの肩を掴む。コウキは目を瞬かせると、持っていた漫画雑誌を机に置いて古海に向き直った。

「んだよ。何の用だ」

「……ちょっと、気になったことがあったっていうか」

「何がだよ」

「……コウキくんは、その、もし自分の知り合いとか友達とかが何かを悩んでたら、どうやって言葉をかけるのかな」

 不安げに揺れる古海の眼差しが、彼の胸中を表しているようだ。コウキは鼻を鳴らして肩を掴む古海の手を払った。

「聞きたいことがあるならはっきり聞け。まどろっこしいのは相手しててむかつく」

「え」

「大方今日の田代を見て何か思うところがあったんだろ。これだから日本人は面倒くさいんだよ……察するとか空気を読むとか、んなもん他人に求めんなよな……」

 ぶつくさと文句を言いながら、コウキは自分が座っている椅子を古海に譲った。自分はベッドのマットレスに腰かけ、早く座れと目線だけで訴える。古海は一瞬躊躇ったが、椅子に腰を下ろす。それを見たコウキは満足げに笑って大仰に足を組んだ。

「それで? 田代がどうした」

「ほんと、コウキくんには敵わないなぁ」

「お前より長くクラージマンやってるもんでな」

「……うん。オレが話したかったのは、その健斗くんの話」

 言いながら古海の頭に浮かぶのは、雨に打たれながら嬉しそうに笑っている少年の姿だ。サッカーボールを抱きしめ、勢いのある雨が足元で跳ねて靴を汚すのも厭わずに空を見上げる彼の様子は、誰がどう見てもおかしかった。頬を伝う雨粒は、ともすれば涙を流しているようにも見えた。

「コウキくんはこの前の夕飯の時、健斗くんの事「何か隠してる」って言ってたよね」

「言ったな」

「どうしてそう思ったの? オレは、今日の健斗くんを見るまではっきりとは気が付かなかった」

「どうしても何も、勘って言ったはずだけど」

「そんな曖昧な」

「人間の心理を相手にしてるのに分かりやすいサインとか目に見える何かがあるわけないだろ。あいつの行動を見てそれっぽいなぁって思ったから言ったまでだ」

 望んだ返答が来なかったからか、古海の表情は渋い。どうにか自分の考えを整理しようとしている古海に、コウキはあっけらかんと言い放った。

「ま、今日のあれで気が付いたんならいいだろ。経験がないにしては早い反応だ」

「そういうものなの?」

「そういうもんだな」

 ふう、と一つため息を吐いて、コウキがゆっくりと目を閉じた。マットレスの埃を舞い上げながら後ろに倒れこみ、小さくうめき声をあげる。両手を投げ出して伸びをしたコウキは、やがて呟くように古海に言った。

「お前はどうしたいんだよ、カズ」

「……何が?」

「あの田代って奴を気にかけてるのは伝わった。あ、「力になりたい」とか「何とかしてあげたい」とかそういうふわっとしたのは聞いてないからな。俺はその具体案が聞きたい」

 コウキの言葉に、古海は俯いた。何か言おうと口を何度も開くが、頭の中の考えはまとまらずにただ呼気を吐き出すだけに終わる。あの少年のために何ができるのか、何をするべきなのか。考えれば考えるほど思考は泥沼にはまって、結局は堂々巡りだ。唸りながら頭を抱える古海に、コウキがとうとう噴出した。

「お前、そんな考える事か?」

「え、だって曖昧なのはダメなんでしょ」

「だからって難しくなる必要はないだろ。クラージマンとしてじゃなくて友達として助けたいから話を聞いて状況改善の糸口を掴む。それで十分じゃないのか?」

「……それでいいのかな」

「それ以外に何があるんだよ」

 コウキの問いには返事をせず、くすくすと笑いながら古海は背もたれに体重を掛けた。首を後ろに反らし、脱力した体勢でふと表情を消す。コウキは、そんな古海の顔から何も読み取ることができなかった。

「……そういえばカズさぁ」

「何」

「もしかしなくても、シスターの事好き?」

「はぁっ!? え、いや、あの、なんで? なんで今そんなこと言うの!? 関係なくない!? ちょっとコウキくん!?」

 勢いよく身体を起こし、顔を赤くしながらコウキの言葉に過剰に反応する。そんな古海を見て、今度こそコウキは声をあげて笑った。

「ぶっ、あはははは! お前、そんな狼狽えるか普通? 分かりやすすぎだろ!」

「そんな、そこまで笑う事ないでしょ……」

 赤くなった首に籠った熱を冷ますように摩りながら古海が蚊の鳴くような声で呟いた。それすら面白いのか、コウキの笑いは収まりそうにない。寝転がったまま肩を震わすコウキに、古海はため息を吐くしかなかった。

「好きっていうか……オレが好きになっても、杏奈さんは応えてくれないし……オレそんなに分かりやすいかな……」

「少なくともシスター本人は気が付いてないだろうな。いやぁ、まさかこんなところでラブコメが見られるとは思わなかった。感謝するぜ、カズ」

「茶化さないでよ……全く」

 言いながら、古海は椅子から立ち上がって部屋を出ていこうとする。コウキはそれを目だけで追いながら声を掛けた。

「おーい、どこ行くんだ」

「部屋戻る。これ以上ここにいたらコウキくんがずっとからかってきそうだし」

「俺の事だいぶ分かるようになってきたな」

「性格悪いってことはね! おやすみ!」

 些か乱暴に扉を閉め、古海は隣室に戻っていった。寝静まった居住スペースに、喧しい扉の音だけが響く。コウキはニヤつく顔を押さえようともせず、くつくつと喉の奥で笑いながら寝がえりを打つ。

「……あー、おもしれ」

 ぽつりと呟かれたその言葉は、誰に聞かれることもなくただ室内の埃っぽい空気に溶けて消えた。エアコンのモーターの駆動音だけが聞こえる室内に、やがてコウキの寝息が混じるのだった。

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