26. 「やっぱお前上手いんだな」
「よっと……結構難しいな」
「コウキさん思ったより上手いね!」
「そりゃどうも……っと」
「はいはい! パス!」
「カズさんもサッカーやってたって感じの動きだ。なんだか楽しいな、こういうの」
ケラケラと笑う田代が蹴るボールは、しっかりと彼が狙った方向に飛んでいく。古海は田代が蹴ったボールを受け取りながら言う。
「健斗くんはいつからサッカーやってるの?」
「うーん。はっきりと覚えてるわけじゃないんだけど、一番最初にサッカーボールを蹴ったのは幼稚園の時らしいよ」
「そんな昔から? じゃあ、もう大体十年は経つって事かな」
「そうだね、それくらいはサッカーしてるかな」
「じゃああれできる? ほら、あの地面にボールを落とさないように蹴るやつ」
「カズ、もしかしてお前それリフティングのことか?」
「そうそれ」
足元でボールを転がしながら古海が続ける。
「オレはリフティングだけは全然できなかったからさぁ。憧れちゃうんだよね」
「練習すればできるって、あんなの」
「そうかなぁ。じゃあオレってセンスないのかも」
古海がつま先で軽く蹴ったボールは田代の足元に転がった。難なく捕まえられたそれが、今度は田代の靴の下で動きを止める。コウキはじっと田代の表情を見つめた。
足で弄ばれているボールを眺めているその姿は、ともすれば俯いて何かを考えこんでいるようにも見える。しばらく何も言わずにボールを転がして遊んでいる田代に、コウキが口を開いた。
「田代。お前、昨日何時に寝た?」
「え?」
「何となく、眠そうな顔してる」
指摘された田代は、一瞬顔を強張らせたがすぐに笑顔を張り付けた。だがそれは、今までの人を小ばかにしたものではなく無理やり作り出したものだった。
「そうかな……ちゃんと寝たつもりだったんだけど。十一時には寝たし、朝起きたのも九時だったよ。これって快眠じゃない?」
「……じゃあ俺の気のせいかな」
肩を竦めコウキは悪かった、と言うように手を振った。古海はそれを不思議そうな眼差しで見ている。
「リフティングねぇ……俺はそもそもサッカーは見る専だったからさっぱりだな。コツとかあんのか」
「考えたこともないね。練習してたらいつの間にかって感じ」
田代は転がしたボールに弾みをつけて足の甲に乗せた。そのまま軽く蹴り上げ、リズムよく続ける。楽し気に田代の足回りを踊るボールに、古海とコウキは目を見張った。
「おー」
「わぁ、すごいすごい!」
「連続で三桁超えるくらいは余裕だよ」
「やっぱお前上手いんだな」
手放しで褒められ照れたのか、はにかみながらも田代はリフティングを止めない。何度も何度も蹴り上げられているボールは、落ちる気配を見せなかった。
その時。コウキの頬に冷たい何かが当たった。
「あ?」
驚いて空を見上げれば、さっきまでは晴れていた空がすっかり薄暗くなっている。水に薄墨を垂らしたような雲が風に乗って流れるのを見ながら、コウキは眉間に皴を寄せた。それは古海も田代も同じだったようだ。
「雨だねえ。天気予報は一日中晴れって言ってたのに」
「ゲリラ豪雨かな。傘持ってきてないんだけど……」
「傘なら教会のを使うといいよ。何本かビニール傘があったはずだから」
そんなことを言っている間にも、雨脚は強くなる一方だ。どんどん大粒になる雨を吸い、着ている服は重たくなっていく。土がむき出しになっている地面から、むせ返るほど濃い匂いが立ち上ってきた。微かだが、遠くから雷鳴も聞こえてくる。
「呑気に話してる場合じゃねえなこれ。とりあえずそのボール持って教会入るぞ」
目に入りそうになる雨を手で遮りながらコウキが声を張り上げた。強くなった風で木々がざわめき、気を抜けば人の声などかき消されてしまう。
「健斗くん、こっち来て!」
「おーいシスター! タオル持ってきてくれ!」
一足先に教会の扉を開けたコウキは、入り口から中にいるはずの名嶋に声を掛けた。古海もそれに倣って教会に駆け寄るが、田代はその場から動こうとしない。ただボールを抱え、荒れる空を見上げるだけだ。頬を伝う雨を拭おうともせず、少年は流れる雲を見ていた。
「健斗くん」
古海がそう呟けば、田代はようやく空模様から目を離した。吹き付ける風に乗った水滴が田代の金髪を濡らしている。短い毛先から滴るそれなど気にも留めずに、彼は古海の目を見つめた。
田代は、笑っている。お気に入りのおもちゃを与えられた子供のような無邪気な笑顔は、まるで泣いているように濡れた頬と合わさって、見る者にちぐはぐな印象を与えた。
「……おい田代! シスターがタオル持ってきてくれたから早く入れ! 風邪ひくぞ!」
コウキの一声に、田代はゆっくりとした足取りで歩き出した。群青だったTシャツは濡れて黒く染まっている。音を立てながら水たまりを踏み、真横をすれ違う田代に古海は何も言えなかった。ただ、小さく唇を食いしばって俯くだけだった。
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