24. 「怯えてる?」

 夕飯の時間だ、という知らせを受けてコウキが談話室に降りた時には、もう九重教会の同居人は全員席についていた。普段はコンビニの夜勤で空いている似内の席も、今日は急遽休みになったということで埋まっていた。

「遅いよコウキくん。ほら、今日はそうめん」

「悪い、ちょっと考え事してた」

 よっこらしょ、と声をあげて座ると、各々が手を合わせて箸を手に取る。コウキもそれに倣って、小さく「いただきます」と呟いた。摘まみ上げたそうめんをめんつゆにも付けずに黙々と食べ続けるコウキに、声を掛けたのは名嶋だった。

「……翠川くん? それ、そのつゆにつけて食べるのよ」

「……ん? あ、おう。そうか」

 心ここにあらずといった様子のコウキを見て、似内は不安そうな顔をしながらそうめんを啜る。古海がコウキの前で手を振るが、コウキはまるで気にしていない。

「大丈夫? コウキくん死んでる?」

「生きてる」

「会話はできるんだね」

 笑いながら、古海は自分のつゆの器に薬味を放り込んだ。コウキはようやく顔をしかめ、置かれていた缶ビールを手に取った。

「今日来たあの田代って奴の事考えてた」

「健斗くんか……」

 缶ビールのプルタブを起こせば、炭酸の弾ける小気味良い音が響く。中身を口に流し込みながら、コウキはゆっくり目を閉じた。

「……気になった点がいくつかある」

 古海が作り置きしているきゅうりの浅漬けを頬張りながら、コウキは行儀悪く箸を咥えた。それを名嶋がたしなめるより先に、古海が口を開く。

「確かに、少し変だった。なんか態度というか、雰囲気かな」

「さすが本資格持ち。分かってるじゃねえか」

「何となく、だけどね。違和感の正体がなんなのかはさっぱり」

「あの……和輝さんと翠川神父は何のお話を……?」

 問いかけたのは似内だった。仕事上がりの空腹には勝てないのか、次から次へとそうめんを掻きこんでいる。その合間に投げられた問いに、コウキが缶ビール片手に答えた。

「ここに今日サッカー少年が来たんだよ。田代……なんだっけ?」

「田代健斗くんだよ。千葉から来たんだって」

「そうそう、それ。そいつの言動が妙に引っかかってな」

「どんな点が引っかかったのかしら。聞いてもいい?」

 名嶋が手にした麦茶のグラスが、氷のぶつかる小さな音を鳴らす。コウキはもう一度ビールを呷ってから古海に視線を向けた。その意味を正しく理解した古海が、代わりにしゃべり出す。

「これはあくまでオレが感じたことなんだけどね、まず喋ってる間に視線がやたらあっちこっちに行くんだよ。まるで人と目を合わせるのを意識して避けてるみたいだった」

「確かに……言われてみれば、私と話している時もそうだったかもしれない」

「うん。何度かチャレンジしてみたけど、ちゃんと目を見て話すのはせいぜい二秒が限界ってところかな。あと、時期にそぐわない長袖」

 古海は自分の腕をとんとん、と叩く。コウキは、あの田代の服装を脳裏に思い浮かべた。最高気温が三十六度を超えていたあの熱気の中、腕まくりもせずにきっちりと留められたボタンが印象深い。汗もかいていたし、決して暑さを感じていないわけではないだろう。

「本人は日焼け防止みたいに言ってたけど、オレにはとてもそうは見えなかったよ。防ぐって言うより……何かを隠してる、のかな?」

「あ……もしかして」

 ふと声を漏らしたのは似内だ。そこにいた全員の視線が、グレーアッシュの頭に突き刺さる。突然降りた沈黙でようやく見られていることに気が付いたのか、似内は慌てて顔をあげた。

「っはあ! ご、ごめんなさい! 余計なこと言いました! お話続けてください! 邪魔しないようそうめん食べてますから!」

「いや、いいよ誉くん、何か心当たりあるの?」

「あ、えっと、心当たりとかそんな凄いものじゃないんですけど、昔そんな知り合いがいたなってだけで……」

「聞かせろ」

 薬味として用意されたみょうがの千切りをつまみにしながらビールを飲むコウキが言った。似内は少し考えこんでから、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「あの……僕が中学校の時の話なんですけど……夏になっても長袖の制服をやめない女の子がいて……」

「どっかで聞いたような話だな」

「はい……その子をちょっと思い出したっていうか。僕が直接聞いたわけじゃないんですけど、なんか所謂メンヘラ? ってやつだったらしくて……リストカットの常習犯だったらしいんです」

 談話室が静まり返った。似内はそれに構わず、話を続ける。

「本物を見たことはないんですけど、手首に一本、とかのレベルじゃなかったらしくて、ここから……ここら辺までびっしりだったって聞きました」

 自らの手首から肘の裏の窪みまで、ゆっくりと白い指を滑らせながら似内が説明する。コウキは目を細め、古海は何も言わず顔をしかめた。

「だ、だから、もしかしたらその教会に来たって子もそういうのを隠してるんじゃないかなって……一瞬思ったんですけど、思っただけなので」

「案外間違いじゃないかもな、その考え。リストカットの傷じゃないにしろ、十中八九あの袖の下には何かある」

「それだけじゃなくて、サッカー部だって言ってたのにおばあちゃんの家に来てるのもちょっと気になったかな。スポーツに力を入れてる学校のレギュラーを勝ち取るくらい実力があるのに、母親に連れられて北添に来るのは違和感がある」

「夏休みなんて朝から晩まで練習し放題だからな。うかうかしてたらレギュラー落ちとかありそうなのに、のんびりここに遊びに来るなんて随分余裕なこった」

 席を立ち、厨房の冷蔵庫から新しい缶ビールを取り出して飲み始めたコウキは小さく息を吐くと、名嶋に話を振った。

「シスター、あんたはどう思う? あの田代って奴」

「そうね……今まで相談に来た方に少し似てたわ。笑ってるけど、どこか怯えてるみたいな顔が」

「怯えてる? あんたにはそう見えたのか」

「えぇ。不登校で教会に居場所を求めて来たような学生さんに似てる……ような気がする」

 顎に指を添えて考え込む名嶋の空のグラスに、似内が麦茶を注ぎながら言った。

「やっぱり、その田代さんって方も何か考えるところがあるんですかね」

「ただの部活に一生懸命なガキって感じじゃないだろうな。ま、似内とカズは心の準備でもしておけよ」

「翠川神父、それってどういう……」

 不安げな表情の似内に、コウキは少しだけアルコールで上気した顔でにやりと笑った。

「これは俺の勘だが……あの田代健斗って奴、腕よりもっとでかいものを隠してるぞ」

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