23. 「あれは国民的スポーツだ」
つつがなく洗い物も終えてコウキが聖堂に入れば、そこにはまだ会話を続けている古海と田代の姿があった。困り顔でコウキを見ていた先ほどとは違い、和気藹々とした空気が形作られている。
「オレも昔サッカーしてたけど、インサイドキックが苦手で全然上達しなかったんだよね」
「あれは俺も結構練習したよ。上手く中心を捉えて蹴るのがコツだってコーチに聞いてからはだいぶコントロールが良くなったと思う」
「中心かぁ。オレは軸足のつま先がポイントだ! しか言われたことないからそれは初めて知ったよ」
「あー、つま先の方向もあるみたいだけど、やっぱ一番効率よくコントロールが良くなるのは芯を捉えて蹴るってことなのかな」
どうやら、サッカー談議で盛り上がっているらしい。入り口から入ってきたコウキに気が付かないほど、二人は会話に熱中していた。
「随分仲良くなってるわよね、あの二人」
「おー……他人に壁作りそうな顔してるのにな、カズは」
「そう? 古海くんはいつもあんな感じよ。相談に来た方ともすぐ仲良くなっちゃうの。ちょっと羨ましいわ」
いつの間にか隣に来ていた名嶋が、楽しそうに会話している二人を眺めながら呟いた。コウキも同じように田代と古海を見やる。まるで十年の知己の如く打ち解ける二人に、コウキは片眉を上げた。
「ふーん……ま、あいつ初対面の俺にもグイグイ話しかけてきてたし、そういうの得意なのかな」
「Tシャツのセンス以外はすごくいい子なのよね、古海くん」
「はは、確かに」
コウキはポケットから取り出したライターを手の中で転がしながら笑った。その声に気が付いたのか、古海と田代が振り向く。
「あ、二人ともお疲れさま」
「おう。俺も話に混ざっていいか?」
「いいけど、おにーさんサッカーの話できるの?」
「バッカお前、こちとらサッカーフリーク共の国から来てんだぞ。プレイした事はないけどトトカルチョは好きだからな」
「げー、神父なのに賭け事?」
「いいんだよ。あれは国民的スポーツだ」
けらけらと笑いながらコウキが二人に近付く。そのまま流れるように二人の近くにあったベンチに腰かけた。軽く指を組み、リラックスした様子でコウキは話し始める。
「ところでお前、田代だっけ? 結局コンビニにはたどり着いたのか?」
「あぁ、うん。おにーさんに言われた通りスマホのナビで一発だったよ」
「二人は知り合いなの?」
「道聞かれただけだ」
「道聞いただけだよ」
「わぁ、仲良し」
見事に言葉が被ったコウキと田代に、古海が手を叩いて笑った。それを受けてコウキは苦い顔をするが、田代はへらへらと口元を緩ませているだけだ。
「それで? 田代はサッカー好きなのか」
「うん、今はサッカー部。これでも中学の時はクラブチームで活躍してたんだから」
「話聞いてるだけでも健斗くんはかっこいいって思うよ! オレ今のうちにサイン貰っておこうかな」
「あはは、古海さんって面白いね」
和やかに続く会話の中で、コウキは笑みを浮かべながら田代をじっと見つめていた。正確には、かっちりと留められた彼のカッターシャツの袖を注視している。その視線に気が付いたのか、田代はコウキに小さく首を傾げて尋ねる。
「おにーさん、どうしたの?」
声色こそ明るいが、彼の目には薄い動揺と警戒が浮かんでいた。コウキはその瞳を見つめ返したが、ふい、と視線を逸らした。
「……いや、こんなくそ暑いのに長袖なんて大変だな、と思っただけだ」
「そういえばそうだよね。ズボンみたいに捲ればいいのに」
「日焼けすると痛くなっちゃうから伸ばしたままにしてるんだよ」
「へぇ、サッカー少年なのにそれは大変だな」
ぽつりと呟けば田代の笑みが引き攣った。その表情の変化を感じ取ったのか、古海が突然大声をあげる。声量の大きさに、思わず田代もコウキも目を見開いた。
「あー! それミサンガ? サッカー選手が良く着けてる奴!」
「え? あ、うん。貰い物」
「誰からもらったの?」
「部活のマネージャー。大会前になると部員みんなに編んでくれるんだよね」
「青春漫画にありがちだな」
「うちの高校はスポーツに力入れてるから、どこの部活もみんなお守りとかミサンガとかレギュラーにマネージャーが作るんだ。俺はイメージカラーが黒なんだって」
「黒? 意外だな、オレンジとか黄色とかもっと明るい色かと思った」
「神父のおにーさん、もしかしてそれ俺の髪色から連想してない?」
笑いながら、まるで壊れモノを扱うようにそっと足首に括られた紐を撫ぜる。子供が宝物を抱きしめるような愛おしさを孕んだ目で、田代はミサンガの編み目をなぞった。その様子を見ていたコウキは、即座に古海に目配せする。古海も何か感じ取ったのか、小さく頷き返した。
「ちょっと三人とも、そろそろ夕方のお祈りしたいんだけどいいかしら」
こんこん、と軽い音を立てて名嶋が聖堂の壁をノックする音に、三人が顔を向けた。聖務日課を遂行したいのか、名嶋の顔は「早く帰ってくれないかしら」と文字が見えるほど苛立っている。男衆三人は各々の時計を確認し、木製のベンチから腰を上げた。
「思ったより話し込んだな」
「そうだね。ねえ健斗くん、明日も暇だったら教会に来ない? オレサッカー教えてほしいな」
「俺は暇だからいいけど、おにーさんたちは仕事とかないの?」
「カズは知らないけど俺は問題なし」
両手でピースサインを作り、軽く指を折り曲げて見せる。欧州では皮肉を込めてする強調のジェスチャーだ。
「じゃあ決まりだね。教会の裏ならちょっとボール蹴るくらいできる広さがあるから、明日のお昼に教会に来てね。あ、お昼ご飯も食べる? 用意しておこうか?」
「んー、さすがにそこまではいいかな。ばあちゃんも昼飯くらい作ってくれるだろうし」
「そっか。じゃあ杏奈さんの邪魔にならないうちに出よう。オレそこの坂の下まで送っていくね」
「おう、頼んだぞ」
田代の背中を押しながら、古海が出口へ向かう。一瞬だけ田代が手を振るコウキを振り返ったが、何も言わずにそのまま彼は九重教会を後にした。
残されたコウキは、静かになった聖堂でぽつりと呟いた。
「……あーあ、面倒くせ」
「何がよ。俺は問題なし、とか言ってたじゃない」
「そういう事じゃねーよ。ちょっと煙草吸ってくる」
大きく伸びをして、コウキは頭を掻きむしりながら教会裏へ続く扉に近付いた。ノブに手を掛けて、夕暮れの湿った空気に足を踏み入れる。疑問符を浮かべていた名嶋は、コウキに返事をする気がないことが分かったのかそのまま礼拝の準備を始めたのだった。
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