22. 「結局何が言いたかったんだよ」

 謝意の含まれない適当な謝罪文を同封した報告書を無事に窓口に預け、コウキは冷房の効いた郵便局を後にした。外気はほとんど変わらない温度を保っているが、面倒な用件が終わったのもありコウキの足取りは軽い。

「あ、コウキくんだ。こんなところで何してるの?」

 今度こそ聞き覚えのある声に、コウキは振り返った。九重教会の居住スペースで隣に住んでいる青年、古海和輝だ。古海はスーパーのビニール袋を抱えながら、駆け足でコウキに近付いてくる。コウキは軽くサングラスをずり下ろして古海を見た。額にはコウキと同じように汗が浮かんでいるが、その表情は明るい。ちなみに、古海が今着ているTシャツは黒い生地に明朝体で「限界マーガリン監督」と書かれているものだ。コウキはもう反応するのをやめた。

「俺は報告書の提出だけど……お前こそ何してんだ、カズ? 買い物?」

「うん。夕飯の買い出し。なんか急にそうめん食べたくなっちゃって、スーパー行ったら色々買いすぎちゃった。こんな買うつもりじゃなかったんだけどね、行ってみたら豚ひき肉とネギが安売りしてたからついでに餃子も作り置きしておこうと思ってさ。杏奈さんは料理上手なのに全然作らないし放っておくとお祈りのし過ぎですぐ倒れるから一応オレがキッチン担当みたいになってるんだ。料理作るの趣味だし楽しいし好きだから問題ないんだけどね。ところでコウキくんって何が好きなの? もしよかったらオレ何か作ろうか? 最近フレンチも面白いなって思ってちょっと練習してるんだよね。コウキくんは料理作れる? イタリアンとか得意? レシピとか知ってたら作ってみたいから教えてくれない? あ、でもオレお菓子作るのはあんまり上手くないからそこらへんはもっと練習しないとできないっていうか、何でか生クリームが上手に立てられな」

「相変わらずうるせぇな。話題をもっと小出しにしろ、話題を。前も言っただろ」

 耳を塞ぐようなジェスチャーを交えて、コウキが顔をしかめた。この数週間ですっかりお約束となったやり取りに、古海も頬を緩める。

「結局何が言いたかったんだよ」

「今晩はそうめんだよって事」

「余計な情報が多すぎるわ。一言で収まるじゃねーか。このまま教会に戻るのか?」

「うん。夕飯の前に餃子作っておきたいから」

 引き延ばされてぴんと張ったビニール袋の取っ手を持ち直しながら、古海は教会の方角に足を出した。コウキもそれについていく。地面が揺らいで見えるほどに熱されたコンクリートを睨みつけながら、二人は九重教会を目指して歩いた。

「しかし暑いな。今日は……」

「ここ最近では一番気温が高かった気がするよ。ニュースでも猛暑だから水分補給をこまめにって言ってた」

「確かに、こんな暑けりゃ飲んだ先から汗になって出てきそうだな」

「……あ、もしかして最近麦茶飲んだ後作らずにほったらかしにするのコウキくん?」

「ん? あぁ、俺かもしれない」

「やっぱり! あれは飲み終わった人が次のお茶を作るのがルールなんだよ。パック入れてからお茶できるまで時間かかるから、ちゃんとやっておいてよね」

「あー……なんかそんなことシスターも言ってた気がする」

 汗で滑る眼鏡を直しながら苦言を呈す古海に、コウキは適当な返事を返した。一通りの家事はできるものの、物臭な性格はどうにも治りそうにない。

「全く……これからも続くようだったら、コウキくんだけ麦茶禁止にするからね」

「げ、それは勘弁してほしいかな……分かったよ。忘れてなければやる……あ? なんかいるぞ、教会の前」

「え? あ、本当だ……杏奈さんと、お客さんかな」

 コウキが指差した先には、目的地である九重教会が佇んでいる。その入り口で、箒を持った修道服の女性とスラックスの少年が立ち話をしていた。恐らく、シスターである名嶋は日課である教会の掃除をしていたのだろう。傍らには、落ちた葉の山が小さく積んである。そして、そんな彼女に話しかけている少年にコウキは見覚えがあった。

「お客さんだといいなぁ。そろそろ寄付金のいくらかが入ってもらわないと、雨漏りしてるトイレの修理できないんだよね」

「教会を訪ねる迷える子羊は便所の修繕費ってか? 聖職者の名が泣くな」

「そんなこと言ったって、やっぱり先立つものがないとどうにもならないよ。お祈りでお腹が膨れるのはそれこそ杏奈さんくらいだって……まぁ、あの人はお腹が膨れるって言うよりかは空腹を忘れるって方があってるかな」

 のんびりと会話しながら二人が教会に足を踏み入れると、それを見た名嶋の表情が明るく変化した。助かった、と言わんばかりのその顔に面倒の匂いを嗅ぎつけたコウキはすかさず古海の後ろに下がった。

「あ! おかえりなさい古海くん、翠川くん」

「ただいま帰りました、杏奈さん。その方は?」

「あ、その……」

「なーに? この人おねーさんの彼氏? だからデートしようって言っても断ってたの?」

 人を見下したような笑み。眩しい白さのカッターシャツ。ロールアップしたスラックス、黒のミサンガと、明るい金髪。どれもコウキがさっき見たばかりの人物と特徴が一致している。

「……あれ? もしかしてさっきのおにーさん?」

「よう……お前、こんなところで何してんだ」

 あっさり見つかったコウキは、気まずそうに古海の背から前に出る。コウキの方が身長が高いので見つかるのは当然だ。

「おねーさんが暇そうに掃除してたからデートに誘ってたんだ。せっかく天気もいいのにこんな辛気臭い教会で仕事なんて可哀そうじゃん」

「仕事を蔑ろにすることはできないとお断りしています」

「そんなこと言っちゃって、おねーさんって意外と照れ屋さん?」

「こんな調子で話が通じないのよ。ちょっと翠川くん、あなた何か国語も話せるんでしょ、何とかして」

「そんな無茶な」

 勘弁してくれ、とコウキは首をすくめた。進んで厄介ごとに巻き込まれるほど、彼は善人ではない。

「大体お前、その恰好からして学生だろ? 真昼間からこんなところで油売ってないでどっか友達とでも遊びに行けよ」

「ここ、俺の地元じゃないんだ。母さんに連れてこられてばあちゃんちに来ただけだから知り合いなんていないの。ねえ、教会って困ってる人を助けてくれるんでしょ? 俺暇すぎて困ってるんだよね。ねね、どう? 遊んでよ」

 少年は名嶋が握り締めている箒を掴み、にっこりと笑いながら顔を近付ける。対する名嶋は心底嫌そうな顔をして後ずさりした。そこに割って入ったのは古海だ。

「ほらほら、君。杏奈さん困ってるからちょっと離れて……こんなところで立ちっぱなしは暑いでしょ? 時間あるなら教会においでよ。聖堂なら涼しいし、お茶くらいなら出すよ」

 古海も笑ってはいるが、少年の肩に置かれている手に入った力はとても親切とは言えない。そのまま引き剥がすように少年を押しのけた古海は、肩を掴んだまま教会の中へと向かう。

「話し相手ならオレがなるからさ。おばあちゃんの家って言ったよね? じゃあどこら辺から来たの? 方言とかないし関東? もしかして神奈川? オレ横浜出身なんだよね。実家って北添から遠い? ここら辺あんまり電車通ってないから大変だったでしょ。もう少し電車の本数多くしてくれてもいいってオレ常々思ってるんだよ。おばあちゃんちは教会から近かったりする? ほら、オレたち教会の人間って意外と地域コミュニティとの関わりが重要だったりするからもしかしたら知り合いかもしれないしさ。心当たりありそうなおばあさん何人か知ってるんだけどお孫さんが来るなんて話聞いてないからちょっと気になるなぁ」

「ちょ……」

「あ、そうだ。コウキくん、この食材たち冷蔵庫に入れておいてね。豚ひき肉は今日料理しちゃうから冷凍庫に入れなくても大丈夫だよ。洗い物あったら片付けてくれると嬉しいかな。袋に入ってるおせんべいはコウキくんのだから好きに食べていいからね。杏奈さんはそこのゴミ片付けてから時間あったら一緒におしゃべりしようよ」

「お、おう……」

「分かったわ……」

「ありがと。じゃあ行こうか。えっと、名前は?」

「た、田代健斗たしろけんと……」

「健斗くんかぁ。よろしくね」

 得意のマシンガントークを炸裂させながら、古海は田代の肩を掴んで九重教会の扉をくぐる。目を白黒させながら助けを求めるように振り返る少年を、コウキは楽しそうに笑いながら見送った。手渡された重量感のあるビニール袋を持ち直しながら呟く。

「分かりやすいなホント……」

「何が?」

「いや、カズの話。ついでに言うとあんたが鈍いってのも良く分かったわ」

「何の話よ!」

「べーつに。じゃあ俺これ厨房に持っていくんで」

 にやつく顔を隠そうともせず、コウキは喉の奥で小さく笑いながらその歩みを教会裏にある居住スペースに進めた。背後で名嶋が何やらコウキに言っているが、コウキは全て聞かなかったことにした。

「取られそうだから必死になるとか……ガキか、あいつは」

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