20. 「いいじゃねーか、異端上等!」
コウキの言葉に、似内は静かに考えこんだ。わずかに俯きながら唇を引き結び、脳内を駆け巡る思考を整理し続けている。その様子を見るだけで、コウキは口を出そうとしなかった。この数日で、下手に話しかけると似内がパニックに陥ってしまう事をよく理解していたからだ。暫しの沈黙を挟み、ようやく似内の口が開いた。
「……そういう人が、いてもいいと思います、僕」
似内の迷いない声に、へぇ、と感心の息が漏れた。前髪に遮られているためにその眼差しを確かめることはできないが、直線的に放たれた言葉から強い意志を感じられる。
「僕は、こ、九重教会に泊まらせてもらっているから、役に立てるようクラージマンの勉強をしています……この教会におん、恩返しがしたいって、そのために」
「そんな事情があんのか」
「……はい……だから、シスターみたいに、僕はし、信仰深いわけでもないし、ホントに神様がいる……ってのは分からないけど、でも、さっき翠川神父が言ってたみたいに、「自分の考えを持つ」って事だったら、何を思いながら仕事しても……別にいいんじゃないかなって……あ」
似内はここでようやく、自分をじっと見つめるコウキの視線に気が付いた。その表情から何を考えているのかを読み取ることができず、似内は情けない悲鳴を漏らした。
「ひ、あ、あの、生意気なこと言ってすいません! ごめんなさい! ほんと、僕こうやってすぐ人の事不快にさせて……! すいません!」
「そんな謝ることか? お前、そんなヘコヘコしてるくせにちゃんと自分の意見言えるじゃねーか。俺ちょっとびっくりしたわ。もちろんいい意味で」
「そうですか……? 実は内心はらわたが煮えくり返るほど怒ってるとかないですか……? 後で教会裏でちょっと締めてやろうとかそういう……」
「ねーよ。どこの青春ドラマだそれは」
慌てる似内に軽く噴き出しながら、コウキは無表情だった顔に明るい色が宿る。楽し気に笑う彼の顔は聖職者としての使命を背負っているようには見えない、どこにでもいる青年の物だ。
「そうか……日本にはこんなクラージマンがいるんだな」
「は、はい……?」
「今まで働いてたローマとか、出張で行ってた欧州はバリバリの信者ばっかりだったからな。如何にも「神様のために働いてます! これは神の思し召し!」みたいな奴らに囲まれて、異端分子として扱われて……だから、俺みたいに「自分のために考えてクラージマンになりたい」って思ってる奴がいるって事すっかり忘れてたわ」
「はぁ……じゃ、じゃあ、僕が国外に出たらやっぱり異端なんですかね……」
「いいじゃねーか、異端上等! そもそも日本人がクラージマンになるってのが珍しいんだ。そのまま本資格もばしっと取って俺が二度とこのくそ暑い国に出張に来なくて済むようにしてくれよ」
ケラケラと笑いながら、コウキはマットレスから腰を上げた。その様子を見て、似内は突然慌てる。弾かれたように立ち上がり、コウキを引き留めるようその服の裾を掴んだ。
「ど、どちらへ!」
「あ? 煙草だよ」
コウキは、そのほとんどが余白のままになっている報告書に乗せられていた煙草の箱を拾い上げた。ブルズアイのロゴマークは全世界共通で、シンプルながらに印象的だ。慣れた手つきで中から一本取り出し、その口に咥える。
「ああああああの、えっと、そのですね! まだ伺いたいことがあると言いますか! もう少しここでお話を聞きたいなぁなんて!」
「いや、別に煙草吸いながらでも」
「ここで! 聞かせていただきたいんです!」
似内から発せられた今までにないくらいの大音量に、コウキは顔をしかめる。手を小さく左右に振りながら気を引こうとする似内に少しだけ身体を向け、コウキは彼の顔を注視した。
「た、例えばその、ローマの教会がどんな感じなのかなぁとか、あ、えっと」
「似内」
「はい!」
勢いのある返事を受け、コウキはにやりと笑った。企みを隠そうともしないその笑みに、似内は自分の口角が引き攣るのを確かに感じた。
「本当にローマの話聞きたいか? 向こうでやってた儀式とか結構えぐいぞ?」
「聞きたい……です! 聞かせてもらいます!」
「嘘だな」
間髪入れずに返したコウキに、似内は息を詰まらせる。その間を逃すことなく、コウキは話し出した。
「根拠は三つ。お前の声量、返事の仕方、あとその手の動きだ。人間は嘘をつくとそれなりのサインを出す。無意識的な動きだったり、生理現象だったりな」
咥えていた煙草を指で挟み、びしりとそれを突き付ける。似内は肩を強張らせて、その煙草の先端を見つめた。前髪で隠れているが、その意識が煙草に向けられているのはコウキにも分かる。にやにやと口元を歪めながら、コウキはわざと早口でまくし立てた。
「まず、今までちっせえ声で喋ってたお前の突然の大声。目的から意識を逸らすためにはまぁ使いやすい手だな。普通に驚くし。そして、俺の質問に対する答え方。俺が質問した時、お前ずっとどもったりちょっと考えたりしてたろ? なのに「本当に聞きたいか?」って言った時だけ間を置かずに返事したからな。嘘をついた人間の典型的なサインだ」
「うっ……」
「手が細かく動いてたのも目についた。元々ビビってた時も動きが硬いとは思ってたけど、それとはちょっと傾向の違う緊張の仕方だ。本当の事言ってる人間はリラックスした状態でいる事がほとんどだからな、そうやって小刻みに動いてる場合は嘘ついてるか緊張してるか……お前はすぐどもったりビビったりするから緊張だけで嘘を判断するのは難しいけど、他のサインと合わせて考えれば見破るのは割と簡単だ。嘘つくならもう少し相手に悟られないようにした方がいいぜ」
「ひえっ……」
「その目が見えればもう少し簡単に嘘がバレるだろうな。場数踏んでるクラージマンをなめんなよ」
驚きと戸惑いを隠せないまま、似内は笑うコウキを見つめた。嘘を見抜かれた動揺と、見抜いた彼に対する尊敬が胸中でない交ぜになっている。
「翠川神父は、その……どうやってそういう技術を身に着けたんですか……? ただ勉強するだけじゃ、僕にはとても使えそうにないし……」
「意識しながら人間観察してりゃ自然にそうなるだろ。で?なんでわざわざ引き留めたんだよ。なんかあるんだろ?」
早く煙草を吸わせろ、という目でコウキは似内を見つめる。圧力をかけるも、似内はうめき声をあげながら回答を渋っていた。
「だから……あーっと……あの……」
「んだよ。ここから出ちゃいけない理由でもあんのか?」
「はわぁっ!」
分かりやすい反応だった。自分でも露骨だと思ったのか、似内は顔を青くしている。
「えっと……うぅっ……」
「あ、おい、ちょっと待てよ、別に俺泣かせたいわけじゃないからな! 一回落ち着けって! な!」
声を曇らせる似内に、今度はコウキが慌てる番だった。このコミュニケーション障害を患った青年を相手にすると、どうにも調子を崩される。コウキは焦りながら頭を掻き、何とか似内を宥めようと声を掛けた。
「分かった! 分かったから! 部屋から出なけりゃいいんだな?」
「お、お願いじます……」
自分が着ているシャツの裾をぎゅう、と握り締め、幼子のように唇を噛みしめながら似内が小さく震える声を絞り出した。コウキは大きくため息を吐き、仕方なくといった様子で咥えていた煙草を箱に戻す。どうしたものか、と頭を悩ませていると、そこに突然訪問者が現れた。ノック無しに扉を開いたのはコウキの隣人だ。
「あ、やっほーコウキくん」
「カズ」
名前を呼べば、古海は眼鏡の奥の瞳を輝かせながらそそくさと部屋に入ってきた。
「いやぁお待たせ! 誉くんもご苦労様」
「いえ……お役に立ててよかったです」
似内の声に、先程の涙の面影などどこにもない。ぎょっとしながらコウキが似内を振り返れば、彼は前髪を弄りながら照れたように笑っていた。
「えへへ……嘘を吐く時は相手から悟られないように……ですよね」
「このやろ……飲み込みが早くて嫌になるわ」
似内のものとは種類の違う乾いた笑いがコウキの口から洩れた。降参、と言いたげに両手を上にあげたコウキを見て古海が言う。
「誉くんにはオレが頼んだんだ。上手い事コウキくんにバレないよう足止めしてくれって」
「あ? じゃあ聞きたいことがあるってのは……」
「は、はい……本当に聞きたいのもあったんですけど、時間稼ぎっていうかなんて言うか……だ、騙すような真似してすいません……」
「なるほどな。まあ確かに、よく考えたら明らかにコミュ障なお前がいきなり「質問がある」なんて来ないか」
きまり悪そうに俯く似内に、苦笑いをしながらコウキが言う。似内に対して「簡単にウソがばれる」などと言ったにも関わらず彼の真意を見抜けなかったことが引っかかっているのだ。そんなコウキの考えなど気にもせず、古海が言った。
「じゃあ行こうか! 下で杏奈さんも待ってるよ!」
「あのシスターが何か関係あんのか?」
「もちろん! さあさあ、早く!」
「ちょ、おい」
古海に背中を押され、コウキは戸惑いながらも自室を後にする。似内も口元に笑みを湛えながら後ろをついてくる。
そうして居住スペースの談話室にたどり着いたコウキは、そこに広がる光景に瞠目した。
「これは……」
「儀式とかあってちょっと遅くなっちゃったけど、新しい入居者の歓迎会はやっぱりしないとね」
「ちょうどいいタイミングだったわね。似内くん、お疲れ様」
「いえ……お二人も準備ご苦労様です」
昼時にコウキが握り飯を食べていた木製の大きな食卓には、ローマでは滅多に食べられなかった日本の手料理が所狭しと並んでいた。
「こりゃすげえな……これ、全部作ったんすか?」
「主に古海くんが、だけどね。彼、料理上手なのよ」
「いやぁ、ただの趣味ですよ杏奈さん。ほら、みんな席座って! オレお腹減ったよ」
古海は笑顔を浮かべているものの、その表情にはわずかだが疲れが滲んでいる。ポケットから取り出したクリーナーで眼鏡のレンズを拭いながら、古海が手近な椅子を引いて座った。それに倣うように、三人も適当な椅子に腰を下ろす。コウキは目の前に置かれた唐揚げの匂いを嗅ぐように深々と息を吸い込んだ。
「本当にこれお前が作ったのか、カズ」
「もしかして疑ってる? 心配しなくても味は保証するから」
「いや……すげえ美味そうだから驚いた。唐揚げとか食うのいつぶりかな……」
「か、和輝さんの料理美味しいから……あ、酢の物ある」
似内は小鉢に盛られたわかめとタコの酢の物を見つけて、嬉しそうな声を漏らした。各々の表情を眺めながら、名嶋は逆さに置かれていたグラスをひっくり返してワインを注ぐ。似内の前には麦茶の入ったカップが置かれる。
「似内は飲まないのか」
「僕未成年なんで……」
「マジで? 何歳?」
「十八です」
「じゃあ飲めるだろ」
「はい?」
「こらこら、ここは日本だから。二十歳まで飲めないから」
古海にたしなめられ、コウキは渋々と言った様子で勧めようとしていたワインを置く。全員に飲み物がいきわたったのを見て、名嶋がグラスを手に取った。
「それじゃ、乾杯しましょ。音頭は……古海くん、お願い」
「オレでいいんですか? じゃあ……んんっ、それでは、九重教会への新たな聖職者を歓迎して、かんぱーい! ようこそコウキくん!」
「乾杯!」
ガラスがぶつかり合う澄んだ音が談話室に響く。日本語が溢れる食事の場など一体いつぶりだろうか、と頭の片隅で考えながらコウキは赤ワインを口に含んだ。聞こえる言語が違っても、鼻に抜けるブドウの芳香は変わらなかった。
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