19. 「お前クラージマンに向いてるよ」
名嶋の静止など聞くことなく、午睡を終えたコウキは自室でだらだらと報告書をしたためていた。社会のデジタル化が進んでいる昨今だが、教会は手書きの報告書を義務付けている。コウキはボールペンを手の中でくるりと回しながら退屈そうに欠伸をした。紙面に綴られているアルファベットはヘロヘロとやる気のなさを映し出しており、端には下手くそな落書きまで添えられている始末だ。まだ数行しか書けていない報告書を睨みつけ、コウキはとうとうボールペンを投げ出した。
そんな時、背後の扉から控えめなノック音が聞こえてきた。
「あ? どーぞ」
硬質な音に応答すれば、薄く扉が開けられた。そこにはバイトから帰ってきたばかりといった風貌の似内誉がわずかに顔を覗かせている。扉に近付いて大きく開けば、抱えている鞄は膨れていて、中身が詰まっていることが容易に想像できた。胸の前の手は忙しなく動き、何度も何度も繰り返し組み直されている。おろおろと視線を彷徨わせるような動作を見せているが、重い前髪に遮られた目をコウキが確認することはできなかった。
「俺に何の用? 似内」
「あぁ、いえ、あの、えっと、あわ、ひぇ」
「粟? 稗? 穀物か?」
「や、は、あひぃ……」
「落ち着けよお前」
「おおおおおおおちちきましゅ」
コウキのジト目に余計怯えたのか、似内は悲鳴にも似た情けない音を発しながら後退る。頭を抱えながらしゃがみこむ似内に、コウキはため息を押さえながら近付いた。小さく丸まっている似内を見下ろさないよう、同じようにしゃがんで目線の高さをできるだけ合わせようと試みる。
「あのなぁ、別にお前の事苛めたいわけじゃないんだよ。何か用か、って聞いてんだ」
「ふ、はひぃ……」
「とりあえず落ち着いて、言いたい事頭の中でまとめろ。まとまったらゆっくり話せ」
極端なほどに話下手の似内を怯えさせないように、コウキは言葉を簡潔に口にした。その思いが伝わったのか、わずかに落ち着きを取り戻した似内がそっと顔をあげる。引き結ばれた唇を震わせながら、似内は時間をかけて喋り出した。
「あの……そ、その、この、この前の、儀式のことで……聞きたいことが……」
「あぁ、そういう。いいよ、何が聞きたい?」
「えと……あ、そうだ、あの、ターゲットに対して、翠川神父が取ってた、た、態度……が、その……気になって……」
それだけ言うと、再び似内は口を閉ざしてしまう。たったそれだけを聞き出すのにずいぶん時間がかかるな、とコウキは後頭部を掻きむしった。
「態度って、俺そんなおかしいことしてたか?」
「あ、いや、そのぅ……ちょっと、怖い感じだったので……」
「……そうだな。ちょっと教えてやるよ。部屋入れ」
「はえ!」
「蝿?」
大袈裟に敬礼をする似内に苦笑いをこぼしながら、コウキは自室の扉を大きく開け彼を招き入れた。おっかなびっくりといった様子で似内が部屋に入ってくるのを見ながら、木製の椅子を差し出す。コウキがベッドに腰かけるのを見届けてから、似内はそろりと椅子に腰を下ろした。
「さて……何だったかな、あのお嬢さんに対する態度だったか?」
「あ、は、はい……」
「当然だけど、あれはわざとだ」
「わざと、ですか」
「悪魔祓いのセオリーとして、ターゲットの中の悪魔を引きずり出す方法に「挑発」ってのがある。相手の弱さを指摘したり、攻撃を誘ったりな。そうする事で取り憑いている悪魔が身体を支配するほどに強く表に出てくるって言うのが教会が出してるマニュアルの内容だ。心の底に潜んでいる悪魔をそのまま祓えるほど、クラージマンの力は強くない。悪魔が表に出ていない人間からそいつを祓えるのは、我らが崇め奉る神様だけだってのが教会の教えだからな」
まるで教鞭をとる教師のように、立てた人差し指をくるくると回しながらコウキが語りだす。似内はそれを微動だにせず聞いていた。
「今回の儀式の話だな。あのお嬢さんの場合、まず初対面でいきなり首を絞められたから刺激すればすぐこっちを攻撃してくるだろうな、と判断した。「悪魔が殺せと言ってくる」とか言ってたけど、あれはもともとあの子の中にある殺意だ。ちょっと突けば、」
「え……っと、すいません、ちょっと話が見えなく……て……」
「あー……悪い悪い。順を追って話すか」
よっこいしょ、と足を組み、コウキは言葉を選んで話し始めた。
「まず似内、お前仮免だろ? ってことは基礎はそれなりに勉強してるんだよな」
「は、はい」
「じゃあ儀式のステップは分かってるか。一、聖油で炙り出す。二、悪魔と対話して正体を聞き出す。三、悪魔に出ていく事を宣言させる。対象がゲロ吐いたら儀式は終わりだ。嘔吐は悪魔が体内から出ていくことを示唆している」
親指、人差し指、中指と順に立てながら儀式の手順をさらっていく。似内は無言で首肯するだけだ。
「でもまあ、当然のことながら何事もなくこのステップ通りに話が進むことはまずない」
「そ、そうなんですか……?」
「不測の事態ってのはいつだって起きるもんだ。現に昨日だって刺されかけたろ、俺」
「確かに……」
「いつもは防刃チョッキをカソックの下に仕込んだりしてたんだけどな……ほら、荷物なかったから。だから代わりに聖書を無理やり服の下にねじ込んだわけだ」
ちらりと横目で空のキャリーケースを見ながら、コウキはため息を吐いた。彼が「仕事用の道具」と称しているモノの中には、悪魔祓いに必要な十字架や聖書だけではなく防刃チョッキやスタンガンなども含まれている。全てはクラージマンが儀式の最中に自身の身を守るために使われる。あの箱が予定通り空港でコウキの手に渡っていれば、そもそも刺されるような事態にはならなかった。どうしようもない「たられば」だが、そう思わずにはいられない。
「つまり、どんなに準備しても大体うまくいく事はない。で、だ。似内、お前クラージマンにとって必要な要素って何だと思う?」
「きょっ」
突然質問された似内は奇妙な声をあげて肩を竦ませた。何を言っても、何をしても怯える似内に、コウキはふと浮かんだ疑問を口にした。
「お前さ、一々話しかけられる度にそんなビビってたらバイトとかどうしてるんだ? 俺がコンビニに買い物行った時は全然普通だったろ」
彼の脳裏に浮かんだのは、俯きながらも問題なく接客をこなしていた似内の姿だ。レジ打ちも商品の袋詰めも問題なく行えていたのに、どうして彼が私生活ではここまで過剰に控えめなのだろうか。コウキにはそれが不思議でならなかった。似内はその問いに少し迷ってから、小さな声で囁いた。
「……だ、だって、相手が客だから……」
「他人だと楽だってことか?」
「あ、いえ、そうじゃなくて……」
何がおかしいのか、照れたように頬を掻きながら似内が笑みを浮かべる。えへえへと声をあげながら彼が続けた。
「客って、レジを通さないと品物持って外に出れないですよね……だか、だから、僕より下っていうか……僕がレジ打ちしてあげないと品物も持って帰れない程度っていうか……えへへ」
髪の隙間から覗いている耳を赤くしながら、似内は言葉尻を濁した。困っているのか、はたまた照れているのか、コウキには判断しかねた。
「そ、そうか……」
「僕がいなくちゃみ、店も利用できない立場の相手に……何か、遠慮することないかなって……や、やっぱり変ですか」
表情の動かないコウキに不安を覚えたのか、似内は途端に狼狽え始める。怒られると思ったのか身体を縮こます似内に、コウキは苦い気まずさを含んだ笑いを返す。
「いや、変なことなんて何もない。そういう考え方、お前クラージマンに向いてるよ」
「そうなんですか?」
「自分の考えや思いをしっかりと持ちながら他者と接するのは、悪魔祓いの儀式において大きな意味を持つ。俺が働いてるローマの教会では「クラージマンは常に悪魔より優位だと忘れることなかれ」ってのが第一の教えだ。聖書に基づいた知識やらスムーズに儀式を進行するノウハウよりも大事なのは、とにかく心だ。強固な意志、揺らがない心。人の心理と向かい合うこの職業は何よりそこが重要だと俺は思ってる」
「心理……? 悪魔じゃないんですか?」
不思議そうに首を傾げる似内。
「心理だよ。俺たちクラージマンが相手にしてるのは悪魔だとかそんな不確かな存在じゃない。悪魔憑きなんて呼んでるけど、あれはただの病んだ精神の持ち主だ」
「精神疾患……ってことでしょうか」
「そうそう、そんな感じ。よく向こうで来てた依頼は「悪夢に悩まされて眠れない」とか「幻聴が聞こえる」みたいな内容がほとんどだったんだが、大体がカウンセリングで何とかなるような人たちだった。相談を持ち掛けてくる奴のほとんどはそういう軽い症状だったりするんだよ」
「じゃあ何であの女の子は……カウンセリングじゃなくて、儀式にしたんですか……?」
「不安定だったろ、ちえちゃん」
ようやっとコウキに慣れてきたのか、似内は幾分か滑らかに話ができるようになってきた。コウキはマットレスに開いた穴をほじくり返しながら言葉を続ける。
「じっくり時間をかけて話を聞いても回復の兆しは見えない。本人に焦りもある。そんな中でも増殖し続ける不安、怒り、焦燥……こうなったらもう荒療治しか方法はない」
「それで儀式……ってことですか」
「うーん……そもそも俺はあの胡散臭い儀式で本当に悪魔が祓えてるなんて思ってないからな。俺、悪魔とか神様とか信じてないし」
「えっ」
「さっきも言ったろ、「相手は人の心理」だって。俺にとって儀式は強烈な暗示で、クラージマンはただの神父兼心理士……まぁ、こんな考え方してる奴は滅多にいないけどな。おかげでローマでは異端扱いだ」
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