17. 「誰が万年ぼっちだ!」

 古海が部屋から出て行ってしばらく後、コウキは古くて固いマットレスに寝そべりながらスマートフォンの通話ボタンをそっと指で押した。数コール鳴り、相手に似せた合成音声がスピーカーから流れだす。

「……コウキか。定期連絡とは殊勝な心掛けだな。そちらはどうだ?」

「はー、今のでめっちゃむかついた。もう二度と連絡しねえ。荷物見つかったから教えようと思ったらこれだよ」

「あぁ、見つかったのか。それはよかった。こちらの捜索は止めるよう伝えておこう」

「人の話聞け。そのスカした態度は相変わらずだな」

「お前は一々暴言が多いからな、その口の悪さに付き合えばそれこそ時間が足りない……そういえばアンナから知らせを受けたぞ。お前、悪魔祓いをしたらしいな」

「耳が早いな、クソ司祭」

 自分の上司であるクレイン・ヴォルドウィックの声を聞きながら、コウキは小さな欠伸を噛み殺した。

「なかなかスリリングだったよ。首絞められるし刺されるし」

「仕事に支障はないな?」

「もちろん。いくら俺でもそんなヘマはしない」

「どうだか。昔から事あるごとに傷だらけになって帰ってきたのはどこのジャッポネーゼだ?」

「そういう昔の事だけは覚えてるんだな。ボケが始まってるんじゃないのか?」

「ぬかせ。お前よりずっと頭はしっかりしている」

 慣れ親しんだ軽快なやり取りに、コウキの頬がわずかに緩む。九年前に日本の地を離れてからずっとクレインの下で生活してきたコウキにとって、クレインは上司というよりも親のような存在になっているのだ。とはいえ、それを直接本人に伝えるほどコウキも素直ではない。

「ところでコウキ、悪魔祓いはいいが道具もなしにどうやったんだ? お前もとうとう心から神を信仰するようになったか」

「んなわけねーだろ。本資格取ったばっかりの新米が九重教会にいたからそいつに借りて……あ! そう言えばお前! 九重教会にクラージマンがいるなんて聞いてねーぞ!」

 コウキは勢いよく上体を起こし、電話口に大声で怒鳴りつけた。コウキはクレインに「クラージマンがいない日本の教会があるからそこに臨時で向かってくれ」と言われて日本に足を運んでいる。それなのに、蓋を開けて見れば新米とはいえ本資格を取得している古海と仮免許を持っている似内が既に九重教会にはいたのだ。嵌められた、と憤ったコウキが怒りをぶつける相手はクレインしかいない。だが、クレインは至って冷静だった。むしろ、電話越しでもわずかに楽しんでいる様子すらうかがえる。

「言ってないからな。それにそんな怒鳴らなくとも聞こえている」

「わざとだよ! つか知ってたのかお前!」

「当たり前だろう。他にクラージマンがいると知れば、お前は恐らく教会の命令を無視してでも日本行きを断る。「別にクラージマンいるなら俺が行かなくてもいいだろ」とか言ってな」

 ぐうの音も出ない意見に、コウキはただ歯噛みするしかなかった。クレインの指摘は的確だ。コウキの行動を完全に予測している。

「それに、私はお前にもう少し知人を増やしてほしくてな」

「はぁ、知り合い? 別にサンタ・ヴィオラにもいるだろ、神父たちが」

「その中に同年代はいないだろう? コウキ、私は心配しているんだ。お前の性格を考えると、どうにも友達というものができにくいように思えてならない」

「余計なお世話だっつーの! 誰が万年ぼっちだ!」

「九重教会にはカズテル・ウルミとオマレ・ニタナイというクラージマンがいると聞いたよ。仲良くしなさい」

「カズテル・フルミとホマレ・ニタナイな。Hが発音できないんだから無理すんな」

 コウキのツッコミに、今度はクレインが唸る番だった。オマレ、ウルミ、と呟いているが、一向に正しい発音をできる兆しがない。

 その時、コウキの自室に突然の来訪者が現れた。ノックもなしに扉を開けたのは、九重教会のシスター名嶋杏奈だった。

「ちょっと翠川くん、聖堂まで声が聞こえてるんだけど! もう少し静かにしてもらえないかしら!」

「あ、さーせん」

「……それじゃあコウキ、迷惑を掛けないようにするんだぞ」

「掛けねーよ! じゃあなクソ司祭!」

 苛立ちに任せて勢いよく通話の終了ボタンを押す。毛を逆立てる猫のように暗くなった画面を睨みつけているコウキを見て、名嶋は小さく笑った。

「あ? 何笑ってるんすか」

「あぁ、ごめんなさい。何言ってるかは分からなかったけど、何だかあなたが反抗期の子供みたいだったから」

 顔を背けながらクスクスと笑う名嶋に、コウキは目を瞬かせた。反抗期の子供、というワードよりも気になる箇所が彼女の言葉にはあったからだ。

「え、名嶋さんイタリア語喋れないんすか?」

「そう。私がクレインさんとお話しするときはいつも英語よ」

「はぁ……てっきりトリリンガルなのかと思ってました」

「生憎イタリア語には縁がなくてね。クレインさんと会ったのもテネシーの講演会だったから」

「テネシー? じゃあもしかして名嶋さんって悪魔祓いについて勉強してたとか?」

「……鋭いわね。そうよ」

 笑みを浮かべながら名嶋が言うが、コウキはその表情に自嘲と諦めが混じっているのを見逃さなかった。

 教会の中でも悪魔祓いを専門に行うクラージマンは、男性しか就くことができない役柄である。中世から受け継がれている男尊女卑の価値観が根底にある教会で、聖戦ともいえる悪魔との戦いに女が参戦することは許されていない。女性聖職者ができるのはシスターとして神に祈りを捧げ、修道誓願を立てることだけだ。それを承知の上で、名嶋は前例のない女性クラージマンに挑戦した。

 結果は、コウキが尋ねるまでもなかった。彼女の表情が、それが失敗に終わったことを物語っている。そこでようやく、コウキは昨日の儀式で名嶋から発せられていた視線の正体に思い当たった。

 あれは、羨望と嫉妬だ。自分もあんな風になれたら、というどうしようもない願望がにじみ出ていたのだ。

 気まずい沈黙を打ち破ろうと、コウキは頭を掻きながら唸った。

「あー……腹減ったんですけど、なんかアリマスカ」

「……ふふっ、なに、その雑な話題の逸らし方」

 今度こそ名嶋は素直な笑みを浮かべ、踵を返してコウキの部屋から出ていこうとする。一度振り返り、名嶋が言った。

「下の談話室に来なさい。おにぎりくらいなら用意してあげるから」

 ぱたん、と静かに扉が閉じた。コウキは彼女が去った後もしばらく扉を見つめていたが、空腹には抗えなかったのかのっそりとベッドから降りた。

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