16. 「好きにしろ」

 以前と同じように、コウキは隣室の扉を三回ノックする。部屋の主は、今度こそ呼びかけにすぐ応じた。

「あ、おはようコウキくん」

「おう。荷物、預かってもらったんだって? 悪……いや、今日のTシャツも殊更にダサいな。また自作か」

「うん!」

 満面の笑みの古海が着ているのは、水色に白く「ニシローランドゴリラ 学名:Gorilla gorilla gorilla」と書かれているTシャツだ。古海は顔をしかめたコウキなど気にも留めずに言った。

「というか、コウキくん全然目を覚まさないから心配したよ。声かけてもピクリとも動かないんだもん。死んでるかと思った」

「今度俺を起こすことがあったら耳の近くでフライパンでも打ち鳴らしてくれ。それくらいしないと多分起きられない」

「なんかすごいね……あ、はいこれ。めちゃくちゃ派手なトランクだね」

「サンキュ」

 古海が部屋から運び出したのは、確かにローマのフィウミチーノ空港で預け入れたコウキのキャリーケースだ。触って確認するが、鍵をこじ開けられた形跡はない。

「助かった……荷物について何か言われたか?」

「うーん……なんか国内線乗り換えの北海道行きに混ざってたんだって。この度は大変申し訳ございませんでしたーって何回もペコペコしてたよ」

「届けばなんでもいいわ……あ、そういえば似内は?」

 コウキの脳裏に、前回の儀式をサポートしたもう一人のクラージマンが浮かぶ。彼の自室の扉に目を向けると、古海が言った。

「誉くんならコンビニのバイト。基本的に毎日働いてるから、何か用があったら夜まで待たないと。儀式の次の日も働きに出てたから、結構忙しいんじゃないかな」

「はー、毎日か……あいつ結構ビビってると思ったけど、次の日からバイトとか意外と肝が据わってるな」

「いや、ちょっと見かけただけだけど顔色超悪かったよ」

「あぁ、納得」

 そう呟くと、コウキはキャリーケースを自室に入れようと引きずり始めた。薄い扉を開け、騒々しい音を立てながら部屋の中央に革張りのキャリーケースを横たわらせた。その様子を、古海が開いた扉の向こうから覗いている。

「見るか?」

「いいの? お邪魔しまーす」

 許可を得た古海は上機嫌でコウキの部屋に足を踏み入れる。コウキがキャリーケースを解錠するために暗証番号を入れるのを見ながら、古海は備え付けのベッドに腰かけた。

「さっきも言ったけどそれ、派手だね。書いてあるのは……ラテン語?」

「お、分かるか」

「意味までは理解できないけど」

 肩を竦めながら言う古海に、コウキは重いキャリーケースの蓋を開きながら言った。

「まあ簡単に訳せば「この荷物を勝手に開けた奴は必ず地獄に堕とすから覚悟しろ盗人野郎」だな」

「うわ」

「引いてんじゃねえよ。海外出張っつって色んな所飛ばされるからな、荷物が取られないようにおまじない、みたいな感じだ」

「この十字架のマークは教会の?」

「あぁ。基本的に出発がローマだからな、バチカンの近くでこの十字架が付いてる荷物を盗る奴はなかなかいねえよ」

 コウキはキャリーケースの中から必要な衣類を出して棚にしまう。そんな彼の作業を見ていた古海の視線は、キャリーケースの中の一点に止まった。

「それ、もしかしてクラージマンの聖具?」

「おう。俺がローマでずっと使ってるやつ」

「へぇ、見てもいい?」

「好きにしろ」

 ほれ、と手渡されたのは古海が教会から支給されたのとさほど変わらない小型のジュラルミンケースだ。違いを挙げるなら、付いている傷の数だろうか。新品同様の輝きを保持していた古海のそれとは違い、コウキの物はあちこちに残った擦過痕で表面がくすんでいる。留め具を外し、古海はジュラルミンケースをゆっくりと開いた。

「わぁ……」

「そんな驚くようなもん入ってるか?」

 軽く笑いながらコウキが問う。そこに入っていたのは、年季の入った悪魔祓いの道具たちだった。赤い革表紙の聖書は角が潰れ、小口はすっかり黄ばんでいる。十字架は古海が持っていたものよりも大ぶりで装飾も豪奢だ。重さも、ちえの儀式で折れてしまったモノとはまるで違う。聖油の瓶と聖水のボトルは同じものだが、中身の残量は圧倒的にコウキの物の方が少なかった。

「なんか、ずっとコウキくんと戦ってきたパートナー、みたいな貫禄があるね」

「カズは意外とロマンチストか? 別にそんなんじゃねーよ」

 服を入れ終え、コウキは棚を閉めた。今度はファイルに綴じられた書類を机に積み、テキパキと片づけを進めていく。

「その一式は三……いや、四代目か? 聖書だけは最初からずっと続けて使ってるけど、他のはとっかえひっかえでこなしてる」

「十字架も?」

「おう。この前みたいに折った」

 あっけらかんと言い放つコウキに、古海は乾いた笑いをこぼす。片付けに満足したのか、コウキは空のキャリーケースを足で脇に避けて空いたスペースに座り込んだ。

「にしても、日本にあんな悪魔憑きがいるとはな……」

「秋原さんのこと?」

「うーん……」

 胡坐をかいて膝に頬杖をつき、コウキは唸った。

 そもそも神の敵対者である悪魔は、神を信仰する者に取り憑いて悪さをする。「神の救いなどない」と思わせることで、より人間を効果的に苦しめることができるからだ。実際に教会の統計でも、悪魔祓いを求める人間の大多数が教会の信者であるという結果が出ている。

 そして、この極東の島国は無宗教者が多い。というよりも、あらゆる宗教観がごちゃ混ぜになっていると言った方が正確だ。正月は寺院や神社を参拝し、盆には家族総出で故人を迎える用意をする。ハロウィンになれば仮装した若者たちが街を闊歩し、クリスマスはプレゼントとケーキを心待ちにするイベントと化している。唯一絶対神を持たない考え方は神道の八百万の神に根差しているが、コウキに言わせれば日本人はよく言えば寛容、悪く言えば節操のない人間である。

 つまり、教会が掲げている神を心から信じていない日本人が「悪魔に取り憑かれた」と言い出すこと自体が稀有なのだ。そのため、日本にクラージマンの需要はほとんどない。必然的に信者の多い欧米に依頼が集まる。だからこそコウキは、日本の滞在を命じられた時に「チョロいだけで退屈な面倒くさい仕事」だと思ったのだ。

「……もうあんな客が来ないといいけどな」

「それフラグっぽいよ」

「うるせえ」

 不貞腐れたように、コウキは唇を尖らせた。それを見て、古海は笑うだけだった。

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