15. 「な、なんすか」

 数日後。

「お。ちえちゃん」

「あ、こんにちは神父様……!」

 昼過ぎに目を覚ましたコウキが聖堂に入ると、そこには儀式を乗り越えた少女が木製のベンチに座っていた。コウキの顔を見るや否や、勢いよく立ち上がり駆け寄ってくる。

「調子はどう?」

「す、すごいです! 今までにないくらい元気です……!」

「その様子だと心配はないかな。よかったよかった」

 少女の丸い頭を軽く撫ぜ、コウキは安心したように笑う。頬の蚯蚓腫れはまだ痕を残しているが、その表情は暗がりで怯えていたものとは別人のようだ。幼子のように頭を撫でられたちえは照れたように頬を赤く染めると、身長差のあるコウキの顔を上目遣いで見上げた。

「あ、あの、この前は本当にごめんなさい……私、神父様の事……」

「あぁ、記憶があるパターンなのか。別に大丈夫だよ。俺の仕事はそういうもんだって言ったろ?」

「でも……」

「だーいじょうぶだってば。ちえちゃんが大丈夫ならこっちも安心だ」

「さすが、歴戦のクラージマンは言う事が違うわね」

 背後から飛んできた声は女性の物だ。コウキは自分が入ってきた扉を振り返った。

「あ、おはようございますシスター」

「おはようじゃないわ、何日寝てるつもりよ。今何時だと思ってるのあなた」

「三日くらい寝てたかな……えーっと、一時半っすね」

「世間では真昼間なの。全く……部屋から出てこないと思ったら寝てたのね」

 名嶋はため息を吐きながらずかずかと近付いてくる。勢いにコウキが後退るが、そんなことはお構いなしに名嶋は彼の前に立った。じっとコウキを見つめる名嶋の強い視線に、思わず狼狽える。

「な、なんすか」

 コウキが声を掛けるも、名嶋の返事はない。彼女はじろじろとコウキの身体を見た。ちえも、コウキの後ろでおろおろとしている。すると、突然名嶋がコウキのTシャツをがばりと大きく捲り上げた。

「わっ」

「は?」

 ちえ、コウキの順で声が上がる。名嶋はコウキの薄く割れた腹を見て、ため息を吐いた。

「し、シスター大胆……」

「人の服勝手に捲ってそのリアクションはないっすよ」

「し、心配だったのよ!」

 乱暴に服を下ろすと、名嶋は腕を組んでそっぽを向いた。ツンデレか、と呟いたコウキの声は聞こえなかったらしい。ちえは顔を両手で覆っているが、目元にかかる指はしっかり視界を開けている。

「とにかく! これでちゃんと安全は確認したわ!」

「あ? もしかして腹に穴が開いてないか見てたんすか? 大丈夫っすよ、ほら。もっとしっかり見ます?」

「結構よ!」

 へらへらと笑いながらTシャツの裾を捲ろうとするコウキを名嶋は声だけで制する。ちえは頬どころか耳まで赤くなっていた。

「し、神父様も大胆ですね……」

「あはは、ちえちゃん初心だなー。日本人の女子ってみんなこんなもんなのか?」

 呑気な笑い声をあげながら、コウキは大きく伸びをする。すると、あ、と何かを思い出したように目を開いた。

「そういえばシスター、俺が寝てる間に荷物来ました?」

「来たわよ! だから起こしに行ったのにぜんっぜん起きないんだもの! 古海くんも困ってたわ!」

「あちゃー、そりゃすいませんね。荷物どこにあります?」

「古海くんが預かってるから後で謝りに行きなさい」

「ういーっす」

 全く謝意の見えない返事をしながら、コウキはちえを振り返った。もう一度彼女の頭に手を置き、優しく一撫でする。

「君が思うより世界はずっと親切だ。理解者がいないと思ったら、いつでも教会に来いよ」

 ちえはハッとした表情でコウキを見る。どうして、と声にならない言葉の形に唇が動いた。

「味方がいない、とか誰も私の事分かってくれない、とかそういう考えは思春期によくあるもんだ。偽善みたいな言葉はいらない、って思ったんだろ?」

 こくり、ちえが頷く。

「でもな、あちこち攻撃してわざわざ孤立する必要ないんだよ。ちえちゃんは優しいからさ」

「どうして……どうして、そんなこと言えるんですか。だって私、神父様に酷い事したのに……」

「分かるさ。だって君、俺が煽るまでずーっと自分を傷つけて我慢してただろ」

 頭に乗せた手をちえの頬に滑らせ、その痛々しい傷をそっと撫でてコウキは笑った。

「約束通り、君の中にいる悪魔は追い出した。だからもう大丈夫なんだよ。ローマ仕込みのすごーいクラージマンのお墨付きだ」

「……! は、はい!」

 コウキの言葉を受け、ちえは屈託なく笑った。それは、年相応の可愛らしい少女の笑みだった。

「じゃ、俺カズんとこの荷物取ってくるわ。ちえちゃん、頑張れよ」

「あ、ありがとうございました!」

 深くお辞儀するちえに、コウキはひらりと手を振った。そのままのんびりとした足取りで居住スペースを目指す。名嶋は、そんな彼の背中を見送るだけだった。

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