14. 「黙秘権を行使する」
「フウー……」
電灯もない九重教会の裏庭に、コウキの煙草の火だけがちらちらと蠢いている。教会の外壁に凭れ掛かりながら、コウキはカソック服の胸をさすった。そこには、ちえに刺された際に開いた穴がある。
『貴様だけは許さない……! 絶対に殺してやる……!』
あの時感じた強い殺意に、今更ながら両腕にぞわりと鳥肌が立った。くしゃり、と胸元の布地を握り締める。少女の皮を被った怨念を頭から振り払うように、コウキは紫煙を吐き出した。
「こんな時期にそんなところいたら蚊に刺されるよ」
「古海……」
カソック服を着た古海が、ガスランプと虫除けスプレーを持って現れた。暖かな色合いの灯りに照らされたその顔は、儀式が終わったことへの安堵が伺える。コウキは煙草を咥えながら、わずかに眉をひそめた。
「……何だそのランプ。キャンプ用か?」
「うん、オレの趣味」
はいこれ、と手渡された虫除けスプレーを眺め、コウキは咥えていた煙草をもみ消した。スプレー缶を受け取って振り混ぜ、露出している肌に中身を噴射する。
「……くせぇな」
「そう? 虫除けの匂いなんてこんなものじゃない?」
「日本のが特別臭いんだよ」
顔をしかめながら、コウキはライターを取り出した。缶に大きく「火気厳禁」と書かれているにも関わらず、お構いなしに新しい煙草に火を付ける。深く吸い込み、呼気を煙に混ぜ合わせて吐き出した。
「で? どうだったよ」
「何が?」
「初めて生で見た悪魔祓いの儀式」
気負いのない声でコウキが呟く。古海はコウキの横顔を見つめたが、ランプに照らされたその表情からは何も読み取れなかった。
「……うーん。正直、ちょっとビビったかな。あれを何度も相手にするって考えるとやっぱり……ちょっと、怖い、かも」
剥き出しの土から生えた雑草をつま先でつつきながら、古海が呟く。自分が押さえつけていた少女の細い肩の感触と、その矮躯からは想像できないほどの強い力がまだ掌に残っているような気がして、拳を握り締めた。コウキはそんな古海の様子を横目で一瞬だけ見やった。
「その怖いって感情は、大事にした方がいい」
「え?」
「そこが麻痺すれば、多分早死にする」
ぎゅう、とカソック服の穴を掴み、コウキは紫煙を吐きだす。
「クラージマンってのは、意外と死亡率が高いんだよ。何でか分かるか?」
「さぁ……?」
「今日みたいなのがあるからだ。暴れた相手に絞殺されたり、刺されたり」
古海の脳裏に、先程のちえとコウキの揉み合いがよぎった。
「さっきのは、本当にコウキくんが殺されたんじゃないかって思ったよ」
「あんな勢いで突撃されたら刺されなくても怯むっつーの。思いっきりタックルしてくるから一瞬息止まったわ」
「……そっ、か」
ぷすー、と情けない音を立てながらコウキは煙を吐く。
「……怖いって感情を持つのは別に悪い事じゃない。ちゃんと身構えて、やばいって思った時に自分を守れるようになっとけよ」
「じゃあコウキくんは、今日以外にあんな危ない目にあったことある?」
「黙秘権を行使する」
コウキが持つ煙草から緩やかに立ち上る煙は、夏の夜気に薄く溶けていった。コウキは消えゆく煙をぼんやりと眺める。
「……オレ、クラージマンとしてやっていけるかなぁ……」
「問題ないだろ。少なくとも、俺はそう思うぞ」
ハッと古海がコウキを見るも、コウキはただ吸いさしを地面に擦り付けるだけだ。地面に散らばる吸い殻を拾い上げ、コウキは大きな欠伸をした。
「戻ろうぜ、カズ。俺疲れたわ……さっさと寝たい……」
「え、カズって……」
「お前の名前、和輝なんだろ? 古海よりカズの方が短くて呼びやすいからな」
早く来い、と言わんばかりに疲れた眼差しでコウキは古海を見つめる。古海は、その眼鏡の奥の瞳を輝かせて駆け寄った。
「コウキくん、オレ、頑張るね」
「おー、好きにしろ……あ、そういえばお前の十字架折れちまったけど、あれどうすんだ?」
「正教会に事情を説明すれば新しい備品を送ってくれるんじゃないかな?」
「……買わされたりして」
「えっ! それはちょっと……」
「ま、そこらへんは大丈夫だろ」
「もし弁償だったらコウキくん半額払ってね」
「はぁ? 嫌だよ」
「だってコウキくんが使ったから折れたんだよ」
「でもカズの物だろあれ」
「だから半額!」
「……考えとく」
軽快な会話を彩るように、東の空が白み始めた。
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