11. 「馬鹿にしてんのか」

 夜も更け、外から聞こえてくるのは喧騒ではなく鈴虫の鳴き声だけだ。人々が寝静まった頃合いにも、九重教会の聖堂には明かりがまだ点灯していた。

「そろそろいいかな」

 グルグルと肩を回し、運動前の準備体操もかくやといった様子でコウキは言った。その傍らにはこれから起きるであろう儀式の波乱を期待している古海と、それとは対極的に緊張で表情を強張らせている似内が控えている。

「いやぁ、実践なんて初めてだから緊張するなぁ」

「か、和輝さん全然そんな風には見えません……うっ僕吐きそう……」

「大丈夫? トイレ行く?」

「さっき行きました……」

「お前ら少しは大人しくできないのかよ」

 ため息を吐きながら、コウキは脇に抱えたジュラルミンケースを床に置き中身を取り出し始めた。古海と似内はそれを興味深そうに見つめている。

「つか、場合によっては今日だけじゃ終わらないかもしれないからな。そこんとこ頭に入れとけよ」

「おぉ、何かコウキくんすごいベテランっぽい」

「馬鹿にしてんのか」

 青筋を浮かべながらもコウキの手は止まらない。聖書を懐に仕舞い、聖油の瓶を手に取って中身を軽く揺らしながら逆の手では十字架に触れる。指先から伝わる冷たい金属の感触を確かめ、腰を上げた。

「よし。どっちか、シスターとお嬢さん連れてこい」

「あ、じゃあ僕行ってきます」

 軽い足音を立てながら、似内がすぐさま反応して居住スペースに駆け出していく。その背中を目で追いながら、古海はぽつりと言った。

「いや……ほんと緊張するな。柄じゃないって分かってるけどさ」

 口角こそ吊り上がっているものの、古海の雰囲気は固い。緊張で冷えた手を暖めるように、何度も手を握り締めている。コウキはそんな彼を見て、思い出したように言葉を紡いだ。

「……古海だったっけ? 面白い事教えてやるよ」

「え?」

 まだ強張った表情のままで、古海はコウキを見やる。

「俺がローマで一緒に仕事してる仲間でマルコって奴がいるんだけどな、そいつ確か緊張のし過ぎで初めての儀式の前にゲロ吐いてたぞ」

「それは……気持ちが分からなくもないかな……」

「しかも相手は初歩の初歩、超簡単な一番危険性の低いタイプ。報酬も一番安くて時間ばっかり取られるちょろい仕事な。法王のお膝元であるローマでクラージマンの資格取ってるような奴がビビッて路上のゴミ箱にリバースだぜ? 笑えるだろ」

「あんまり笑えないんだけど……」

「だから、緊張するのはどいつも同じなんだから気にすることないってことだよ」

「……もしかしてそれって、励ましてくれてる?」

 古海のその問いに、コウキが答えることはなかった。無言のまま、コウキは古海にちらりと視線を投げる。だが古海にとっては、それだけで十分だった。

「お、お待たせしました……!」

 数人分の足音と共に聞こえてきたのは、似内の声だ。丈の長いカソック服に足を捕られそうになりながら、古海とコウキの下へと駆け寄ってくる。その後ろを、名嶋とちえがゆっくりとした足取りでついてきていた。

「じゃ、お嬢さんも来たことだし今日の説明をしようか」

 俯いたままのちえに、コウキは淡々と話し始める。その様子からは緊張も気負いも感じられず、似内は「さすがベテランクラージマンさん……!」と目を輝かせた。

「まず、もう一度自己紹介するけど俺は翠川コウキ。君の中にいる悪魔を祓うクラージマン。そこにいるのが助手の古海と似内」

「どうもー」

「助手……?」

 にこやかに手を振る古海と、コウキの言葉に首を傾げる似内はどこまでも対照的だ。コウキは気にすることなく言葉を続けた。

「儀式の手順は簡単だ。まず、俺が聖油で悪魔をあぶり出す。次に、出てきた悪魔と会話する。そのまま悪魔自身にちえちゃんから出て行く宣言をさせて、それで終わりだよ。助手は悪魔が暴れ出した時に取り押さえる係。シスターはそこらへんで見学してて」

「それで……本当に大丈夫なんですか……?」

 怯えた声色でちえが呟く。あの、自分の腹の底から勝手に溢れ出す怒りと殺意がそんなものであっさり消えるとは思えなかったからだ。

「だって……もし失敗したら私……今度こそ本当に人殺しに」

「ならない。つーかさせない。俺の仕事ってそういうもんだから」

 自信に満ちたコウキの言葉は、少女の口を閉ざした。しばらく黙り込んだちえは、顔を上げて頷いた。意を決した表情に、コウキが満足そうに首肯を返す。その様子を、名嶋はただじっと見つめていた。

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