10. 「どんな覚え方してんだ?」

 拳を作り、コウキは三度扉に打ち付けた。中にいる人物はそのノックに気が付かなかったのか、未だに何やら騒音を立てている。コウキは眉を寄せ、もう一度強めに扉を叩いた。

「おい、古海」

 名前を呼べば、来訪者の存在に気が付いたのか物音が消えた。と、慌ただしく駆け寄るような音が聞こえてくる。

「あぁ、ごめんコウキくん。探し物してて気が付かなかった」

 コウキに割り当てられた部屋の隣、古海和輝の自室の扉からは部屋の主が顔を覗かせた。よほど急いだのか、童顔に掛けられた眼鏡はずり下がっている。

「それで、何か用事?」

「悪魔祓いに使う道具を貸してほしい。クラージマンの本資格持ってんなら合格証明書と一緒に貰ったろ」

「あー……うん、えっと、今ちょうどそれを探してたところ……」

 気まずそうに頬を掻きながら、古海は苦笑いをこぼす。コウキの顔が苛立ちに歪むのを見て、古海は焦ったように弁明を始めた。

「最近立て込んでて自室の掃除にまで手が回らなかったんだよね。教会の施設管理を恐れ多くも任されている身としては本当に面目ないというか、あ、でも部屋から持ち出したりはしてないから絶対あるんだよ。悪魔祓いに本格的に参加したことないから部屋に保管したまま! ちょっと今資料が散らばってるけど、多分そこら辺にあると思うから! 誉くんが帰ってくるまでには必ず見つけるから安心してほしいな!」

「ほまれ?」

「似内誉くんだよ。ほら、ここに住んでるもう一人の仮免クラージマンのこと。それじゃ、オレ道具探さなきゃいけないから……」

 こそこそとコウキを部屋から遠ざけるように、古海は扉を閉めようとする。そうはさせまいと、コウキは閉じる扉の隙間に足を勢いよく差し入れた。

「おいコラ逃げんな」

「に、逃げてない逃げてない」

「じゃあ何でドア閉めんだよ」

「いや、だから」

「俺も手伝えば早いだろ」

「だ、ダメ! 絶対部屋入っちゃダメ! すぐ見つけて持っていくから部屋だけは勘弁して!」

 挟まったままのコウキの足を圧し潰す勢いで古海は扉を閉めようとする。その姿は、ずっと見せていた飄々とした様子とは似ても似つかない。足に躊躇なくかかる負荷にコウキは顔をしかめ、やがて諦めたようにため息を吐いた。

「……分かったから手離せ。足痛ぇよ」

「あ、ごめん……」

 つま先が扉から解放され、コウキは痛みを和らげるように足をさすった。古海は申し訳なさそうに眉を下げて、扉から顔だけ出す。

「と、とにかく、部屋だけはどうしてもダメだから……見つけたらすぐに持っていくよ」

「お、おう……」

 ぱたん、と軽い音を立てて閉められた扉をコウキは黙って見つめた。古海の尋常ではない狼狽え方に呆然としてしまったのだ。薄い扉の向こうからは、また探し物をする騒音が響いてくる。

「何か悪い事したか……?」

「あの……すいません、後ろ通ります……」

「うわっ」

「ひえっ! す、すいません!」

 突然背後から聞こえた声に、コウキは思わず声を上げた。勢いよく振り返ると、Tシャツにジーンズといった軽装の青年が怯えたように縮こまっている。コウキは、その人物に見覚えがあった。

「あ? お前、確か……」

「え、あ、え……?」

 グレーアッシュの分厚い前髪を揺らし、青年が顔をあげる。見間違うことのないその髪型に、コウキは目を見開いた。

「やっぱり。教会の坂の下のコンビニで働いてたろ、お前」

「あ、は、はい」

 挙動不審な青年は、コウキを前髪越しにしばらくじっと見つめた。ようやく合点がいったのか、あ、と小さく声を漏らす。

「めっちゃ見てくるサングラス……」

「どんな覚え方してんだ?」

「すすすすみません……!」

「いや、別に怒ってないし……」

「本当にすいません!」

 どもりながら青年は何度も頭を下げた。肩から下げている鞄のストラップを握り締めて必死に謝る姿は、腰が低いのを通り越してもはや鬱陶しさすら感じさせる。

「だから別にいいって。お前、ここに住んでるの?」

「は、はい、そこの部屋に……」

「じゃあ、もしかしてお前がニタナイ?」

 指差して確認すれば、似内は驚いたように肩を強張らせた。

「な、なんで僕の名前知ってるんですか……? まさか、か、カツアゲ……? ぼ、僕お金とか本当持ってないです、すいません……!」

「ちげぇよ。なんでそうなるんだよ」

 げんなりしながら、コウキは頭痛を堪えるように頭を押さえた。しかし、その仕草すら似内を怯えさせる要因にしかならない。

「お前が仮免クラージマンだな? 俺、今日からここでしばらく働く翠川コウキ。よろしく」

「あ……シスター名嶋が言ってた方ですか……僕、似内誉にたないほまれと言います」

 よろしくお願いします、と似内は頭を下げた。落ち着きを取り戻せばまともに会話ができる、と判断したコウキはなるべく似内を威圧しないよう言葉を選びながら話し始める。

「あーっと……古海から連絡あったと思うんだけど、見たか?」

「は、はい、見ました。悪魔祓いのサポートがあるから早めに帰ってこいって……」

「おう、そういうことだ。俺がメインでやるから、お前と古海で補助を頼む」

「ぼ、僕、まだ仮免なんですけど……」

「別に平気だろ。つーわけで準備よろしくな」

「あ、はい、いえ……」

「どっちだ?」

 その時、コウキの前で扉が開いた。内開きのそれから姿を現したのは古海だ。

「え、コウキくんまだいたの……って、誉くん! おかえりなさい!」

「あ、和輝さん……ただいま帰りました」

 軽く挨拶を交わし、古海の意識は似内からコウキに移る。その腕には、小ぶりなジュラルミンケースが抱えられていた。部屋から出てきた古海は扉を閉め、ケースをコウキに差し出す。

「はいこれ。遅くなっちゃってごめんね」

「いや、助かる。悪いな」

 受け取ったケースを開き、コウキは中身を確認する。そこには、教会が悪魔祓いに必要な道具として提言している聖書、十字架、聖油の瓶、聖水のボトルが鎮座していた。一つ一つ取り出してそれらを検めたコウキは、納得したのかまたケースに収めて蓋を閉じた。

「ちょっと不安が残るけど、まぁサポートが二人もいるなら何とかなりそうだな」

「うわぁ……ほ、本物のクラージマンなんですね翠川さん……」

 眼差しは見えないが、似内の声からは羨望の色が滲んでいる。まだ本資格を得ていない彼にとって、現場の最前線で活躍しているクラージマンは憧れなのだ。純粋な憧れを受け、コウキは照れ臭さを隠すように頬を掻いた。その様子を微笑ましく見ていた古海は、思い出したように似内に声を掛ける。

「さぁさぁ誉くん、儀式するから着替えてきて」

「は、はい……!」

 仰け反るほどに背筋を伸ばし、慌てて似内は自室に向かって駆け出した。途中で転びかけたのは、古海もコウキも見ないふりだ。

「誉くん、普段はあんなだけど仮免だとは思えないくらいちゃんと勉強してるから心配しないでね」

「ふぅん……まぁ、サポートしてもらえれば俺も文句はないよ」

 コウキは大きなあくびを隠そうともせず、眠そうな顔で呟いた。時計の短針は既に、時計の頂点を超えていた。

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