06. 「さいですか」
「っしゃーせー」
気の抜けた店員の挨拶が、クーラーの風と共にコウキに降りかかる。肌に吹き付ける冷たい風に、コウキはサングラスの下で目を細めた。直射日光に暖められ続けた身体に、過剰なまでの冷房は毒だ。コウキは半袖のシャツから伸びた剥き出しの二の腕を軽く摩った。
「さっさと買って戻ろう……」
積まれたカゴを一つ手に取り、買うものを頭に思い浮かべながら店内を歩き始める。旅行用の歯ブラシセットやスリッパをカゴに放り込みながら、コウキは自分の荷物の行く末を案じた。
生活用品一式が入っているのもそうだが、あのキャリーケースには仕事で絶対に必要な道具が全て詰まっている。日銭を稼ぐためにクレインの下で働いているのに、道具がないから何も出来ずに帰ってきましたでは話にならない。こじ開けて中身をバラせば、価値の分かる人間には美味しい荷物のはずだ。サンタ・ヴィオラ教会から支給されている品は、弁償するには少しばかり値が張るものが多い。まさか弁償にはならないだろうな、とコウキは眉間にしわを寄せながら棚のトランクスをカゴに投げ入れた。
「っと……とりあえずこれで全部かな」
カゴに放り込まれた品々を指差し確認しながら、コウキは独り言ちる。衣類は後日調達するとして、一日我慢する程度ならば十分な品がカゴの中には揃っていた。日本のコンビニは「コンビニエンス」の言葉の通り、痒い所に手が届くラインナップを有している。品質にも文句はない、とコウキは満足げに鼻を鳴らす。
そのままレジに向かう途中で、コウキははたと足を止めた。彼の視線の先には、氷菓がこれでもかと詰め込まれたアイスケースがある。ふらふらと誘われるようにそこに近付いたコウキは、じっとアイスケースの中身を覗き込んだ。
「ジェラート……はないのか。まぁそりゃそうだよな」
バニラのカップアイスやチョコレートのコーンアイスに視線を移し、ふと一点を見つめたままコウキは動かなくなる。
口栓付きのパウチアイスだ。爽やかなブルーのパッケージには、目立つ赤文字で「飲むアイス バニラ」と書かれていた。元々甘いものに目がないコウキにとって、日本のコンビニスイーツやアイスはかなり魅力的な代物だ。値段の割にクオリティが高い点も、種類が豊富な点もポイントが高い。
零コンマ三秒の脳内会議を経て、コウキはそれをカゴに入れた。レジカウンターの裏で何やら作業をしている店員は、コウキがレジに近付いてくるとそれに気が付いたように駆け寄った。
「おま、お待たせしました」
「はい」
カウンターに乗せられたカゴの中身を店員がスキャンしていく。コウキはその様子をサングラス越しにじっと眺めた。
厚ぼったい前髪が顔の上半分を覆い隠している。その前髪で果たして前がまともに見えているのかと疑問に思ったが、レジ打ちをする手に迷いがないところを見ると問題はないようだ。俯いたグレーアッシュの頭は頭頂部が地毛の黒になっていて、染めてから時間が経っていることが分かった。食い入るように見つめるコウキの視線に気が付いたのか、店員は気まずそうにさらに顔を俯かせた。
名嶋、古海と我が強い人間を先ほどまで相手にしてきたコウキにしてみれば、必要以上に関わりを持とうとしないこの店員の態度は逆に心地よい。その刺さるような視線が店員を怯えさせているとも知らず、コウキは彼の仕事をただ無言で見ていた。
縮こまりながら、それでもよどみなく商品をビニール袋に詰め込み、消え入るような小さい声で店員が言う。
「お、お会計こちらです……」
「あぁ、はい」
指差された金額を確認し、コウキは財布から一万円札を抜き取ってトレイに置いた。店員は無言でそれを受け取り、キーを打って処理を行う。
「……お釣りです」
「どうも」
「ありがとうございましま、した」
数枚の札と小銭、レシートを一緒くたに受け取り、コウキはビニールからアイスのパウチを取り出して店を後にした。
自動ドアを抜ければ、またむせ返るような暑さが襲い掛かってくる。一瞬息が詰まるほどの熱気に、コウキは思い切り顔をしかめた。それを振り切るようにアイスの封を切った。かきり、と軽い音を立てて開いたそれを口に咥えたまま、教会までの道のりを引き返していく。
「あっちぃ……」
吸い込んだチープなバニラ味を舌で転がしながら、緩やかな傾斜の坂をゆっくりとした足取りで登っていく。安っぽいながらも煙草よりずっと健康的な味は、いくらかコウキに涼を与えた。たった一四〇ミリのそれがコウキは甚く気に入ったのか、暑さの中でも上機嫌で歩いている。
「……ん?」
中身の少なくなったパウチを咥え煙草のように口に引っ掛けながら坂を登るコウキの目に、教会が写りこんだ。だが、コウキの意識を引いたのはそれではない。
真っ黒な修道服を着たシスターが、教会の前で何かを探していた。何かを、というよりは誰かを、だろうか。忙しなく辺りを見渡しながら慌てている。コウキは歩くペースを変えずに、ただのんびりと近付いていった。がさがさとビニール袋の擦れる音を立てながら、名嶋に声を掛ける。
「どうしたんすかシスター」
「あ、翠川くんいた!」
焦った様子で駆け寄ってきた名嶋は、がしりとコウキの腕を掴んで強く引いた。
「急ぎの仕事よ! ちょっと来て!」
「は? いや、だから荷物がないんだから俺は仕事できないって」
「そんな悠長なこと言ってられないの!」
その言葉に、コウキは口をつぐんだ。目を細め、品定めをするような視線を名嶋に向ける。そんな彼の表情の変化に気が付くことなく、強引にコウキを教会に連れ込みながら名嶋は喋り続けた。
「前からこの教会に相談に来てたお嬢さんなんだけど、いよいよやばそうなのよ。私が自宅に呼ばれた時はもう大暴れで手が付けられないくらいだったの。今は落ち着いてるから、とりあえず教会に呼んで部屋で休んでもらってるわ」
「暴れてるなら猶更俺一人じゃ無理っすよ。そもそもクラージマンの仕事って最低二人必要だし」
「メインは翠川くんでいいから! サポートは古海くんと似内くんに頼むわ」
「ニタナイ?」
「もう一人のここのクラージマンよ。仮免だけど、サポートくらいなら多分大丈夫なハズだから」
「はぁ……ハズ、ねえ」
「似内くんがバイトから帰ってきたら始めるわ。いいわね?」
「俺に拒否権はないんすか」
「当たり前じゃない、何のために日本に来たの! あなたには人を救う義務があるのよ」
「さいですか」
ため息交じりにコウキは呟くと、ビニール袋を名嶋に見せつけるように掲げた。
「とりあえず、これ部屋に置いてくるんで。そしたらそのお嬢さん? の様子見させてください」
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