04. 「俺、神様とか信じてないんすよ」
「しかし、ロストバゲージなんて災難だったわね。日本では滅多にないって思ってたけど案外あるものなのかしら」
「ほかの国だと言うほど珍しくもないっすよ。実際に被害にあったのは初めてっすけど」
「あらそう。まぁ荷物見つかったらうちに届けてもらう手筈になってるらしいし、別に心配することでもないのね。あ、そこの階段上がって」
名嶋がコウキを案内しているのは、九重教会の裏にある居住スペースだ。建物の老朽化が進んでいるのか、二人分の体重が乗るだけで廊下の床板が軋んだ音を立てる。天井には蜘蛛の巣も張り、壁紙は所々剥げかかっていた。廊下には薄い木製の扉が等間隔で並んでいるがどれも薄汚れていて、手入れが行き届いていないのが一目瞭然だ。
「狭いところで悪いわね。うちの教会、歴史は長いけどおんぼろだから」
「きったねえ場所だな……」
「何か言った?」
「いーえ何も。向こうでクソ司祭にあてがわれてた部屋はもっと狭くて汚かったし別にこれくらいなんてことないっすよ」
「そう? それならよかった」
何事もなかったように、名嶋は目的地に向けて進んでいく。コウキは自分の皮肉が通じなかったことに肩を竦めてこっそりため息を吐いた。これから始まる生活に、コウキは早くも不安を感じ取っていた。
耳障りな足音を立てながら、名嶋は言葉を続ける。
「ここには九重教会で一緒に働いてるほかのクラージマンも住んでるから、それなりに配慮した生活を心がけてよね。私、住民トラブルのお世話なんてしないから」
「は? 他にも?」
先導している名嶋の背中にコウキは声を掛けるが、名嶋は振り返りもせず進んでいった。
「クレインさんから聞いてないの? 住み込みで働いてるクラージマンが一人、仮免で勉強中が一人」
「仕事できる奴が誰もいないから俺が派遣されたって話だったんすけど……」
「まぁ、資格を持っているとはいえ経験不足な新米だからね。仕事ができないって言うのもあながち間違いでもないかも」
「嵌めやがったなあのクソロン毛……」
九八〇〇キロ以上離れた土地にいるすまし顔の上司に向け、コウキは届かない悪態を吐いた。名嶋は気にする様子もなく先を歩いている。
「えーっと……あ、ここね。翠川くんの部屋」
名嶋がとある扉の前で立ち止まった。「空き部屋」と大きな手書きの張り紙を乱雑に剥がすと、名嶋は内開きの扉を押し開ける。
「掃除してないからちょっと埃っぽいかもしれないけど、それは自分で何とかして」
「ほんとに準備とか何もしてないんすね。俺が来るってクソ司祭から聞いてたんでしょ」
ため息交じりに背負ったリュックを下ろしながらコウキが呟く。その声はしっかりと名嶋の耳に届いたらしく、彼女はあっけらかんと言い放った。
「何言ってんの。クレインさんが「コウキに不相応なもてなしは不要です。放っておいても死にはしません」って言うからその通りにしてるだけよ」
「清々しいほどに単純なのかクソ司祭を盲目的に信じてるだけか……どっちもかな」
「聞こえてるわよ全く。あ、一応聖務日課の後に朝食用意してるから、早朝のミサが終わったら明日案内するわ。その時にでもほかのクラージマンたちを紹介するから」
「あぁ、そういうのいいっす。俺お祈りとかしないし。朝飯の時になったら適当に聖堂行くんで」
「は?」
困惑する名嶋をよそに、コウキはさっさと部屋に足を踏み入れようとする。そのシャツの裾を名嶋は咄嗟に掴んだ。
「ちょっと! 朝の祈りは教会法の義務でしょ? しないってどういう……」
「え、もしかしてそれもクレインから聞いてない?」
コウキは少し驚いたように片眉をあげる。名嶋の狼狽など知ったことではないと言わんばかりにさらりと言い放った。
「俺、神様とか信じてないんすよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます