03. 「……そりゃすいませんね」
「ここか……」
東京都郊外、北添市。手元のスマホに表示された地図をもとに、コウキはようやくクレインの友人が住むという場所にたどり着いた。電車を乗り継ぎ、バスを経由し、さらに徒歩で道を進んで来たコウキは心身ともに疲れ切っていた。暑さも相まって気力は底を尽きかけている。予想以上の体力と水分を消耗し、コウキの頭の中には「休息」の二文字が列を成して襲い掛かってくるようだ。キャリーケースが行方不明になったことで身軽になり道中楽だったなど、皮肉にもほどがある。
「しかし……なんだここ。教会じゃねえか」
コウキは目に入りそうになった汗を手の甲で拭いながら、眼前の質素な木造建築物を眺めて呟いた。掲げられた十字架も、随分とコウキにとっては馴染み深いものだ。ずり落ちそうになったリュックを背負い直して、コウキは棒になりかけた足を引きずり短い階段を昇る。
「教会の扉はいつでも開かれてますよっと……すいません、誰かいますかー」
無遠慮に両開きの重たい木造の扉を開き、コウキは声を張り上げた。聖堂の中は思ったよりも広く、わずかに声が反響した。ひんやりとした空気が火照った身体に心地いい。慣れ親しんだ雰囲気の空間に、無意識だがコウキの緊張がわずかにほぐれた。
しかし、待てど暮らせど返事はない。
「んだよ……誰もいないのか」
コウキは扉を後ろ手に閉め、中をじろじろと観察するように見渡した。
外見と同じように、聖堂内は素朴な造りだ。必要最低限の設備があるだけ、といった印象を受ける。サンタ・ヴィオラ教会と同等の煌びやかな内装を期待していたわけではないが、やはり教会の基準がいつも目にしていたステンドグラスと華やかなパイプオルガンなだけあって拍子抜けしたと言えば嘘になる。
と、その時。奥の扉からバタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。勢いよく開かれたそれの向こう側からは、質素な教会にお似合いの所帯じみたエプロンを付けた女性が姿を現す。
「あら、お客さん?」
「はぁ」
慌てた様子で息を切らしながら話しかけてくる女性から少しばかり身を引きながら、コウキは返事とも取れる音を発した。そんなことはお構いなしに、女性はコウキが取った距離をずずいと詰めてくる。暑苦しい雰囲気に顔をしかめるが、女性はパーソナルスペースが狭いのかコウキの嫌がる素振りを気にもせず近付いてきて笑った。
「あ、もしかしてあなたがクレインさんのお弟子さんの翠川くん? 連絡は貰ってるわよ……なんだ、お客さんじゃないのか」
「弟子じゃないです。ただの部下です。つか近いです離れてください」
「あら? クレインさんは「私のクソ弟子が来るから適当に面倒を見てくれると助かります」って仰ってたけど」
「あのクソ上司はいつの間にクソ師匠にランクアップしたんだ」
「礼儀も碌になってない不躾な男だとも聞いてるわ」
「俺、あんたと初対面だよな? 何でそんなボロカスに言われなきゃいけないんだ?」
何とか保っていた敬語も崩れ、思い切り顔をしかめてコウキは彼女の肩を押した。距離を取って女性の上から下まで視線をよこす。
この教会の関係者なのか、彼女が着用しているオレンジ色のエプロンの下はモノクロの修道服だ。首からはシンプルなロザリオが下がっている。ウィンプルは着けておらず、日本人らしい濡れ羽色の長い髪が背中の半ばまで括りもせず垂れていた。左目の下にある泣きほくろが印象的だ。黙っていればお淑やかな修道女と言っても通じそうだが、物怖じせずぐいぐいと近付いてくる性格と物言いで台無しだった。
女性は、あぁ、と納得したように呟くと無い胸を張るように腰に手を当てて言った。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はこの九重教会でシスターをしている
「……どうも」
握手のために差し出された手を握ろうとコウキが手を出せば、名嶋はそれを躱すようにひょいと手を上にあげる。しばらく唖然としていたコウキは、再度握手を受けようと名嶋の手を追いかけた。が、それもまた躱される。何度か同じやり取りを繰り返し、痺れを切らしたコウキは苛立ちを隠そうともせず顔をしかめた。
「何のつもりですか。俺がいない間にそんな新しい挨拶が日本で出来てたなんて知らなかったんですけど」
「人と挨拶する時はそのサングラス、外した方がいいわよ。失礼だし、むかつく」
「……そりゃすいませんね」
顔をしかめたまま、渋々といった様子でコウキはサングラスを外す。襟元に引っ掛け、今度はコウキが名嶋に手を差し出した。
「しばらくお世話になります、翠川コウキです」
「聞いてたよりずっとまともじゃない。問題児を押し付けられたら躾け直すつもりだったけど杞憂でよかった」
名嶋はにっこりと笑うと、コウキの手を握った。
「ようこそ、九重教会へ。歓迎するわ、翠川神父」
「よろしくお願いします、シスター名嶋」
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