02. 「無事ねぇ……」

 空港の外に設置された灰皿に、コウキはすっかり短くなった煙草を押し付けた。大きくため息を吐くが、相変わらずコウキの荷物は背負っているリュック一つだけだ。

 あの後、案内カウンターでコウキはロストバゲージの旨を職員に伝えた。対応してくれた職員は酷く狼狽していたが、対処用のマニュアルがあったらしくその後はてきぱきと仕事をしてくれた。日本の従業員はこういった教育が行き届いているからトラブルに巻き込まれてもあまり不安にはならない。正確には、徹底して教育をしなければクレーマーが付け上がってうるさいのだろうな、と頭の片隅で考えた。

 閑話休題。

 コウキの荷物の行方はまだ見つからないらしく、発見次第届けてもらう流れとなった。もちろん届け先は司祭の友人の住所だ。そのための書類の制作など、無駄に時間を取られたコウキの顔には疲弊が浮かんでいる。新しい煙草に火を付けながら、コウキはスマホに映っている連絡先を睨みつけていた。二、三度躊躇したのち、コウキは意を決して通話ボタンに触れる。相手の返事を待ちながら紫煙を吸い込めば、七回鳴ったコールの後に相手が出た。

「……あぁ、コウキか。無事に到着したようだな」

 スマホの向こうから聞こえてくるのは、コウキを日本に送り込んだ張本人であるクレイン・ヴォルドウィック司祭の声だった。

 クレイン・ヴォルドウィック。ローマにあるサンタ・ヴィオラ教会の神父であり、コウキの仕事を斡旋する上司だ。長いシルバーブロンドを後ろで一つに束ねた姿は、ぱっと一目見れば女のように見えなくもないが、れっきとした男である。

 嫌がらせのつもりで時差も考慮せず連絡をよこしたが、クレインはまだ起きていたようだった。現在ローマの時刻は朝の五時半。早起きなのか夜更かしなのか、コウキには分かりかねた。

 三本目の煙草も半分ほど燃えて短くなっている。自他共に認めるヘビースモーカーのコウキは、それでも物足りなさを感じていた。およそ十二時間半に渡る長き禁煙が幕を閉じたのだ、盛大に吸わないとやってられない。それに加えておかしなトラブルに巻き込まれたストレスもあり、コウキは次々に吸い殻を生産していた。

「無事ねぇ……あんまり無事って感じではないかな」

「随分と含みのある言い方だ。何かあったのか?」

「ロストバゲージだよ。仕事道具が入ったあのキャリーケースは今頃別の飛行機の貨物室かバラされてどこぞの闇市だ」

「日本でか? 珍しいな」

 クレインの驚いたような声色を聞きながら、コウキは立ち上る煙を何とはなしに目で追いかけた。疲れが声に乗らないよう、努めて冷静に状況を説明する。

「一応成田からも届けは出した。見つけ次第あんたの友人とか言う奴の家に送ってもらう手筈になってる。フィウミチーノで抜かれた可能性もないとは言い切れないけど、正直その線は薄いと思うぜ。あそこはバチカンの近くだ、明らかに教会絡みの荷物に触ろうとするコソ泥なんていねえよ」

 スマホを持ち替えながら、煙草をひと吹かし。通話の向こうではクレインがため息を吐いた。

「法王の威信の前とは言え、賊の考えることは分からん。可能性がないとは言い切れないな。こちらでも荷物の確認をしてみよう」

「頼んだ。俺もあれがないとこっちで仕事できないからなぁ。給料も貰えないただのくそ暑い夏休みになるなんてごめんだよ」

「それはお前の信心深さが足りないからだ。常々言っているが、一人前を名乗るなら道具などなくとも職務を遂行できるはずだろう。大体お前は……」

「うるせえな。お前の説教聞くために電話したんじゃねえよこっちは。荷物が見つかったらきっちり仕事はするからいいだろ」

「……まぁいい。コウキ、とりあえず先に連絡した私の友人を訪ねろ。事情はこちらから説明しておく」

「はいよ。俺もこれ吸い終わったら空港出るわ。それじゃ」

 サングラスの蔓を弄りながら、大きく紫煙を吐き出す。当初の予定とは大きくずれて身軽なままのコウキは、通話を切ってスマホをポケットに滑り込ませた。

 コウキの横で煙草を吸っている日本人が、様子を窺うようにちらちらと盗み見てくる。確かにイタリア語で通話しているのは珍しいだろうが、そんなにおかしいのか。馴染みのない言語かもしれないが、英語で話している奴らと大差ないだろうが。そんな悪態を飲み込み、コウキは舌打ちを一つ残して灰皿に吸いさしをねじ込んだ。リュックを背負い直し、「成田エクスプレス」と書かれた看板を目指して歩き出す。周囲の好奇の視線から逃れるように、サングラスで目元を覆い隠した。

 住んでいるローマでも、出張先の海外でも、どうしたって欧州でアジア人は目立つ。日本に戻れば環境に溶け込めるかと思ったがそうでもなかったようだとコウキは眉間に皴を刻んだ。

 ――……やっぱり、この国は嫌いだ。

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