命の力

 一人を救う間、三人が斃れる。

 そんな戦場で命を光に託し、怪我人たちの苦痛と恐怖を取り除いた。

 誰かを救えば、自分の体が蝕まれる。

 そのことについては祖母から聞いていた。

 事実、途中で倒れて、もう何も出来ないと思ったことは一度や二度ではない。

 その度にシャルロットは体と心に残った力と勇気を掻き集めて自分を奮い立たせた。

 目の前で苦しむ人間を見捨てるなど考えもつかないことだった。

 シャルロットは暗い暗い淵の底へ沈んでいった。

 そこは静かで温かく、光はない。

 泳ぐように歩き、飛ぶように落ちる。

 細い光が見えた。

 そこに手を伸ばす。手は温い金属の塊を握った。

 喘ぎ声に驚き、ドアノブを離す。後ずさると、えもんかけにぶつかって大きな作業帽が小さな頭に落ちてきた。

 チクタク、チクタク。

 ドアの隙間から光が漏れる。老人の声が聞こえてきた。

「二人ともチフス熱だ。この部屋を隔離せんといかん」

 贅肉に圧迫された喉が迷惑そうに声を高くした。

「じゃあ、この家族には出ていってもらわんと!」

「馬鹿を言うな。どこにも移動はできん。このまま部屋を封鎖して、誰も入れんようにせんといかんぞ」

「だから、洗濯女に部屋を貸すのは嫌だったんだ!」

 野太い声の持ち主は冷酷な男らしく、善人を気取って自分の不運を強調した。

「旦那は国営工場の安月給取り! お情けで部屋を貸してやったら、この有様だ」

「君には人情はないのか? あのお嬢ちゃんは両親を一度に失うんだぞ!」

 柱時計が一時を打つ。寝巻き姿のシャルロットはドアを跳ね開けた。

「パパ! ママ!」

 ドアがぶつかり、老医者のくたびれた革鞄が倒れた。

 粗末な寝台には熱に蝕まれ苦しそうに喘ぐ両親が横たわっている。

 老医者は、両親にすがりつこうとシャルロットの手をつかみ、引き離した。

「さわっちゃいかん! チフスに感染するぞ!」

「パパあ! ママあ!」

 大きな黒いローブがシャルロットを包み込んだ。

 ローブの主はシャルロットを抱きしめ、むせび泣いた。

「ごめんよ、シャルロット。おばあちゃんのせいなんだよ」

「どうして? ……どうして、パパとママは死んじゃうの?」

「おばあちゃんのせいなんだよ。おばあちゃんが『力』を捨てたりしなければ、二人とも助けてあげられたのに。精一杯頑張れば助けてあげられたのに」

 ローブが渦巻き、温かい闇へシャルロットを誘う。

 小さな水滴が鼻の頭に落ち、闇は再びシャルロットを記憶の中に吐き出した。

「倒れたんだ、倒れてきたんだ!」

 辻馬車の馭者は泣きじゃくっていた。

 警官が野次馬を押しのけている。

 冷たい敷石の道。雨が濡れそぼった髪を撫でる。

 車輪に胸を砕かれた祖母が最期の微笑を見せた。

「おばあ、ちゃん……?」

 司祭と医者が連れてきたフロックコートの役人は祖母の亡骸にしがみつくシャルロットを優しく、しかし反抗を許さない態度で引き離した。

 施設の鉄の扉がゆっくり口を開ける。痩せた子供たち。窪んだ希望のない眼がシャルロットを射すくめる。

「おばあちゃんに会いたいよう……」

 すすり泣く後ろで扉が閉じられ、闇の中に一人ぼっちで取り残された。

(おばあちゃん……)

 暗闇に真珠色の光が浮かぶ。皺だらけの祖母の手がそこにあった。

(ずっと会いたかった。さびしかったよ。私も一緒に連れてって)

 手を握る。

 真珠色の光の中、優しく微笑む祖母はシャルロットの手を取ると首を横に振り、そっと別の誰かの手を握らせた。

「おばあちゃん?」

「とってもがんばったわね、シャルロット。でも、あなたにできることはまだまだたくさんあるわ」

 力強い手に引っ張り上げられる。光に包まれた祖母の姿は瞬く間に小さくなる。

 そして……

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